戦場にかける橋のレビュー・感想・評価
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タイトルから勝手に希望の物語と思い込み
サイモン&ガーファンクルの名曲に引っ張られたのか、希望溢れる物語かと思っていたが、まさか主要な人物はほぼ死亡し、橋も壊れる結末とは…
人間らしく生きることが一番素晴らしい。
私は、登場人物の中ではシアーズ少佐が一番好きで、このいい加減さ、自分に忠実なところを持ち続けているのは、下士官だからかな?と想像しました。
タイトルのセリフも、ジャングル行軍中にしれっというところがいいです。
反面、斎藤大佐もニコルソン大佐も、自分を曲げず、面倒な人たちだなーと観ていました。
そういえば、シアーズはアメリカ人で大陸の人、斎藤とニコルソンは日本人とイギリス人で島国の人。
特性が出ています。
斎藤とニコルソン、敵対関係にあるふたりが協力関係を築くとき、相手の尊厳や背景を踏みにじってはうまくいかないんだよなあ。
観客として観てるとそれはよく理解できるのだが、渦中にいると、お互いに意固地になってしまう。
私も、気を付けて、一歩引いて観察しよう。
一番ニュートラルで尊敬できたのは、医師の青年。
斎藤大佐にも、ニコルソン大佐にも、臆することなく、より高い視点からの進言をしている。
戦時下で、こういう行動をとることは命の危険を伴う。
ホント、尊敬に値する行動で、見習いたいと思った。
日英の協力により鉄橋ができ(想像以上に美しく立派な橋で、私のテンションが上がりました!)、喜んだのもつかの間、全てが水泡に帰す圧倒的迫力のラストを迎える。
このための2時間半だったのねーと拍手を送りたくなりました。
さすがの名作。
そして最後にしみじみ、何のために命がけの争いをするのかと虚無の気持ちになりました。
一度でいいから、地球上から戦争や紛争が亡くなったらいいなあ。
そのためにできることを、していきます。
ずっと後回しにしていた名作、ついに映画館で鑑賞。小学校の朝礼や運動...
長時間の超有名な大作で『戦場にかける橋』(1957年)、『アラビア...
長時間の超有名な大作で『戦場にかける橋』(1957年)、『アラビアのロレンス』(1962年)、『ドクトル・ジバゴ』(1965年)などで有名なデヴィッド・リーン監督 (1908〜1991年)の代表作の1つで、アメリカ国立フィルム登録簿に登録された1つ。
劇伴(劇中伴奏音楽)の使い方が独特で最後の方まで音楽は極端に少ない。捕虜の口笛くらいか?
フラフラになっても頑固で"主義"を貫こうとするニコルスン大佐には共感出来ないが、その後から「お茶を飲みながら、ついでに食事しながら」とマウントを取る辺りはまるでコメディ。
そして、出来上がる"物"は凄いとしか、、、
もちろんミニチュアでは無い。
【こぼれ話①】
ウィリアム・ホールデンは少年時代に、無声映画のスターだった早川雪洲がハリウッドで暮らしていた豪邸(グレンギャリ城)に新聞を配達していて、その時に俳優をやってみないかと声を掛けていた雪洲と、本作で共演が果たされた。
【こぼれ話②】
第一次世界大戦前からハリウッドで活躍した大スターの早川雪洲は「戦場の日本軍の捕虜収容所の所長」という内容を聞いて逡巡するが、雪洲の背中を「重要な役柄」と妻の鶴子が押し、雪洲は出演を決断した。
自宅で何時でも観れるのに、雪の降る福岡でわざわざ出かけて1000円払って観たこの日の映画1本目。
「午前10時の映画祭 14th」
アレック・ギネス
ニコルスン隊長(イギリス軍大佐)
ウィリアム・ホールデン
シアーズ(アメリカ海軍中佐)
早川雪洲
斎藤大佐(第十六捕虜収容所所長)
ジャック・ホーキンス
ウォーデン少佐(プラスチック爆弾を戦争に取り入れる)
ジェームズ・ドナルド
軍医クリプトン
強烈な爆弾
米Yahoo!「死ぬ前に見たい映画100」
復刻上映とのことで映画館で鑑賞。
映画の冒頭から、その規模の大きさに圧倒された。大勢の人員が動員され、近年の映画では見られない圧巻の映像が広がる。
