戦争と平和(1965~67)のレビュー・感想・評価
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ピエールに代わって、リュドミラ=ナターシャに愛を告白したかった…
若い頃に、
今は無き故郷の映画館「グリーンハウス」で
2年を掛けて〈第一部〉〈完結篇〉を
観たこと、
また後年、錦糸町の映画館で
第1部~4部の7時間強をぶっ通しで
再鑑賞したことを思い出す。
先月、2007年製作のTVドラマ版を
ビデオレンタルして観たところ、
かつて、2016年のBBC版を観た時と
同じように違和感があり、
録画していたこの作品を再鑑賞した。
さて、このソ連版、
「悪人たちが結託して力を増大させるなら、
善人たちも同じように結託すればいい」
とのナレーションが
冒頭とエンディングに流れ、
プーチンとロシア国民への皮肉を
感じざるを得ないタイミングでの
4回目鑑賞となった。
今回、改めて認識したのは、
この物語はかなり長い時間の中での話で、
アウステルリッツとボロジノの両大戦の
間だけでも7年の時間の経緯があったことだ。
若い頃は、ただただ合戦シーンの
スケールに目を見張っただけで、
原作を読んだのは随分と後のことだったが、
〈第一部〉のラストシーン、
傷心のナターシャへのピエールの愛の告白の
場面だけは子供心にも印象強く残っていた。
事前に2007年のTV放映版を観ていて
違和感を感じたのは、
もちろん合戦シーンのスケール感の違いや
雪のない大地の描写、
また、TV版やヘップバーン版の3作品が
全て英語版だったこともあるが、
何よりもナターシャのイメージだったのかも
知れない。
この作品は、
ナターシャ役のリュドミラ・サベリーエワの
可憐さ・愛らしさが際立っている。
ナターシャ役は
オードリー・ヘップバーンでもなく、
TV版の彼女らでもなく、
ナターシャ役はリュドミラ以外には
想像出来ないのだ。
だから、このソ連版以外は
その違和感だけで鑑賞の妨げになる。
第2部ラストの愛の告白シーン、
何度ピエールに代わって
リュドミラ=ナターシャに愛を告白したいと
思ったことだろう。
作風としては、
2007年TV版では主要3名を中心に
彼らが頻繁に会ったような設定に変える等、
TV版2作品共に人間臭い愛憎劇としての
物語性に重点を置いて
解り易くしたのに対して、
このソ連版はドラマ的には説明不足的で
少し説教臭さもあるが、
トルストイの自然観や死生観などの
思想性に重きを置いた感じに思えた。
それでも、
主人公達の心の声をモノローグ処理して、
主要3名の心象を細やかに描き、
省いた物語性要素を
カバーしていたように感じた。
ただ、改めて思うのは、
ニコライ家の狩りのシーンの必要性や、
これはこの作品の一番の見所なので
やむを得ないのかも知れないが、
観慣れるしまうと、その壮大な合戦シーンも
冗長に感じでしまったことだ。
ところで、
この映画は2つのTV版と比較して
合戦や舞踏会等のスペクタルシーンに
時間を割いているためか、
同じ長尺でも、ピエールの妻エレンの扱いが
アッサリとしていて、
彼女の死がナレーションのみだったり、
また、ニコライとソーニャの存在感が薄く、
ましてや2人の相愛にさえ触れてもいない。
そんな中、原作では
ニコライと結ばれることのない薄幸の人物
のように描かれるソーニャが、
2007年TV版では、
ニコライの戦友ジェニーソフと結ばれたとの
改変エンディングは心地良く感じた。
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