戦場にかける橋のレビュー・感想・評価
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ギネスと早川の構築する、敵味方を超えた複雑な関係性が魅せる
アカデミー賞では作品賞をはじめ7部門を受賞し、映画史に名を残した戦争映画。捕虜となった英国人兵士(アレック・ギネス)と日本人将校(早川雪洲)が、互いに主義主張を譲らぬ中でいつしか妥協と協力を繰り返しながら橋建設を進めていく。最初は全く折り合えなかった二人が一つの目標に向けて視線を同じくしていく姿には、決して敵味方の二元論で割り切ることができない戦争というものの複雑さを垣間見せる。そんな二人にも皮肉な結末が待っているという、ますますもって複雑な余韻を残すこの映画。世の中に「敵の顔」が全く見えない戦争映画が多い中、本作は新たな境地を切り開いたとみていい。ギネスと早川、アカデミー賞にも絡んだ二人の演技は、ある意味、「戦場のメリークリスマス」の坂本龍一とデヴィッド・ボウイのようなものと言えるのかもしれない。クライマックスの鉄橋爆破シーンは映画好きなら一度は目に焼き付けておきたい歴史に残る名場面だ。
ウィルアムホールデンが、アメリカを象徴しているかのよう
名作の誉高いだけのことはある。
何度かテレビ映画で見た気はするが、割愛されていて、
日本軍の愚かさ3割、イギリス将校の律儀さ3割、戦争の無意味さ4割の
印象だった。
戦後12年経ってこの映画は公開されている。
まだ記憶も生々しい頃に構想は練られたと思うが、見どころ多く、
戦争自体も深刻には描いておらず、誰もが楽しめる娯楽作品となっている。
虚しさしか残らない惨劇の疑似体験の緊迫感に刮目せざるを得ない戦争映画
第二次世界大戦の1943年、タイとビルマ(現ミャンマー)の国境近くにある日本の捕虜収容所を舞台として、戦争の悲惨さと虚しさを主題にスケール豊かに描いたデビィット・リーン監督中期の代表作。原作は「猿の惑星」のピエール・ブールの『The Bridge on the River Kwai』で、フランス領インドシナで徴兵されてから体験した数奇な境遇を基に創作したフィクション。それを「真昼の決闘」「ナバロンの要塞」のカール・フォアマンと「陽のあたる場所」「猿の惑星」のマイケル・ウィルソンが脚色しています。あくまで戦勝国イギリス側から見た戦争映画の立場でした。更に注目すべきは、製作者が「運命の饗宴」「アフリカの女王」「波止場」そして「アラビアのロレンス」「逃亡地帯」「将軍たちの夜」のサム・スピーゲルという人の、その諸作から想像させる題材の異色さと独創性が強烈である事です。ロケーションのセイロン(スリランカ)で大掛かりな建設と密林の過酷な撮影を思うと、この映画はサム・スピーゲルとリーン監督の共作と言っていいかも知れません。それほどに映像化された全てのシーンが充実していて重量感があります。そして撮影が「ヘンリー五世」「旅情」のジャック・ヒルデヤードの構図の巧さが引き立つカメラワーク。選りすぐりのスタッフが集結した大作映画が、内容面も含めてとても見応えがありました。
見所は大きく二つ。イギリス兵捕虜が鉄道建設に強制労働させられる中で、日本将校の矜持とイギリス将校のプライドが対立し、お互いの意地の張り合いから膠着状態が続く前半の持続する緊張感。将校含め全員の労役を断固要求する斎藤大佐に対して、ジュネーブ協定を持ち出し建設作業の指揮を執りたいニコルソン大佐。武士道と騎士道のこの応戦には、日本人から観て若干の違和感があり、特に決着後斎藤大佐が一人むせび泣くシーンは唯一余計でした。しかし、ニコルソン大佐のアレック・ギネスと斎藤大佐の早川雪州の素晴らしい演技で、弛緩することなくこの対決を見守ることが出来ます。そして最後のクライマックスに至る後半の緩急織り交ぜた脚本の構成が、また素晴らしい。一人脱走を成功させたアメリカ海軍兵のシアーズ中佐がしぶとく生き延びてイギリス領セイロンの病院で休養する場面と橋建設場面のカットバックの映画的な表現。物語の主役が二人の大佐から、二人の少佐に変わっていくこの自然な流れ。それも階級を誤魔化し中佐を名乗っていたことが発覚するシアーズが、一転爆破作戦に加わざるを得なくなる皮肉。看護師や現地の女性と睦み合うアメリカ男の軽さを、ウィリアム・ホールデンが嫌味なく演じて人間味もある。対してリーダー格のウォーデン少佐の実直な任務遂行の生真面目さに、ジャック・ホーキンスの渋さが嵌ります。そこに若いカナダ人ジョイスが加わり、ジャングルを突き進むシークエンスは、ジョン・ヒューストンの名作「黄金」を彷彿させる定番のキャラクター設定です。岩山の稜線を奥に手前にウォーデン少佐が木に寄り掛かるショットの美しさ。渓谷のシーンでは、日本人として心が痛くなる殺害場面があります。風景の美しさが際立つと、人間の愚かさや残酷な行為が改めて意識されるのかも知れません。
