劇場公開日 1957年12月25日

「戦場における軍人としての矜持」戦場にかける橋 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0戦場における軍人としての矜持

2025年2月26日
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鑑賞方法:映画館

実は、鑑賞の終わり部分では、ニコルソン大佐が連合国軍の爆破作戦を予期していたのかと、ずっと考えていました。

すなわち、この橋は、いわゆる泰緬鉄道のルート上に位置して、日本軍の東南アジア進出(侵略?)には、欠かすことのできない重要な交通手段だったはずですから、連合国軍が、その建設を阻止しないことは、あり得ないと考えていたからです。

もちろん、ニコルソン大佐も日本軍の捕虜として収容所に捕らわれている身の上、連合国軍の作戦行動の詳細は知ることのできる立場にはなかったことは明らかですけれども。

しかし、ニコルソン大佐も連合国軍の幹部(将校)であってみれば、連合国軍がこの橋の完成を容認しないことは、充分に理解していたと考えていたからです。

つまり、ニコルソン大佐としては、一見、橋の建設に協力するかのように見せかけて、捕虜たちの待遇を改善させ、それによって連合国軍捕虜たちの安全と生存とを確保しようと考えたのだと理解したからでした。

しかし、実際は、そうではなかった模様。

ニコルソン大佐としては、日本軍の敗戦(降伏)が、そう遠い将来のことではないことを見越して、地元住民の便利のために(自らの部隊の存在を後世に残すために)橋の建設に協力した―といったところでしょうか。
そう理解すると、ニコルソン大佐が、わざわざ橋に銘板を据え付けたことにも、合点が行きそうです。

いずれにしても、極限状態(戦争、そしてその戦争による虜囚の身の上)でも、斎藤大佐の理不尽な要求には屈せず、飽くまでも規律を重んじる軍人としてのニコルソン大佐の矜持は、「統率者」としての将校は、部下の前では、部下と同じ労役には従事できないということでしょう。
(ジュネーブ協定に規定があるから、というのはむしろ論理が逆で、ジュネーブ協定の規定は、その精神を体現するものと理解すべきだと、評論子は思います)

そういうニコルソン大佐の矜持を描く作品ということでは、「午前十時の映画祭」のラインナップに加わるにも十二分に値する、佳作としての評価が適切な一本だと、評論子は思います。

talkie
トミーさんのコメント
2025年2月26日

共感ありがとうございます。
戦争に対する様々なスタンスって感じでしたね。皆バラバラなベクトルで、一瞬英日の共感が生まれたかと思ったら、ドカーン!やはり一瞬で全て無に帰してしまいましたね。

トミー