第七の封印のレビュー・感想・評価
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君たちはどう生きるかとの類似点
1957年製作のスウェーデン映画。
イングマール・ベルイマン監督が、ついに自由に撮りたい映画を撮ったという作品。
海岸
城
通路
向かい合っての机上での対決
そしてヒミのファッションはここから来ていたのか...
宮﨑駿監督作品『君たちはどう生きるか』との類似点が沢山あります。
映画が描いた最高の死神‼️
十字軍の遠征からの帰途につく騎士。どうやら死期が迫っているらしく、死神が迎えに来る。騎士は自らの信仰心と生き延びるために、死神にチェスを挑む・・・スウェーデンを代表する映画監督イングマール・ベルイマンの作品の中でも「野いちご」「処女の泉」「仮面ペルソナ」と並ぶ最高傑作だと思います。ベルイマン監督の作品は難解なイメージがあると思いますが、この作品は騎士と死神の心理的な駆け引きを重厚な演出と暗く美しい映像美で描いてます。騎士と死神がチェスをするシーンのビジュアルというか構図、そしてラスト、死神が騎士とその家族たちを"連れて"いくシーンなんか、いつまでも頭の片隅に残ってます。この作品の60年後に公開された「フォースの覚醒」でもあんまり変わっていないマックス・フォン・シドーの存在感や、その後の死神のイメージを決定付けたというか、死神にしか見えないベント・エーケロートが強烈ですね。
何? 凄い! 怖い! に取り憑かれた/映像詩好きには、物語好きにはたまらない。
物語は中世のスェーデン。
戦いと疫病に混乱していた。
主人公を追ってきたのは死神。
彼と死神は駆け引きをする。
映画に描かれたテーマと映像詩。
丘の上で手を繋ぎ並んで死地へ進む場面は
美しくもあり恐ろしくもある。
鑑賞後は「古い禁断の本を閉じた」
そんな気にさせる映画だ。
イングマール・ベルイマン
「第十七の封印」
この映画を、この監督を知らず
死んでしまうのは惜しい
人生の損失だと思う。
※
vs虚無主義
『ラストアクション・ヒーロー』の終盤で本作の死神が印象的に引用されていたので今更ながら鑑賞。
死神があの世へと連れて行く人間は、その誰もが享楽主義ないし悲観主義に陥っている。この2つのイズムは、己の生に対するどうしようもない虚無感に立脚しているという点で大差がない。虚無の行き着く先は死以外にありえない。
この虚無感を押し返すものとしてアントニウスは神への信仰を絶対化しようと試みる(死神とのチェスはそのアレゴリーだ)が、結局失敗に終わる。そして自分を生に繋ぎ止めるだけの必然性を完全に失ってしまった彼は、死神に連れられてあの世に旅立っていく。
最後まで生き残った旅芸人一家は、アントニウスたちとは違って生の根拠に信仰を置いていない。彼らにとっては、自分や家族が今この瞬間に生きていることそれ自体が生きる理由になっているからだ。
とはいえ旅芸人一家の父親には、アントニウスたちと同様に死神が見えていた。つまりふとしたきっかけで彼らがアントニウスと同様の窮地に陥ってしまう可能性は十分にあったわけだ。
旅芸人一家が死神の魔の手から逃れられたのは、アントニウスが死神を一時的に撹乱したからだ。アントニウスは最後まで自分の信仰に解を得ることができなかったが、その代わりに旅芸人一家を希望として未来へ繋いだ。
アントニウスは虚無主義に食い殺されて死んでしまったが、最期の瞬間までそれに抵抗を試みていた、という悲痛さ。旅芸人一家の無事を祈ってやまない。
死神とアントニウスが大海や野原や森林を背景にチェスに興じるショットには、さながらシュールレアリスム絵画のようにドラッギーな趣がある。こういう印象的なショットがあると物語がギュッと引き締まる。記名性が高まるとでもいうのか。
まあ、ここまで鮮烈なショットは普通の人じゃ撮ろうと思っても撮れないけど…笑
