劇場公開日 1971年2月13日

「ラストシーンに監督の真実の希求への期待が…」ソルジャー・ブルー KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0ラストシーンに監督の真実の希求への期待が…

2022年4月3日
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鑑賞方法:DVD/BD

私にとっては幻の映画となっていた
「野のユリ」や「まごころを君に」の
ラルフ・ネルソン監督作品を
ビデオレンタルして
ついに観ることが出来た。

この映画は、ベトナム戦争でのソンミ村事件
への批判が込められているとの
解説があったが、
圧倒的な武力での侵略や
非戦闘員の虐殺や連行など、
あたかもロシアによるウクライナ侵攻をも
想起させられるタイミングでの
鑑賞となった。

この映画は、部隊全滅後に砦を目指して
彷徨する二人と武器密売人からの逃走劇の
中盤こそやや冗長的だが、
冒頭のモノローグとタイトルバックの歌、
そして最後の衝撃的な先住民虐殺のシーンが
強烈に全てを語っているイメージの作品だ。

特に、その土地に相応しいのは
長く適応してきた民族であり、
彼らこそがその土地を我が国と呼べる、
だから進入者はこの土地を愛する方法が
他にもあると思わない?
と問い掛けるタイトルバックの歌が
象徴的で、
この映画のストーリーの中では、
2年間の先住民との生活で培われた
クレスタの環境適応能力や
ホーナスの先入観の改悛が描かれる。

西部開拓史がフロンティア精神による
賜物だったと合衆国建国への想いを寄せる
人々へは強烈なアンチテーゼ作品だ。

ラストシーン、
隊の指揮に逆らったホーナスが鎖に繋がれ
クレスタの前で連行されて行く中で、
真実を理解したとの彼女への彼の笑みと、
連行されるのが彼ぱかりでは無かった描写に
ネルソン監督の真実の希求への期待が
込められていたように思えた。

それにしても、
それまでのジョン・フォード西部劇などで、
西部開拓史における騎兵隊のイメージを
インプットされていた米国人にとって、
この映画から受けたショックは
いかばかりであったろうか。

KENZO一級建築士事務所