最新の作品であればCGが多用されるだろうが、この映画が作られた時代にはそうした技術がなかった分、リアリティとスケール感が生み出されていた。
少なくとも冒頭の一連の描写を見る限りでは当時の映画産業や時代の豊かさが想像できた。
物語冒頭は、日本軍の捕虜となったイギリスの指揮官、ニコルスン大佐と日本の斎藤大佐を中心にその主義とプライドが激しくぶつかり合う。
斎藤は収容所の絶対的な権力者として君臨するが、ニコルスンはそれに屈しない。銃で脅されようと、昼夜立たされようと、独房に閉じ込められようと、毅然とした態度を貫く。
その姿は「軍人の模範」として描かれている。
やがて、斎藤は任務と立場の間で追い詰められ、ついには折れる。こうして英国軍の誇りと統率を取り戻し「戦場にかける橋」の建設は一気に進み始める。
一方、脱走に成功したシアーズも軍の破壊工作に加わり、森へと戻る。
橋を建設する側と破壊しようとする側、それぞれの視点が丁寧に描かれている分、しっかりと両者への感情移入がされており、交互に描かれるたびに物語に緊張感が生まれる。
潜入シーン自体は単調で長いかなとも思えるが、逆にそれが張り詰めた空気を晴らすことなく観客を引き込んでいると思える。
そして迎えるクライマックス。両者が殺し合い、戦場は混乱の極みに達する。橋は爆破され、列車も落下し、多くの犠牲が出る。長年「軍人」として築き上げてきたものは木っ端みじんに崩れ落ちた。足元の強烈な爆弾によって。
名作には間違いない。が、その最後のシーン。主人公が意識を失い、倒れた拍子に起爆装置を押して爆発してしまう展開は、令和の視点で見るとさすがに拍子抜けに感じてしまう。
人間らしく生きることができない戦争の虚しさ愚かさを描いた傑作
リーダーシップを発揮して主導権を握っていくニコルソン大佐、主導権を奪われて威厳を失っていく斉藤大佐。
演じているアレック・ギネスと早川雪洲が見事としか言いようがない。
テレビ放映時にはカットされていたのか、協力してくれる村の女たちとの交流など、しっかりと描かれていた割に、意外にもラストのあれほどの大がかりな爆破シーンがあっさりとしていた。記憶ではもっとインパクトがあったように思う。今の映画なら角度を変えて何度も長々と見せられるだろう。
ジェームズ・ドナルド演じる軍医のMadnessの叫びの中で、勇気も反抗も苦労も協力も犠牲も、すべてが一瞬にして消えてしまう戦争の虚しさ、愚かさが、軽快なクワイ河マーチと相俟って際立つ。
頑なに拒んでいた将校の労役や傷病者を働かせることを、自らが指揮を取る立場になるや、、今見ると将校の勝手というか皮肉というか、、。
「勇気という言葉に酔いしれ死に方しか考えていない、人間らしく生きることが一番大切なのに。」
人間らしく生きることができない戦争の虚しさ、愚かさ、狂気。
午前十時の映画祭、一番大きなスクリーンで上映してくれたイオンシネマ津さんに感謝。
(名古屋までパピヨン観に行こうか、こっちにしようか迷ったけど、せっかく大きなスクリーンで上映してくれてるからこちらを選びました。旧作のリバイバル一日一回の上映なら、午前十時の映画祭と被らない時間帯でお願いします)
(大島渚が生前に企画していたという早川雪洲の伝記映画、真田広之さんプロデュースで実現しないかな)
戦争は悲しい
散漫
と言えば、ライアンの娘も同様だが今作にあそこまでのロケーションは無い、アラビアのロレンスのスケール感も無いし、ドクトルジバゴの情感も無い。
何が言いたかったのか?戦場の不条理、あの結末、悔し泣きするサイトウやただ目標達成に突き進む快感の滑稽さか。
コウモリエキストラよく集まったなぁ。
いやぁ傑作
口笛吹いて行進する連合軍捕虜。彼らは、日本軍にクワイ川への橋建設を命令されていた。しかし士官も作業するのはジュネーブ協定違反、とニコルソン大佐は反発。橋建設を急ぐ斎藤大佐は、脅しや懐柔で何とかニコルソンを動かそうとする。ニコルソンは、捕虜の士気向上とイギリス軍の技術を見せつける目的で協力を申し出る。一方収容所の脱走に成功したシアーズは、イギリス軍に呼び出され。
