第九交響楽のレビュー・感想・評価
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「悲しみは空の彼方に」のダグラス・サーク監督による劇的展開と勧善懲悪の前時代的ドラマツルギー
一つの事件によって運命が変わる人間の心情に焦点を絞った、前時代のドラマツルギーの産物である。それゆえに理性より感情が優先されたドラマに創作されていて、観ている分には内容の純粋さに共鳴できるのだが、観終えて現実の街を歩きだすと、一気に醒めてしまう心境にあった。感情だけでは余韻が残らないのもまた事実。監督はデトレフ・ジークルという名で初めて知る人だと思っていたら、何とこの監督は1930年代にアメリカへ渡って、「愛する時と死する時」や「悲しみは空の彼方に」を演出したダグラス・サークと同一人物であった。
物語はニューヨークの大晦日の夜、公園で自殺したある外国人を発見することから始まる。この男は、ベルリンで保険詐欺の罪を犯し妻ハンナと共にアメリカに逃亡してきた男である。異国の地にひとり残されたハンナは、夫の自殺にショックを受け病に倒れてしまう。一方、ベルリンでは音楽家ガルフェンベルクの指揮でベートヴェンの第九交響曲の演奏会が催され、その音楽がニューヨークのハンナの部屋のラジオから流れている。ハンナは、そのベートヴェンの音楽を聴いて心打たれ、改めて生きることに目覚める。何と大袈裟なシークエンス作りかと思うが、演じている人たちは真剣である。
ハンナはベルリンに戻り、かつて里子に出したペーターという男の子を探し求める。何故子供を残してアメリカに渡ったのかの理由は、殆ど描かれていない。結局そのペーターは、指揮者ガルフェンベルクの元に引き取られていた。偶然とはいえ、ご都合主義的ストーリーの流れであり、それを真面目に堂々と演出しているのが凄い。ハンナは取り戻したいが、一度里子に出した親にその権利はないと言われる。物語は別に、ガルフェンベルクの妻シャルロッテを中心に描いていく。音楽に夢中な夫に構ってもらえず、占星術師カール・オットとの情事に耽る典型的な浮気妻の女性であり、1930年代の映画によく出てくる悪女タイプの設定で主人公ハンナを引き立てる。この状況から、映画はハンナがシャルロッテを毒殺したのではないかと、刑事事件が発生する。ハンナは乳母としてガルフェンベルクに雇われ、その主従関係から深い仲になっていたのだ。シャルロッテの方もカール・オットに二人の関係を暴くと脅されていて、映画の結末は、汚れた者は滅び清く美しい者が救われる道徳的な決着をする。冤罪が晴れて、ハンナとガルフェンベルクの幸せな将来が約束される。
前時代のドラマツルギーではあるが、作者たちの正直な映画愛が実を結んだ作品でもあるので批判ばかりではない。今より刺激の無い時代には、このような劇的展開の演出や、勧善懲悪のストーリーが求められていたのではないだろうか。それを承知で観れば、それなりに楽しめるものだ。欲を言えば、後半の推理劇をもっと巧みに生かせば良かったと、そこが名手ヴィリー・フォルスト監督との差を感じた。
1980年 8月9日 フィルムセンター
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