映画最大のクライマックスは、脚本とリーン監督の演出の盛り上げ方の巧さに唸らされました。ニコルソン大佐が疑念を抱き斎藤大佐と橋から降りて川沿いを行く、それを見てジョイスを危ぶむシアーズ少佐とウォーデン少佐。遠くからは汽笛が聴こえてくる。そして、最後シアーズ少佐が駆け寄り、ニコルソン大佐が漸く気付くところが凄いですね。4つの視点が爆破装置に集中し増幅する緊迫感の醸成。この地獄絵図を傍観していたクリプトン軍医が呟く狂気は、そのまま戦争そのものであると、カメラは俯瞰で惨劇の峡谷を見下ろしていきます。
日本軍が使っていた銃ではないことや、橋の構造も実際のものとは違う点で、時代考証の観点から評価できない部分もあると思います。しかし、これは戦争とは結局無意味で残酷なだけであり、男の意地を通しても虚しさしか残らないことを諭す為に作られた戦争映画であるでしょう。戦争の恐ろしさと虚しさを味わうために映画鑑賞で疑似体験することを、唯一の教訓としなければなりません。その重みを感じて、刮目に値する映画として評価したいと思いました。テーマ音楽“クワイ河マーチ”(ボギー大佐)の軽くリズミカルな曲が、内容の重みを揶揄するようで、それが対比となり重さを際立たせている効果もあります。
ヒューマンビィーイングな生活が大事だ!
三回目の鑑賞だと思うが、初見は意味が分からない上になぜ橋を崩さなければならないのか矛盾を感じた。
しかし、
このルートは、ベトナム戦争の北爆をやる事になるアメリカ側の根拠で、ベトナム戦争がインドシナ戦争に拡大する重要な根拠だった。だから、ずっとこの話は実話だと思い、ほぼ疑う事なく『英国の騎士道』と『日本の武士道』の『美しき人間関係』とそれを『邪魔をする米国』と感じて、感動していた。しかし、中学2年の文化祭の時「レマゲン鉄橋」のジオラマを再現しようといた時に友人に「クワイ河にしないか?」と提案してしまった。彼に鼻で笑われた。その時までフィクションと知らなかったのだ。
さて、日本人諸氏に申したい。日本人はこんなウマシカではないし、イギリス人はこんな人道主義ではない。と。
そして二等水兵だったアメリカの疑似少佐が語る
「勇気と言う言葉に酔いしれ、死に方の事しか考えない。人間らしく生きる事が一番大切なのに!」
と言う言葉が理解して貰いたい。そんな言葉が心に染み渡る映画だと思う。勿論、フィクションだけどもね。
なお日本のJNRの一般的軌道は「狭軌」1067mmで新幹線は「標準軌」1435mm。イギリスは標準軌である。日本はそんな所からも空気が読めない付け焼き刃な事を平気でやると思う。今後は反省してもらいたいものだ。
我が誕生の二ヶ月後に封切られた僕にとっては記念すべき作品だ。勿論、フィクションだが。
この話を単純解釈して、大義名分だけをリスペクトしたのが『メリー・クリスマス♥Mr.ロレンス』だと思う。
片や。『鬼畜米英』と罵っている大日本帝國陸軍軍人がそんな言葉を発する。そんな訳が無いのだが、残念ながら、西洋人が見たら『ハラキリ民族は節操が無いね』って思うと思う。
さて、ここに惹かれたレールは狭軌レールの様だが、戦争の狂気はいつまで続くのだろう。
兎に角、最後犠牲になるのは武器を運ぶ汽車ではなく、客車である事がこの映画の主題である。デビッド・リーンの凄い所だね。
原題 The Bridge on the River Kwai
製作年 1957年
製作国 アメリカ
劇場公開日 1957年12月25日
上映時間 155分
ニコルソン大佐の哲学
ニコルソン大佐は、軍人である以前に人としての哲学を持つ人物だ。彼は日本軍の捕虜になっても人としての誇りを失わなかった。将校は労働をしないというジュネーブ協定の条文を根拠に、捕虜になっても労働への従事を拒否した。日本軍の利益にしかならない橋の工事も手を抜かずにやった。戦争に勝つことだけを考えればマイナスにしかならないと思うが、彼にとっては人としてあるべき姿であることが最も大事なのだ。『プライベート・ライアン』のミラー大尉を連想させる魅力的な人物だと感じる。
ニコルソン大佐は、将校は部下から尊敬されてこそ将校として指揮を執れるという旨の発言をしている。彼が懲罰房から解放されたときの部下達の歓声から、部下から尊敬されていることが伝わってくる。彼が橋建設の指揮を執ってから工事が進展したことからも、口先だけ立派なことを言う人間では無く、行動と能力の伴った人物であることが分かる。
救いがない、つまり反戦しかない?
