「改めて感嘆」太陽がいっぱい komasaさんの映画レビュー(感想・評価)
改めて感嘆
古びたイタリアの景色を背景に、アランドロンの着こなしや一つひとつの仕草や表情が何とも絵になる。それを観るだけでも楽しい。また、最後の終り方は未だに新鮮さを失わない。
それにしてもトムはフィリップに何を求めていたんだろう。マルジュと三人でいるヨットの上でのアンバランスさは面白い。
ギラギラした表情をするトムと、終盤でトムがマルジュを口説き落とす段でマルジュにギターを弾かせるシーンは何とも言えず艶かしい。
komasaさん、丁寧な御返信ありがとうございます。
「鉄路の斗い」「禁じられた遊び」と共に「太陽がいっぱい」を再鑑賞なされてのコメント、恐縮と感心の気持ちで一杯です。特に「鉄路の斗い」は、他のクレマン作品ほど話題に挙がることが無く、個人的に寂しく思っていましたので、素直に嬉しかったです。クレマン監督の基本が記録映画から始まり、そこからドラマチックな劇映画作りの手腕を発揮した演出力を知ることが出来ました。
映画の観方は、一つの答えに集約すると味気なくなりますね。人其々の感性を優先して楽しむことが、映画最良の特長と思います。文学より音楽・美術寄りの観方の方がより合っていると思って来ました。「太陽がいっぱい」の淀川流解釈は驚きと共に深さに感服しますが、全幅の共感をするかしないかの自由は許されて良いのではないでしょうか。
私は12歳の時から淀川さんの映画解説や評論で沢山のことを教わりました。そこから特に監督に注目して観るようになり、20代からは自分流の映画観を持てるようになりました。今は粗末な人生経験ながら年齢を重ねたからか、昔理解できなかった作品を観直して感動することが多くなりました。心動かされるのは、アンチエイジングになりますね。
komasaさん、共感とコメントありがとうございます。
淀川長治さんは、映画の良さや面白さを知りつくして映画文法に厳しく、また監督の映画愛に対しても鋭い視点で評論していました。登場人物の性格や価値観をその仕草や行動の見える部分で推察し、そこに監督の演出力を見定める達人の観察者でした。それは幼少のときからサイレント映画の多くの名作に触れ、視覚に特化した映画文法を誰よりも身に付けていたからだと思います。この映画のアラン・ドロンとモーリス・ロネのお金持ちと貧しい青年の、主従関係から片や弄ぶ側と片や虐められながら同化していく微妙な人間関係を淀川流の分析で論破していたのは、圧巻でした。サインをプロジェクターで拡大して練習するところは、相手の唇をなすっているとまで考察してます。そして監督がルネ・クレマンだから言えるのだと、最後締めています。
私個人の映画から得た印象では、男の友情を描いたフランス映画で時に恋愛に近い繊細さを感じるものがあり、それはイギリス映画ともイタリア映画とも違っています。昔のアメリカ映画では殆ど扱われることのなかった同性愛も、今では多様性からなのか題材として確立した作品が多いようです。その意味で60年前に制作されたこのフランス映画は、男と女と男の繊細さを秘めて、殺人事件の因果応報の面白さを構築したサスペンス映画の醍醐味に到達していると思います。因みにアメリカで再映画化してますが、このクレマン作品が日本ほど評価されていないのは興味深いですね。
今は亡きアラン・ドロンの絶頂期の美しさだけでも、忘れられない映画です。