「『ショスタコーヴィチ交響曲第5番 革命』の為の映画」戦艦ポチョムキン マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
『ショスタコーヴィチ交響曲第5番 革命』の為の映画
ウクライナとの関係を考えて見よう。
モンタージュされた場面を単純に繋げて見ると面白い事が分かる。
帝政ロシアはロシア人。それは正教会の神父らしき人物が出てくる。
主人公ワクリンチュクはユダヤ人それは十字架をもろともせずに挑む姿で分かる。
オデッサの貧困層の市民はユダヤ人。それは『ユダヤ人め!』と口走るブルジョア風の男に、周りの市民が怒りだす。さて、同じユダヤ人が押しかけるオデッサの階段に、ウクライナ人のコサックが発砲をする。つまり、虐殺って事だ。
映画を素直に読み取ると、ユダヤの民をロシア、ウクライナが寄ってたかって虐殺しまくるって事なのだ。
では、事の真相は?コサックをウクライナ系ロシア人と見る以外は、全部の民族が入り混じっていると言う事。つまり、侵略戦争では無く、階級闘争と言う事だ。それは、映画の最初にレーニンの言葉で分かる。
しかし、プーチンの理論は、この映画が発端の様に思う。つまり、ウクライナ系ウクライナ人に対して『ナチス!』と言っている根拠。そして、ゼレンスキー大統領がロシア語しか喋れないユダヤ系ウクライナ人と言う事が問題を更に難しくしている。
レーニンもスターリンもフルシチョフもロシア系ソ連人ではないと言う事も理解しておくべきだ。
更に当のエイゼンシュタインはユダヤ系ソ連人。正教会をないがしろに出来る訳である。高校2年の時、ソ連を賛美する世界史の教師から見に行くように進められて、どこかで見た記憶があるが『プロバガンダ映画じゃん』って思った。改めて見ると階段落ちや虐殺場面は迫力がある。
また、あとから足されたのか『ショスタコーヴィチ交響曲第5番 革命』の為の映画のような気がした。
個人的に来週オーケストラでその演奏を聞きに行く。楽しみ♥
以下 6月4日 かつしかシンフォニーヒルズにて
『ショスタコーヴィチ交響曲第5番 革命』の感想
『革命』はショスタコーヴィチが、エイゼンシュタインのこの映画を見て、作曲したと仮設を立てたい。妙に絵と音楽があっている。さて、
アンコールで『チャイコフスキー』の『アンダンテ・カンタービレ』をマイストロ自らが、バイオリンを奏でた。大変に異例でもあり、言うに及ばず、素晴らしい演奏だった。ブラビー!♥
でも、この映画は!この音楽が作曲される前の映画なんだよね。
マサシさんへ。
音楽についてのご質問ですが、小生が1976年7月6日後楽園シネマ(「想い出の夏休み」の二本立て、600円)で初めて観たフィルムは、ロシアのニコライ・クリューコフという人が作曲した音楽付きの1950年版でした。しかし、音楽の印象は残っていません。これはエイゼンシュテイン(1898年~1948年)が亡くなってから、助監督のグレゴリー・アレクサンドロフの判断で作られたサウンド版のようです。ATGの本邦初公開もこのフィルムと思われます。でもエイゼンシュテイン自身は、1926年のドイツ公開に合わせてスコアを制作したエドムント・マイゼルの伴奏音楽を認めていたそうです。これが2005年のサウンド版として制作されました。(サイレント映画では伴奏曲を指定する事例がありました)そして1976年にポジ・プリントの再構成をした時、巨匠ショスタコーヴィチの交響曲を合わせたといいます。サイレントと三種のサウンド版の全部で4種類があるのですね。VODでは、ベートーヴェンやショパンなどのクラシック名作曲家揃い踏みのものまであります。これは邪道ですね。エイゼンシュテイン監督の意志を尊重するなら、2005年版が良いと思うのですが。
マサシさん、コメントありがとうございます。
エイゼンシュテインは映画表現を追求した真の巨人で、映画史的にはグリフィスやチャップリン、ドライヤーやオーソン・ウェルズと並び称される偉人ですが、ソ連生まれ故に国策映画の影響を強く受け、完璧主義も相まって作品数が極端に少ないですね。他に「ストライキ」と「アレクサンドル・ネフスキー」を観ていますが、どちらも演出とモンタージュの拘りが極めて独創的でした。また、この作品に並ぶ代表作「イワン雷帝」の製作過程を読むと大変苦労したことが窺えます。社会主義国家での映画制作には、資本の恩恵に対して内容の干渉と圧力が伴い資本主義国と比較し辛いものを感じます。