信仰とどう向き合い、どう生きるべきかのメッセージ
第七の封印が解けるとき、最後の審判が始まる
その時キリスト教会に帰依するものは天国に携挙され人類の滅亡から免れるはずだ
これらは聖書の黙示録に書かれてあることだ
つまり西欧人にとっては常識のこと
幼児の頃から刷り込まれて魂の一番奥底にあることだ
しかしそれは長く長く続く患難時代の果てのことである
献身に応えてくれない神
神の前での人間の死と虚無
今がその患難時代であるのならそれでも携挙を信じて、神の試練に耐え甘んじるほかないのだ
この現代に生きる我々はどう生きるべきか
どう信仰と向きあうべきなのか
それを本作は考えるべきものなのだろう
それぞれに人生に疲れ果てた人物
そして地に足をつけて今日を精一杯生きる旅芸人の一家
その対比にベルイマン監督の本作の主題がある
ラストシーンは旅芸人の若い夫婦と赤ちゃんの明るい陽光の下の幸せな暮らしが描かれる
つまり信仰なんか役に立たない
そんなものは人形劇のネタで十分
そんな事よりも地に足をつけた暮らしの方が大事だ
今ある命を精一杯楽しめと、そう訴えかけているのだ
しかし火炙りにされる魔女は恐怖と絶望の目をしていながら諦感している
それは神を否定したらこうなるという監督の恐怖の吐露だ
つまり理性は信仰から自由でも魂は呪縛されたままなのだ
騎士が救おうとするが手遅れと諭されて諦める
自分もこの呪縛を解くには最早手遅れであり、それでもなお、このような映画つくる自分への戒め、あるいは諦めなのかも知れない
難しいテーマでありながら、観る側を惹き付ける語り口と映像の力は流石というしかない
詩の朗読の様な台詞が深い
日本人にとって本作のキリスト教の信仰は分かりづらいのは確かだ
しかしそれを世間の目、周囲の期待、脱落者に厳しい社会、無言の同調圧力…これらによってがんじがらめに生きている日本人の息の詰まるような生活
いつ果てるともない長時間労働の日々、会社と家の往復だけの生活
そこに救いは有るのか?となぞらえて観てはどうか
皮相的かもしれないが、そのように観ても良いのではないか
仕事が信仰になってしまっていないか?と
ネグレクトを受けた人たち
ベルイマンがずっと対峙し続けている虚無の問題が非常に色濃く描かれた作品でした。なにせ、実際に「虚無」という言葉が連呼されましたし。
宗教色が強いですが、個人的にはキリスト教の知識がなくてもそれなりに楽しめる映画だと思います。
「神の沈黙」がテーマのようですが、私はキリスト教の知識がないのでよくわかりません。しかし、いくら問いかけられても答えない神と、それでも神にすがろうとする人たちの関係性は、ネグレクトの親子に近いなぁ、と感じました。
子どもが困っているため助けを求めても、親は子を放っておき助けてくれない。これが繰り返されれば愛を感じられず、自分のルーツとのつながりを切断されるような状態になります。そのため自分自身をポツンと孤立した、ひどく脆弱でフワフワと漂う存在として実感することになります。自分の存在意義がわからなくなる。
騎士アントニウスと従者ヨンスは、親である神のために10年尽くしたが、親からのレスポンスは一切ない状況です。それ故アントニウスは親に執着し、なぜ愛をくれないのだと悩み、ヨンスはどうせ無駄、とニヒリズムに陥っています。
彼らだけでなく、本作に登場するほとんどの人たちが神のネグレクトを受けてます。疫病が蔓延する世界で救いがなければ、不安に圧倒されて先鋭化します。途中で登場する狂信者集団は、ネグレクトの果てに発狂した連中と言えそうです。
(まぁ、神ってもともと人間を救うような俗っぽい存在ではないので、私にネグレクトと言われるのは不本意でしょうが…神様ごめんなさい!)
そんな世界で生きてりゃ、ヨンスみたいに虚無になりますよね。ベルイマンは、こんな世界に生きていたのかもしれません。キツい!