伏線が幾つか走り、全てきちんと回収しているため、物語としては複雑ではあるが、どれも色ぼけず、各々にスポットライトがあり丁寧なつくり。
前半は日本軍と将校、後半は本国の作戦、が物語のテーマとなる。
ひとことで言うと、捕虜となった将校が捕虜生活でも誇りを持ち一つのことを成し遂げるが、その傍ら、本国からの作戦でその橋を爆破させるために誇りを持ち作戦に従事する将校。
結果は全てが無になり、生き残りは本国からの橋爆破の将校だけ。いや、彼もその身体で逃げれるとは思えない。恐らく自死を選ぶのだろう。
軍隊における組織論、人の動かし方、跳ねっ返りの個人、エリート、様々な魅力あるエピソードがあるが、将校の演技は見事。
組織力による創造VS破壊
「戦メリ」鑑賞記念に元祖捕虜収容所モノのこちらも数十年ぶりに鑑賞。昔見た時は「ここまで将校の優遇に拘るなんて傲慢な」と憤ったものだが、今見ると理にかなってるとよく分かる。組織を動かすには計画を立て、メンバーを鼓舞し、進捗管理を行う統率者が必要なのだ。そしてその線引きが曖昧だと組織はちゃんと動かない。会社だとマネジャーということかな。その統率力で烏合の衆(わざとサボタージュしてるのだけど)を巨大建築物の創造に向け一致団結させたニコルソン大佐と、心ならずも特殊部隊に組み入れられ、最後は命を賭して破壊の使命を全うするシアーズ。目的もアプローチも真逆の二つの「組織の動かし方」を見た思いだった。日本軍の方が組織力が劣ってるように描かれてるのが若干癪にさわるが。
クワイ河マーチ
有名な「クワイ河マーチ」、幼き頃はは大脱走のテーマとよく間違えたものだ。これを区別する覚え方があることをタクシーに乗せた芸妓さんに教わった。メロディに「サル、ゴリラ、チンパンジー♪」と替え歌を作ればOK♪試してみてください。とにかく捕虜たちの考えることは脱走だ。シアーズとその仲間は脱走して銃殺、しかしシアーズは命からがら現地人の村にたどり着いた。救出されたが、実は中佐の振りをしていたということも明らかに。
所長の斉藤(早川)はイギリス人士官にも労働せよと命じるがニコルスンはジュネーブ協定を盾にあくまでも拒む。兵も作業を妨害、板挟みになった士官も大変だ・・・。結局は武士道が粘り負けしてしまう。
「おい、お茶!」「おい、お茶!」「おい、お茶!」・・・伝言ゲームのような命令で笑ってしまうほど、橋の建設計画会議が順調に進む。そして、奇しくも橋爆破側の作戦に参加したシアーズ。一方では完成した充実感、他方では日本軍の勢いを止める使命感。両者の思惑が列車が通過する瞬間までぶつかり合う。
マッドネス、マッドネス・・・苦心の末、英軍兵士たちが作った橋を壊してしまった。しかも列車も同時に転落。戦争とは何もかも破壊するもの。虚しさの中に軽快なクワイ河マーチが響いている様は何とも言えない苦々しさが残る。
敵国同士が協力してかけた「美しい橋」
戦争の虚しさをヒシヒシと感じました。
「戦場にかける橋」
題名がロマンティックです。
もしかしたら敵国同士が橋を通して理解し合う・・・
そんな予感はもろくも砕かれました。
さすが名匠・デヴィッド・リーン監督作。
予想以上の傑作でした。
第30回アカデミー賞で、7部門受賞しました。
作品賞/監督賞/脚色賞/主演男優賞(アレックス・ギネス)
撮影賞/作曲賞/編集賞
(クワイ河マーチは聞いたことがある方が多いと思いますが、
(明るいリズミカルな親しみ易い曲ですね)
第二次世界大戦最中の1943年。
日本軍はビルマの国境付近で、イギリス軍の捕虜を労働力にして、
クワイ河に橋(鉄道も通れる)の建設をしていた。
捕虜収容所所長の斉藤(早川雪洲)と捕虜を率いる
ニコルソン大佐(アレックス・ギネス)は、激しく対立していた。
しかし斉藤は期限までにどうしても橋を完成させなければならない。
一方、ニコルソン大佐は日本軍の設計では橋が沈んでしまう・・・と、
イギリス軍の主導で見るも見事で芸術的な橋を完成させる。
しかしイギリス軍の316部隊(決死隊)は、ある計画を立てていた。
橋が完成したら予想される日本軍のイギリス領インド帝国への進撃が
激しく進む。
それを阻止するために、橋を爆破して更に一番列車を
爆撃して同時に落下させる。
その計画のため決死隊5名が選ばれて、ビルマの国境付近の橋めざして
困難な行路を辿る。
(爆薬を携えて川を渡り、山を越える=荷物運びは現地の若い女性)
困難を極めます。
そして橋げたの下に爆薬を設置・・・
もうハラハラしました。
美しい橋を落とす・・・
せっかくイギリス人捕虜そしてニコルソン大佐の思い入れのある
素晴らしい橋!!