数十年ぶりに観賞。日本軍をもっと悪く描かれていたと勘違いしていました。先住民に同情的な西部劇もたくさんあるように、アメリカ映画の懐の深さに感心。斎藤大佐が、イラストのグラビアカレンダーを使用しているのがユーモラス。
当初反発していたが、橋建設に協力、達成感にひたるニコルソン。ようやく協力してくれたことに感謝し、融和の感情を見せる斎藤。せっかく脱走したのに現場へ戻ることになってしまったものの、作成遂行に命を懸けるシアーズ。感情の動きが手に取るようで分かりやすい。そして複雑な気持ちを紡ぎだす結末、やっぱり傑作です。
ラストのスぺクタルも見ごたえあります。途中のオオコウモリの乱舞もすごいな。口笛がうまかったらなぁ。
共通の目的で人は団結する
共通の目的があると人は団結する。平和な時代ならばそれは普通でも、戦争をしている相手となると話しは変わってくる。敵対していた日英の軍人が、はからずも協力して橋を作り上げてしまう。
それにしても、自分が作り上げたものを壊されたくないという心理は分かる。
敵を助けていたと気づいて、自分は何をしているんだと我に返るアレック・ギネスの演技が良かった。
無声映画のスターだった早川雪洲は、新聞配達をしていた少年に俳優になるよう勧めていた。それが後のウィリアム・ホールデンで、今作で共演が実現した。
極めて強い問いかけを持った大作だ。
第二次世界大戦中、タイとビルマを鉄道で結ぶため、日本軍が連合軍捕虜を動員した鉄橋建設を描く戦争ドラマ。一大叙事詩ともいえる大作ドラマで、戦争の無意味さを、観る者に痛烈に投げかけている。
米軍のシアーズを演じたウィリアム・ホールデンや、斉藤大佐役の早川雪洲も良いし、英国軍のニコルソン大佐を演じたアレック・ギネスが、とても印象に残るのでは無いかと。
本作は、英国人であるデヴィッド・リーン監督にとっても、その後のキャリアの方向性を決定づけた作品といえる。軽快なテンポで進むという作品では無いが、最後の最後に、強烈な結末をぶつけてくる。
実際の鉄橋建設からアイデアが描かれ、日本軍の人物など実在の名称も使われているが、その人物像も含めて、本作自体はフィクションだ。それでも、我々は歴史から学べているのか、とても困難な問いかけを行っている。
破壊と創造
第二次大戦中、大日本帝国の補給路としてタイとミャンマーをつなぐ泰緬鉄道は「死の鉄道」と呼ばれた。本来工期5年はかかる工事を短縮して1年の突貫工事で行ったため、そしてそれに見合う食料などの物資の補給もなされなかったために建設現場では過酷を極めた。
一日18時間という重労働、食事は酷い時には米が茶碗一杯にも満たないありさまだった。そして何よりひどかったのは捕虜たちが寝泊まりする場所には屋根さえなかった。現地は雨季に入れば長時間スコールが降りそそぐため、雨ざらしの中での生活を余儀なくされた。当然衛生面は劣悪でコレラなどの感染症にかかって次々と捕虜たちは亡くなってゆく。捕虜たちは遺体が横に転がってる中での作業を強いられた。
この工事での英連邦の捕虜や現地のアジア人労働者の犠牲者は10万人ともいわれている。つくられた鉄道の長さから換算して4メートルに一人亡くなった計算になる。「枕木一本、人一人」という言葉が残されてる通り、まさに枕木一本ごとに一人の命が失われた死の鉄道と呼ばれるゆえんである。いまでこそ観光地となってはいるが、そこはデスレイルウェイの文字で表示案内がなされ、その案内の看板には「許そう、しかし忘れない」の文字が添えられている。
周辺にはオーストラリア人捕虜犠牲者などを悼む記念館などが建てられ毎年多くの観光客が訪れている。
本作はまさにその泰緬鉄道が舞台となる戦争映画。だが前述のような悲壮感は本編からは感じられない。戦争映画とは言ってもこの頃のハリウッド映画は娯楽が最優先。あのクワイ川のマーチが勇壮に鳴り響く捕虜収容所での英国兵たちの勇ましき姿を描いた戦争娯楽大作である。戦争の悲惨さはとってつけたようなシーン以外はほぼ見受けられない。