今回、ベルイマンが提示した虚無への処方箋は、旅芸人一家です。彼らは恐怖ではなく仕事や家族に目を向け、現実世界を地道に生きています。彼らは人生の意味とか考えませんが、とても意味ある人生を生きているように見えます。
本作の登場人物たちはほとんどが恐慌・混乱状態で浮き足立ってますが、彼らだけが愛を育み事に仕え、地に足をつけて生きているように感じました。だからか、目の前の危機である死の存在を察知し、回避しようと動けたのかもしれません。
ベルイマンは本作を「頭で創った作品」と語っています。その逆の作品が『夏の遊び』だそうです。
本作はかなり緻密でスピード感もあり、破綻なく話が進んだ印象を受けます。しかし、『夏の遊び』のようなポジティブなパワーは感じませんでした。旅芸人一家の生き方は、おそらくこの時期のベルイマンには不可能でしょう。まさにアタマでたどり着いた答え、って感じです。
無意味さは見出せたが、意味獲得には至れず、といったホドロフスキー師匠の『ホーリーマウンテン』的ポジションの作品かな、と考えています。
キャラクターについての感想。死神がユニークで好きです。スマパンのビリー・コーガンのようなキモい風貌で、鎌ではなく糸ノコを使ったりしてチャーミングです。あのキャラが本作をポップなものにしているように思います。
ヨンスが助けた、後に彼の侍女のようになった女性がとても印象的でした。一行が行き詰まったとき、彼女だけはキラキラとした表情で死を切望していたように感じました。彼女は本当に絶望の人生を送って来たのでしょう。切なかったです。
神学者ラヴァルのカスっぷりも面白かった。ベルイマンの悪意を一身に背負ったようなキャラで、逆に惨めすぎて人間味がありました。
※追記
うっかり書き忘れていましたが、映画後半あたりでアントニウスが見せた誇り高き行動が強く印象に残りました。彼が取った、唯一と言っていい意味ある行動。
ベルイマンが虚無に対抗する手段として、旅芸人一家の在り方とアントニウスのある行動を挙げているように思いました。アタマでっかち感はありますが、直後に『野いちご』撮ってますから、やはり手ごたえはあったんでしょうね。
難解で面白くない
総合20点 ( ストーリー:20点|キャスト:60点|演出:50点|ビジュアル:60点|音楽:60点 )
ベルイマン監督の作品は抽象的で芸術的な作品が多く分り辛い。そしてこの作品も難解で、自分は特に宗教に対して信心深くもないから余計に入ってこない。途中からはもうどうでもよくなっていた。
観念的で芸術的で文芸的で高尚な作品ではある。でもそれが面白いかというと、ちっとも面白くは無い。はまる人にははまるだろう。でもこの演出でこの主題を楽しめる日本人は少ないのではないだろうか。冒頭で死神とチェスをするというのは面白いし、そこを中心に死神とのやりとりを膨らませてくれれば楽しめたかもしれない。
ユーモアあふれる死神
十字軍の遠征から帰還した男に死神のお迎えが来た。本人はそう思うのだが、死神からすれば「ずっと隣にいた。」らしい。そう、死はいつでも誰にとってもすぐそばにあるのだ。チェスの勝負で猶予を与えるかどうかの賭けに応じてくれるこの死神は、ずいぶんと人間味あふれる死神だ。教会の懺悔の部屋に潜んで、男のチェスの手をまんまと聞き出したりと、なかなか笑いのツボを知っている。
陰鬱な映像が多い中で、明るい光に満ちているのは旅芸人の夫婦とその子供が出てくる場面である。映画の登場人物たちのうち生きる喜びがあふれているのはこの家族だけであることが、その光りによって象徴されている。
男は最期のときに、この家族を死神の手から逃がすための時間稼ぎに成功する。満足げな表情を浮かべて死神に連れていかれるのだ。
しかしこの死神は最後まで人情派である。男が人生の最後に自分の存在意義、生きることの素晴らしさを知ることになるのはこの死神のおかげなのだ。チェスの勝負はもとより、他の登場人物の死期まですべてこの死神の手の内にある。死期を悟った男に自分こそが旅芸人一家を助けたと思わせることも死神の心憎いばかりの筋書きではないだろうか。
ここは死神の労をこそねぎらってもらわねば。
この作品でもスターウォーズに影響を与えたと思われる演出が見られた。言うまでもなく死神のコスチュームであり、その頭巾の中で鼻と顎の輪郭だけが浮かび上がるシーンである。この演出はシスの暗黒卿、すなわち皇帝に用いられている。でも、本当のところはどうなのだろう?ジョージ・ルーカスに誰か聞いてくれないだろうか?
中世は怖い
キリスト教徒じゃないオレが見てもあんまり意味がない感じがした。死神とチェスをするというのは実にロマンがあってよかった。死神がのこぎりで木を切っているのも面白かった。全体的に雰囲気悪かった。民度が低いとか、教養がないとか、医学がしょぼいとか、法律が機能してないとか、そういう社会は厳しいなと思った。
「どうせ死ぬから」といって病にもがき苦しむ人に水を上げず見殺しにする場面も怖かった。
騎士の一人がルトガーハウアーに顔が似ていた。
見ている間はけっこう退屈だったけど、印象深い映画だった。
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