でも316部隊(決死隊)の任務は橋を爆破すること。
ラストは異様なほど盛り上がります。
この作品は反戦映画だと思います。
敵と味方(日本軍と英国捕虜)が協力して「橋」をかける。
その橋を爆破するイギリス兵はある意味では、
橋を破壊する許せない味方。
この皮肉。
ニコルソン大佐の橋への愛情は募ります。
戦争の破壊行為にはどんなもっともらしい理由があっても反対です。
ウクライナの発電所を破壊するロシア軍。
(壊すのは一瞬でも、建設には何年もの月日と建設費が掛かっている)
ライフラインを破壊する行為は、決して許されないことです。
だからせっかく努力して建設した「戦場にかける橋」
これも破壊されるのは、悲しい虚しい行為でした。
だからこそ戦争の愚かさと虚しさを訴えて、
胸に迫って来るのでしょう。
☆デヴッド・リーン監督作品。
逢びき、大いなる遺産、旅情、アラビアのロレンス、
ドクトル・ジバゴ、インドへの道など。
【”君は、”クワイ河マーチ”に込められた想いを知っているか!”英国将校の、日本軍の捕虜になっても失わない気位と共に、戦争の愚かしさを見事に描き出した作品である。】
ー 今作のメインテーマである、”クワイ河のマーチ”は不惑以上の年代の方であれば、例えば小学校の運動会の入場行進曲などで、聞いたことがある方が多いのではないかと、推察する。
明るく、勇壮な曲調であり、日本軍に囚われた英国軍が見事に逆襲する・・、と言う事を想起させる。
だが、今作を観れば分かるのであるが、決して勧善懲悪の物語ではなく、戦争の愚かしさや虚しさを描いた作品なのである。-
■第2次世界大戦下のビルマ。
日本軍捕虜収容所に、ニコルソン大佐(アレックス・ギネス)率いるイギリス軍捕虜が送られてくる。
所長・斎藤大佐は、彼らにアメリカ軍少佐・シアーズ(ウィリアム・ホールデン)と共に泰麵鉄道のバンコウとラングーンを結ぶための橋梁建設の労役を命じる。
だがニコルソンは将校を働かせるのは、ジュネーブ協定に反すると主張し、斎藤と対立する。
◆感想
・今作で、捕虜収容所を束ねる、斎藤大佐の位置づけは重要である。期日までに橋を完成させないと、切腹せざるを得ない。彼はジュネーブ条約を盾に、将校を労役に就かせないと主張するニコルソン大佐を見せしめの様に”オーブン”と呼ばれる獄に繋ぐ。
だが、ニコルソン大佐はそれに屈しない。
ー 今作が、奥深く描かれているのは、日本の大佐を安易な悪役として描かずに、大佐も又、上部からの指示通りに橋が作れない事に苦悩する姿をキチンと描いている事だと思う。-
・そして、ニコルソン大佐を懐柔しようとする斎藤大佐に対し、橋の建設方法の瑕疵を指摘し、捕虜の殊遇改善も含めて、交渉していくニコルソン大佐の姿。
ー 彼の政策は身を結び、英国捕虜だけではなく、日本軍も橋梁建設に協力して行く様。-
・一方、序盤に収容所を命からがら脱出した、アメリカ海軍のシアーズ中佐(ウイリアム・ホールデン)が、保養所でノンビリしているところにウォーデン少佐(ジャック・ホーキンス)が現れ、シアーズの身分詐称を指摘しつつ、現地に戻る事を指示する。
■橋梁建設に、惜しまない努力を費やすニコルソン大佐。だが、一方ではその橋を爆破しようとするウォーデン少佐らの企み。
そして、見事に橋梁はニコルソン大佐達の優れた工学知識により完成するも・・。
<今作は、メインテーマソングだけ聞くと、単なる第二次世界大戦時の反日本映画と捉えらえがちであるが、実は違う。
今作が描いたのは、戦争の愚かしさや、虚しさである。
そして、それを分かりつつ、懸命に与えられた任務を遂行しようとしたイギリス、アメリカ、日本の軍人たちの姿を見事に喝破した点が素晴しいのである。
反戦映画の逸品であろう作品である。>
名誉と誇り…男たちの架け橋!