主人公の一人である米国人シアーズは捕虜でありながら脂肪を蓄えた健康そのものの肉体。過酷な捕虜収容所の生活は感じられないし、他の捕虜たちも労働を適当にさぼったりと、どこか呑気な雰囲気。
戦争の悲惨さどころか橋の爆破任務に向かったシアーズたちは現地女性といちゃいちゃ、まるでピクニック気分。真昼間にどこから狙撃されてもおかしくない川で水浴びにまで興じる始末。
ジャングルで彼らに殺された日本軍兵士の懐から彼の母親の写真と数珠がこぼれ落ちるシーンがある。これは悲惨な戦争なんですよと伝えてるつもりらしい。
「プラトーン」をはじめとする近年のリアリズムを極めた凄惨な戦争映画から考えると少々憤りを感じてしまうほどだ。
内容的には前半は横暴な早川雪洲演じる収容所所長斉藤に対して捕虜の扱いに関する条約を守るようストライキで立ち向かう英国軍将校ニコルソンの姿が描かれる。灼熱地獄の中での独房生活に耐え続け、ついには相手を根負けさせてしまう。そんな英国人の誇り高き姿を描く。そして後半も同じく橋の建設に苦戦していた日本軍に対して施しを与えるように大英帝国の技術力を見せつけるかのように建設を主導して見事に橋を完成させる。ちなみにこれは完全な創作で実際の捕虜たちは単純労働しか行っていない。
当時の欧米の観客たちにこの内容が受けたのは想像できる。たとえ過酷な状況に追い込まれながらも英国人としての誇りを失わず、捕虜という立場に甘んじることなく反骨精神をもって日本軍に立ち向かってゆくその姿。その勇ましき姿は同じ欧米人として誇らしいものであったろう。日本兵たちはもはや彼らの引き立て役でしかなかった。
本作をテレビの洋画劇場で見たのはかなり前でほとんど内容は覚えておらず、今回配信にて見てみたけど、これは単なる欧米人たちの自己満足映画なのだろうか。
だが、本作がいまだ名作といわれるゆえんは確かにあった。それはクライマックスにかけての展開に見られた。
ニコルソンは長年軍人として生きてきた自分の人生に虚しさを感じていた。自分は人生において何かを成し遂げられたのかと。ただ破壊と殺戮を繰り返すだけの戦争というものに嫌気がさしていたのだ。だからこそ彼はこの戦場において破壊と殺戮とは真逆の創造たる橋の建設を成し遂げようとした。まるでその橋の建設によって自分の人生を意義あるものとするかのように。
もはやそこにはイギリス人将校としての彼の姿はなかった。そこにはただ自分の人生を模索する一人の男がいるだけであった。橋の建設に協力することは明らかに祖国への裏切りだ、そんな部下の意見など聞く耳も持たない。
今の彼にとってこの橋を作ることが戦争によって奪われた自分の人生を取り戻す行為としか思えなかった。そんな彼の気持ちに呼応したかのように部下たちも彼に従う。
見事に橋を完成させた時、彼は満足げだった。今まで戦いの中では決して得られることのなかった充実感が彼の心を支配していた。この橋で捕虜たちの移動も行われる。彼は人生の中で何かを成し遂げた満足感に浸っていた。
そんな時シアーズ達仲間の工作員たちによる橋の爆破作戦が迫っていた。それに気づいたニコルソンは爆破を阻止しようとする。
だが、目の前で絶命するシアーズたちの姿を見たとき彼は初めて我に返る。この時自分が初めて敵に塩を送る行為をしていたことに気づく。
まるで夢から覚めたかのように彼は否応なく現実に引き戻された。戦争という現実に。そして再び破壊と殺戮の戦場に引き戻された彼は呟く。自分はいったい何をしていたのかと。自分は戦争をしていたのではなかったか。まるで夢でも見ていたかのように戦いの中で戦いを忘れていたのだろうか。
しかし彼が我に返ったとき、それはすでに遅かった。撃たれた彼はそのまま倒れこんで爆弾のスイッチを入れてしまう。彼が建設した橋は彼自身の手で爆破されてしまうのだった。
まさに皮肉な結末。これこそが戦争だった。そこにはやはり破壊と殺戮しかない。ニコルソンは夢から覚めて現実に引き戻されたのだ。悪夢という現実に。
