聖メリーの鐘

劇場公開日:

解説

「我が道を往く」の続編で、同じくレオ・マッケリーが製作・監督し、ビング・クロスビーが主演するが、彼と共に「四人の息子(1941)」「ガス燈」のイングリッド・バーグマンが主演している。ストーリーもマッケリーが書きおろしたが、脚本は「世界の母」「男の敵」のダドリー・ニコルズが執筆した。撮影監督は「ジェーン・エア」「追憶(1941)」のジョージ・バーンズ、音楽監督は「スイング・ホテル」のロバート・エメット・ドーラン。

1945年製作/アメリカ
原題または英題:The Bells of St. Mary's
劇場公開日:1948年7月

ストーリー

聖ドミニック教会を再建すると、雪の降るクリスマスの晩に、ひょう然と立ち去った神父オマリーが、赴任したのは聖メリーの教区であった。ここには学園が付属しているが、老神父オーガディには窮迫している教区の財政を建て直す能力はなかった。オマリー神父が来たのは、そのためでもあった。学園は尼僧長ベネディクト尼が、学園長として教育と経営の任に当たっているが、教育家としては申し分ないにしても、経営の方は円滑に行かないのは是非もないことだった。オマリー神父はベネディクト尼が余りにも若く美しいのにびっくりしたが、さすがに若くして尼僧長になるだけのしっかりした性格を持ていた。学園の隣には建築中の大きなビルディングがあった。そこは以前学園の運動場だったのを、実業家ボダーガスが買い取ったのである。ベネディクト尼は、それが完成したら、ボダーガスが学園に寄付するだろうと思って毎日そうなるように祈っているというのであった。オマリー神父は彼女が余りにも世間を知らなすぎるのに、かつ驚きかつ憂えるのであった。ある日一見して夜の女であると思われる婦人が、オマリー神父を訪ねて来た。テレサ・ギャラガーという女で、12年前夫ジョウが家出して以来、一人娘のパッシーを抱え辛い世渡りをして来たが、娘が13になって母の職業を勘づいた様子なので、学園に寄宿させて頂きたいというのだ。神父が承知したので、彼女は翌日パッシーを伴って来た。オマリー神父は孤独な生活がパッシーの生活をひねくれさせていることを知ったが、ベネディクト尼は勉強嫌いでパッシーの成績が悪いのだと単純に思い決めているので、彼女の訓育について神父と尼僧長の意見は合わなかった。ボダーガスはベネディクト尼がビルディングを寄付をされたいと申し入れて来たのにびっくりして、憤慨したため持病の心臓病に障り病臥してしまった。オマリー神父が見舞いに行くと医師が来ていて、病気は心労のせいだと言った。神父は医師にボダーガス氏がビルディングを学園に寄付してしまえば心労がなくなるだろうにと言った。ところが医師から言われたと見え、数日後ボダーガスはベネディクト尼を訪れ、寄付を正式に申し出た。尼僧長は大喜びだったが、オマリーは彼女が肺を侵されていることを医師から聞くと、彼女をアリゾナの病院へ転勤させる手続きをした。彼女はパッシーを卒業させないので、神父が意趣返しをしたのではないかと思っている様子だった。卒業式を終わると尼僧長は出発することになっていたが、オマリー神父はパッシーから自宅に帰るのがいやで、答案を下手に書いたという告白を聞いた。しかもテレサはジョウが帰宅したといって二人連れで、娘の卒業式を見に学園を訪れた。神父が困ったことになったと心配していると、尼僧長がパッシーも卒業させると言出し、彼女を式場に連れて行った。卒業式が終わるとベネディクト尼はあいさつして出て行った。それを見ると神父は堪らなくなって追いかけた。そして彼女がアリゾナに転勤になる理由は、彼女の健康のためであること、彼女の肺が少し悪いからだと、告げたのである。ベネディクト尼の顔は晴れやかに輝いた。神父に対する一片の疑惑の雲もなくなったからであろう。ベネディクト尼は健康を回復したら、また帰って参りますと言った。オマリー神父も再会のその日を待ちましょうと握手して別れた。

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スタッフ・キャスト

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受賞歴

第18回 アカデミー賞(1946年)

受賞

音響録音賞  

ノミネート

作品賞  
監督賞 レオ・マッケリー
男優賞 ビング・クロスビー
女優賞 イングリッド・バーグマン
編集賞 ハリー・マーカー
作曲賞(ドラマ/コメディ) ロバート・エメット・ドーラン
主題歌賞
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