そして人生はつづくのレビュー・感想・評価
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生ぬるいコカ・コーラ(?)美味くない。正直に父親に話す。父親の了解...
生ぬるいコカ・コーラ(?)美味くない。正直に父親に話す。父親の了解を貰い、捨てていると、捨てるなら、赤ちゃんに貰えないって言われ、少し分けてあげる。
なんか、イラン人の本音何じゃないかなぁ。
人は年寄りになって初めて若さがわかる。死んで初めて生きているありがたさがわかる。
ホント人生は続くよな。
本作も、まんまとすっかり引き込まれてしまった。
ただひたすら映画に出演してくれた人達の安否を確認するだけの映画なのに、
どうして、こうも引き込まれてしまうんだろう?
今回も勿論カメラワークは素晴らしいが、あの相変わらずの素人俳優の自然さは一体なんなんだろう?
あのキアロスタミ自身を投影させた父親の役は、経済庁の役人らしいが、ホント上手い具合に良く見つけてくるよ。
被災地の人達も、たぶんカメラの前で、決められた台詞を喋っているのだろうが、とてもでは無いが、芝居をやってるようには見えない。
もう、この監督独自のマジックで成り立っているとしか思えない。
今回は特にドキュメントとフィクションが渾然一体なのが、やはり肝なんだろう。
観てるこっちも、あの兄弟は、ひょっとしたら地震の犠牲になってしまったのでは?と少し不安になってしまっていた。
なので、あの暗示的な感じで、遠くの方のシルエットから、元気そうな姿が見えた瞬間には、なんともグッと来るものがあった。
さすが、観客のイマジネーションを喚起させる勘所を良くわかってる。
それは、勿論もうドキュメントでなく、完全にフィクションとしてのリアルなんだが、そんなこと、もう本当にどっちでも良くなってしまうのだ。
そして、続くラストのひたすらなロングショットも、とても印象に残った。
本当に人生は続いていくのだ。
欲を言えば、キアロスタミ本人が本人役として出演して欲しかったな。
もう、それだったらホント完璧だったと思う。
のんびりした風景と倒壊した家屋の対比
かつての撮影ロケ地が地震被害に遭い、その地を巡る話。
実際に被害に遭われた映画出演者である被害者に会って地震の話を聞いたり…身内が亡くなっり間も無い被害者にあれこれ質問攻め、回答する方も”神の思し召し”と言ってしまうあたりが文化の違いを感じる。
神がかってみえる人たち
主人公がクルマで走りながら目にするものを、同じ視点で私もずっと一緒に見ることになる。一緒にこの小さな旅に連れていって貰ったような感覚になれた。ユニークな映画だった。
地震の始末は、現実問題として、途方もなく大変そうだった。
でも、奥地へ行けば行くほど、被害はひどくとも、自然は素朴で雄大で美しく、そこで生きる人々もまた逞しく、純朴な美しさを感じさせてくれる。
地震の犠牲は、神の意志だったのか否か?そういう疑問が振り払えないようだ。当然だと思う。
でも、この映画を見ていると、愚痴を言わず働く素朴な人々の姿、とくに若者やこどもたちの…、それこそがすでに神がかった美しいものに見えてくる。
神の意志があるとしたら、ここにあるのだろうか…と。
何がどうした、というストーリー性が特にあるわけではないけれど、じわっと染み込んでくるものがあった。
【”大地震を”神の行い”として受け入れ、生き残った事を喜び、神に与えられた人生を歩むイランの貧しい村の人々の姿を描く作品。”乾性”と”湿性”の違いについても考えさせられる映画でもある。】
ー 冒頭、アッバス・キアロスタミ監督役の男性と幼い息子が、小さな車を走らせている。1990年にイラン北部で起きた大地震により、泥と日干し煉瓦で出来た町は壊滅状態らしい。
劇中の会話の中で、監督は自作「友達のうちはどこ?」で舞台にしたイラン山岳地帯の寒村、コケルとポシェテに向かっている事が分かる。
そして、監督が一番気にかけているのは、友達にノートを返すために劇中走り回っていた「友達のうちはどこ?」で主演した”走れメロス”少年の安否を特に気にしている事も分かってくる。ー