この一連のシーンが本作がいまだに色あせない名作と称賛されるゆえんなのだろう。確かに戦争のむなしさを見事に描いた作品だと言える。
戦場にかけられた橋、それは一瞬で破壊された。敵同士である斉藤とニコルソンたちが共に協力し合って橋を作り上げることによってお互いに友情が芽生えるかとも思われたがそんなことはけしてなかった。この橋が両国の懸け橋になることはけしてないのだ、お互いを殺し合う戦争をしている敵同士なのだから。
破壊と創造、創造と破壊。橋を作るのも人間なら橋を破壊するのも人間だった。
戦争においては人が英知を尽くして作り上げたものが一瞬で失われる、それは人の命も同じく。戦争がいかに虚しく理不尽なものであるかが描かれた娯楽大作だった。
軍人の誇り 〜 認識番号 01234567
タイ西部の密林地帯に在るクワイ川鉄橋を舞台にした作品。
日本軍捕虜収容所に送られた英軍捕虜の1人、ニコルソン大佐( アレック・ギネス )に肩入れして観ていた。
日本軍捕虜収容所所長・斎藤大佐( 早川雪洲さん )に異を唱えるニコルソン大佐にハラハラさせられた。
足場の悪い中、現地の若い女性達が兵士達の為に荷物を棒で担いで運ぶ様子に違和感を覚えたが、終盤の状況が二転三転するシーンや、シアーズ中佐( ウィリアム・ホールデン )の皮肉めいた台詞等、見応えある作品でした。
ー ジュネーブ協定 第27条
ー 指揮するのは我々( 士官 )だと兵達に意識させろ
そうすれば自らを奴隷とは思わない
( 軍人の誇りを持ち続ける為 )
NHK-BSを録画にて鑑賞 (字幕)
ウィルアムホールデンが、アメリカを象徴しているかのよう
虚しさしか残らない惨劇の疑似体験の緊迫感に刮目せざるを得ない戦争映画
第二次世界大戦の1943年、タイとビルマ(現ミャンマー)の国境近くにある日本の捕虜収容所を舞台として、戦争の悲惨さと虚しさを主題にスケール豊かに描いたデビィット・リーン監督中期の代表作。原作は「猿の惑星」のピエール・ブールの『The Bridge on the River Kwai』で、フランス領インドシナで徴兵されてから体験した数奇な境遇を基に創作したフィクション。それを「真昼の決闘」「ナバロンの要塞」のカール・フォアマンと「陽のあたる場所」「猿の惑星」のマイケル・ウィルソンが脚色しています。あくまで戦勝国イギリス側から見た戦争映画の立場でした。更に注目すべきは、製作者が「運命の饗宴」「アフリカの女王」「波止場」そして「アラビアのロレンス」「逃亡地帯」「将軍たちの夜」のサム・スピーゲルという人の、その諸作から想像させる題材の異色さと独創性が強烈である事です。ロケーションのセイロン(スリランカ)で大掛かりな建設と密林の過酷な撮影を思うと、この映画はサム・スピーゲルとリーン監督の共作と言っていいかも知れません。それほどに映像化された全てのシーンが充実していて重量感があります。そして撮影が「ヘンリー五世」「旅情」のジャック・ヒルデヤードの構図の巧さが引き立つカメラワーク。選りすぐりのスタッフが集結した大作映画が、内容面も含めてとても見応えがありました。
見所は大きく二つ。イギリス兵捕虜が鉄道建設に強制労働させられる中で、日本将校の矜持とイギリス将校のプライドが対立し、お互いの意地の張り合いから膠着状態が続く前半の持続する緊張感。将校含め全員の労役を断固要求する斎藤大佐に対して、ジュネーブ協定を持ち出し建設作業の指揮を執りたいニコルソン大佐。武士道と騎士道のこの応戦には、日本人から観て若干の違和感があり、特に決着後斎藤大佐が一人むせび泣くシーンは唯一余計でした。しかし、ニコルソン大佐のアレック・ギネスと斎藤大佐の早川雪州の素晴らしい演技で、弛緩することなくこの対決を見守ることが出来ます。そして最後のクライマックスに至る後半の緩急織り交ぜた脚本の構成が、また素晴らしい。一人脱走を成功させたアメリカ海軍兵のシアーズ中佐がしぶとく生き延びてイギリス領セイロンの病院で休養する場面と橋建設場面のカットバックの映画的な表現。