第30回アカデミー賞作品賞受賞作。
Ultra HD Blu-rayで2回目の鑑賞(吹替)。
原作は未読。
第二次世界大戦中、日本軍の捕虜になったイギリス軍将校と捕虜収容所所長の日本軍大佐、それぞれの生き様のぶつかり合いを、クワイ川鉄道橋梁建設を絡めて描いた大作。
とにかく、豪華キャストでした。「麗しのサブリナ」などのウィリアム・ホールデンや、「スター・ウォーズ」シリーズのオビ=ワン・ケノービ役でお馴染みのアレック・ギネス、アジア人で初めてハリウッド映画界のスターダムに登り詰めた早川雪洲など、国際色豊かな面々が出演していました。
イギリス軍将校と日本軍大佐、双方のプライドがぶつかり合った末に友情のようなものが芽生え、お互い協力し合って、見事橋梁は完成しましたが、イギリス軍の破壊工作によって、それらが脆くも吹き飛んでしまいました。虚しい…
クライマックスに向け、様々な視点がひとつに結びついていく演出が巧みでした。戦争の理不尽さ・無残さをしっかりと描きながら、理解し合うことで歩み寄れる人間と云う生き物の素晴らしさを訴える珠玉の名作だと思いました。
[以降の鑑賞記録]
2021/12/08:Ultra HD Blu-ray(吹替)
※修正(2024/03/21)
戦争の虚しさを軸にした娯楽大作
むかしから観たいと思ってて観そびれていた映画。やっと観られた。
古い映画を観ると画質や音質など正直つらいことも多いが、あまり気にならなかった。
1957年公開ということで、戦後12年という時期でのこのクオリティは脱帽だ。
戦争映画にしては雰囲気が明るいのだが、多くは誰もが知ってる音楽のせいだろう。当時は戦争の記憶がまだまだ生々しかったであろうから敢えて明るく仕上げたんだろうか。実際、音楽を除けば軽快な場面はほとんどない。映画のトーンを左右するほどに映画音楽が重要であることがよくわかる作品でもある。
さて内容はといえば、日本人にとっては複雑な捕虜虐待的映画だが、これも戦後12年にしてはニュートラルな視点。悪の権化のような描かれかたはされていない。捕虜収容所とはいえ母国が交戦中の折り、夕陽を見ながら双方の長が語らう場面は印象的だった。
そして終盤、次第に大きくなる汽笛をBGMにして繰り広げられる展開にハラハラ。捕虜の大佐、イギリス軍、日本軍、いったい誰に感情移入してハラハラしているのか。みな必死の使命、誇り、意地をかけて...作中の作戦遂行の成否にこれほど複雑な気持ちになったことはないかもしれない。
ラストの橋を巡る描写は、その後の娯楽作品のお手本にもなったことだろう。
南方の日本軍・・
戦争映画の名作。太平洋戦争は当初日本軍は強かった。シンガポールで降伏したイギリス兵士をビルマの捕虜収容所に入れて強制労働させた。国際法に違反した日本軍は悪者だが、戦争映画の暗いイメージはなく口笛のなるマーチのテーマ曲が明るい。最後はやっと完成した橋が・・1957年のアメリカ映画。
ニコルソンの主義と斉藤の意地、生き方を問う作品 誇り高く死ぬか人間...
ニコルソンの主義と斉藤の意地、生き方を問う作品
誇り高く死ぬか人間らしく生きるか、極限での選択に身が引きしまる
国家の対立を超えた人間の友情、その結晶としての橋、そして破壊され、戦争という大きな流れに飲み込まれる悲劇。実に意義のある社会的擬似体験をした
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