■感想<Caution 内容に触れています。>
1.アッバス・キアロスタミ監督の作風ではないかと思っている、人間の善性を”乾性”トーンで描く作風。
多くの邦画が”湿性”トーンで描かれる違いを、この半ドキュメンタリータッチの映画でも感じるのである。
ー 気候の違いから来るのであろうか。宗教感の違いなのであろうか。ー
2.特に印象的な人物(多分、ご本人)が数名出演している。
1)新婚五日目の若い男性。
”地震の翌日に結婚したんだ。親族も多数亡くなったけれど、前から決めてあったし、イロイロと五月蠅く言う長老たちも、亡くなったしね。”
ー オイオイ、日本では全体に有り得ないぞ。ー
2)ワールドカップサッカーを見るために、粗末なTVアンテナを道に立てている男性。
”親族の数名は亡くなったけれど、神に生かされたのだから、人生楽しまないと・・。”
ー 矢張り、死生観の違いかなあ。それとも、寒村だし物凄い死傷者が出た訳ではないのかな・・、等と不謹慎な事を考えてしまう。だが・・、調べたら4万人の死者、70万人の被災者という数字が。
大震災ではないか!ー
3)洗濯物をしている若い女性。
”私は、偶々生き残ったけれど、壁の傍で寝ころんでいたおじさんは、死んじゃったわ。”
3.それらの言葉を聞きながら、アッバス・キアロスタミ監督役の男性と幼い息子は、更にくねくねの山道を小さな車で登って行く。途中で、”走れメロス”少年は生きているらしいという、情報を得ながら・・。
4.途中で、重たい荷物を載せてあげたり、同じ方向に向かう少年二人(1名は、「友達のうちはどこ」にも出演していたと言っている。)を載せてあげたりしながら。
そして急坂を登れずに少年を一時的に下ろし、弾みをつけて再び急坂を登って行く小さな車を遠景から捉えるショットも印象的なラストシーン。
<アッバス・キアロスタミ監督の映画には、”くねくね山道”が矢鱈に出てくるが、あれはきっと”人生”を表しているのだろうなあ・・、と思いながら鑑賞した。
”乾性”と”湿性”の違いを考えさせられた映画でもありました。>
子は親の鏡 で育つ
キアロスタミ監督の作品は私自身緊張感が漂って困る。精神的に彼の映画は心の準備がいる。今晩はリラックスしてキアロスタミの映画でも観ようかなんて考えられない。自分の座る場所も特定なところに座り、じっくり腰を据えてみる。
『Institute for Intellectual Development of Children and Young Adults』と字幕が。明らかに初期の作品である。
相変わらず、最初は、同じようなシーンの繰り返しがあるが、そこからの動きを注目。奥深くて、人間性を追求する映画で、人間って言うものをどこの国でも、いつでもユニバーサルな存在と考えて映画を作っているから、集中しないと、彼の言いたいこと全てを聞き逃しちゃうし、見逃すと意味がなくなっちゃう。
これは子供の為の映画でありそれが芸術的に仕上がっている。 子供を人間として育てているシーンが多いのが好き。
だから、親子関係に焦点を当てて書いてみたい。父と息子プーヤの会話の好きなシーンがたくさんあって、困るが、いくつかいくつか挙げてみたい。
まず、車の中で、よく息子の話を聞いてあげる父親だと。 そして、『何?』『なぜ?』と聞くことで、息子に、『自分の意見を説明して論理展開ができるか』という将来必要な基本的考え方を啓発している。 すごい、父親。
息子がが放尿をするために車を止める。息子が父親が見てるのを気にして、木のかげに隠れてする。父親の見える範囲で放尿するが、そういう成長を父親は微笑んでいる。
コーラーが全部温かいと文句を言う息子に『お金を置くように』と人間教育を。
コーラーがあったかくお腹が変になったと捨てようとする息子。『赤ちゃんに頂戴』と言う隣人。現実をよく見極められない息子だが、施しの心をもつ。