物語の主役が二人の大佐から、二人の少佐に変わっていくこの自然な流れ。それも階級を誤魔化し中佐を名乗っていたことが発覚するシアーズが、一転爆破作戦に加わざるを得なくなる皮肉。看護師や現地の女性と睦み合うアメリカ男の軽さを、ウィリアム・ホールデンが嫌味なく演じて人間味もある。対してリーダー格のウォーデン少佐の実直な任務遂行の生真面目さに、ジャック・ホーキンスの渋さが嵌ります。そこに若いカナダ人ジョイスが加わり、ジャングルを突き進むシークエンスは、ジョン・ヒューストンの名作「黄金」を彷彿させる定番のキャラクター設定です。岩山の稜線を奥に手前にウォーデン少佐が木に寄り掛かるショットの美しさ。渓谷のシーンでは、日本人として心が痛くなる殺害場面があります。風景の美しさが際立つと、人間の愚かさや残酷な行為が改めて意識されるのかも知れません。
映画最大のクライマックスは、脚本とリーン監督の演出の盛り上げ方の巧さに唸らされました。ニコルソン大佐が疑念を抱き斎藤大佐と橋から降りて川沿いを行く、それを見てジョイスを危ぶむシアーズ少佐とウォーデン少佐。遠くからは汽笛が聴こえてくる。そして、最後シアーズ少佐が駆け寄り、ニコルソン大佐が漸く気付くところが凄いですね。4つの視点が爆破装置に集中し増幅する緊迫感の醸成。この地獄絵図を傍観していたクリプトン軍医が呟く狂気は、そのまま戦争そのものであると、カメラは俯瞰で惨劇の峡谷を見下ろしていきます。
日本軍が使っていた銃ではないことや、橋の構造も実際のものとは違う点で、時代考証の観点から評価できない部分もあると思います。しかし、これは戦争とは結局無意味で残酷なだけであり、男の意地を通しても虚しさしか残らないことを諭す為に作られた戦争映画であるでしょう。戦争の恐ろしさと虚しさを味わうために映画鑑賞で疑似体験することを、唯一の教訓としなければなりません。その重みを感じて、刮目に値する映画として評価したいと思いました。テーマ音楽“クワイ河マーチ”(ボギー大佐)の軽くリズミカルな曲が、内容の重みを揶揄するようで、それが対比となり重さを際立たせている効果もあります。
ニコルソン大佐の哲学
ニコルソン大佐は、軍人である以前に人としての哲学を持つ人物だ。彼は日本軍の捕虜になっても人としての誇りを失わなかった。将校は労働をしないというジュネーブ協定の条文を根拠に、捕虜になっても労働への従事を拒否した。日本軍の利益にしかならない橋の工事も手を抜かずにやった。戦争に勝つことだけを考えればマイナスにしかならないと思うが、彼にとっては人としてあるべき姿であることが最も大事なのだ。『プライベート・ライアン』のミラー大尉を連想させる魅力的な人物だと感じる。
ニコルソン大佐は、将校は部下から尊敬されてこそ将校として指揮を執れるという旨の発言をしている。彼が懲罰房から解放されたときの部下達の歓声から、部下から尊敬されていることが伝わってくる。彼が橋建設の指揮を執ってから工事が進展したことからも、口先だけ立派なことを言う人間では無く、行動と能力の伴った人物であることが分かる。
救いがない、つまり反戦しかない?
組織力による創造VS破壊
「戦メリ」鑑賞記念に元祖捕虜収容所モノのこちらも数十年ぶりに鑑賞。昔見た時は「ここまで将校の優遇に拘るなんて傲慢な」と憤ったものだが、今見ると理にかなってるとよく分かる。組織を動かすには計画を立て、メンバーを鼓舞し、進捗管理を行う統率者が必要なのだ。そしてその線引きが曖昧だと組織はちゃんと動かない。会社だとマネジャーということかな。その統率力で烏合の衆(わざとサボタージュしてるのだけど)を巨大建築物の創造に向け一致団結させたニコルソン大佐と、心ならずも特殊部隊に組み入れられ、最後は命を賭して破壊の使命を全うするシアーズ。目的もアプローチも真逆の二つの「組織の動かし方」を見た思いだった。日本軍の方が組織力が劣ってるように描かれてるのが若干癪にさわるが。
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