コケルに行くため、回り道をしたことによって、いろいろな状況における人生の被害者を見せることにより、これが、将来の息子の情緒教育に役立つたり、相手のことを考える必要性などを学べる。父親の人々へ『聞いてあげる』態度も、手伝いも息子にいい影響を与える。
息子の頭の中はサッカーゲームのことばかり、現実、悲惨な思いをしている人々と息子と現地の子供達や若者の対比が興味深い。『親の子子知らず』のような息子だが、そうやって、『子は親の鏡 ... 子供は親から多大な影響を受ける』育っていく。そして、父親は息子の心情をサッカーは4年に一回だ、でも、地震は10年に一回だ?と言うアンテナを立てている青年にあって理解する。
父親は道中あう全ての人々に優しく荷物を運んであげたりして手伝うが、最後、息子をテントのところに下ろしてから、急に態度が変わり、坂道に差し掛かる時、『乗せて欲しい』と頼むオレンジの荷物の男の願いを無視する。私はここで、おかしいな?手本を見せる息子がいないから?それとも、先に行く二人に会うため急いでいるから? なぜ、乗せてあげないの、今までの態度とは随分違うねと思ってみていたら、車がエンコし、ゆっくり上がってきたオレンジの荷物の男が荷物を置いて押してあげる。動いて一旦下った車は鋭気を養い、また上がってきて、オレンジの荷物を担いだ男の先で止まり、彼を乗せてあげた。
この最後のシーンが最高。父親の本質がわかった。この一貫性のある父親は息子にとっても、人々にとっても、同じ扱いをすることができる模範生。
車がボロくて心配….
大きな地震があったらしく
コケルのアハマッドたちの生存を確かめに
小学生の息子を連れて現場に行こうとする
キアロスタミ(演じるのは役者)
幹線道路が壊れたり渋滞になっていたりで
裏道を行くしかないのだが
車が小さくてボロいので行く先々で無理だと言われるがそれでも行く
そしてあちこちで気軽に人や荷物を乗せては
地震の様子やコケルの様子を聞き取りしている
根っからのドキュメント監督だ
役者は最小限度で、映画に出たい地元の人たちを起用するので、ドキュメントにしか見えない作りになっているが、時々ネタバラシがあってそこも面白い
幸か不幸か
あたしはこの三部作の見る順番を間違えて
先に「オリーブの林をぬけて」を見てしまったので
そこですでに少し大きくなったアハマッドとネマツェデを確認している
なのでドキドキせずに見ていられたわけだ
キアロスタミの映画はすべて
乾いた舗装されていないジグザグ道が砂埃を巻き上げているアースカラー
埃の向こうに見える遠くの山がなんとも美しい
視界の広さとその風景
住居と人の営みのその風景があたしを
未見の地イランにキアロスタミの映画にハマらせる魅力だ
たくましく地震の後の復興に黙々と大人も子供も働く中
4年に1度のサッカーワールドカップを見るためにTVアンテナを建てるシーン
地震で身内が死んでもワールドカップは観る
打ちひしがれていても仕方がないのだ
親が死んでしまったからこそ結婚する
そのあたりが「そして人生はつづく」なのかな
最後の引きのロングショット、ジグザグ道の登りはヴィヴァルディ
映像がすべてを物語る
タイトルなし(ネタバレ)
大地震が起きた『友だちのうちはどこ?」の撮影地に向かう
この映画の監督のお話
息子と共に車で被災地へ向かうのだが・・・
主人公を演じた少年が気がかりでやってきたのだ
途中で大地震の恐ろしさを目の当たりする
途中震災のために車が大渋滞して行くことが出来ず
裏道を走る所は凄いと思ってしまった
カーナビもなく本当にたどり着くかわからないのに
でも監督は少年のことが本当に心配だったのだろう
いつまでも動かぬ道路で待ちぼうけなどできるはずもない
少年に辿り着けるのか ドキドキした
先に「オリーブの林をぬけて」を観ていたので
この映画で新婚の夫婦が出てくるのだが
ああこの二人かと何だか飛び跳ねたくなった
人間に変わりはなく大災害の前に平等なのだ
眼差しはいつでも人にある
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