「最も劇場での鑑賞が困難を極めたボンド映画がベスト作の印象を残し、40数年ぶりに劇場鑑賞実現に感涙」女王陛下の007 アンディ・ロビンソンさんの映画レビュー(感想・評価)
最も劇場での鑑賞が困難を極めたボンド映画がベスト作の印象を残し、40数年ぶりに劇場鑑賞実現に感涙
追記として、60周記念の機会に初公開から初めてのリバイバル上映を遂げた、最新4Kレストア版での劇場鑑賞の所感を記しておきます。
新宿ピカデリー(3)にて9月24日、ついに劇場再鑑賞の日を迎え事ができた事、感激でした。
このような日が来ようとは、数十年来まさか想像だに出来なかった。
まさに、本当に夢のようです。
劇場での初鑑賞以降も、繰り返しLDやオンエアーでも再三鑑賞してきたにも関わらず、改めて劇場での鑑賞が叶ったことで、この映画の唯一無二感を再確認出来たこと、当時の自身のこの作品への想いに間違いが無かった事を確かめる事が出来たこと、本望です。
また、この映画の持つ壮大感、スピード感、素晴らしい音楽など、今作品の真髄は劇場スクリーン上に映し出されてこそのものであるとも改めて実感する事が出来た事、この上ない喜びでした。
当然ながら、映像のレストアに加えて修復されてより臨場感の増した音響により、前述の壮大感やスピード感、情景の美しさや音楽の鮮明さなどがよりUpしたような印象を受けました。
ヨーロッパ、アルプスなどの映像の美しさと共に、初めて、そして今作のみ唯一ボンドが見せた純粋な愛と、その後のシリーズにも受け継がれる職務を超えた(ある種の私闘)情熱的なその姿は、観る者に強烈な印象を残すと思います。
シリーズ中、『ダイヤモンドは永遠に』までの作品中で、唯一リバイバルされる事が無く、黙殺状態にあった本作がついに、名実ともに汚名を返上する事ができたことに感無量に劇場を後にしました。
追記2
この作品はそのテンポの良さや魅せ方など、その編集が秀逸であるということが要因としてあげられるだろう。
この作品の監督であるピーター・ハント氏も、前作までの編集者だったという経緯がある。
では、今作の編集者はというと、第2班監督も兼任していた”ジョン・グレン”氏その人である。
下記に、「’90年代以降辺りからこの作品の再評価の機運が顕著になったと思う」ように述べたが、『女王陛下の007』再評価ムーブメントの火付け役こそ、そのジョン・グレン氏だったと確信している。
それは丁度、’80年代に入ってからのこのシリーズをジョン・グレン監督自らが連続的に5作品を受け持つ結果となったその時にこそ、その口火を切った時だったからと。
今作以降のシリーズは、ジョン・グレン氏以前にはルイス・ギルバート監督とガイ・ハミルトン監督が受け持っている。
単純に、ブロフェルドの描写からしても『二度死ぬ』ブロフェルド→『ダイヤモンドは永遠に』ブロフェルドはその服装や振る舞いなども含めイメージが近く、むしろストーリー的にも宇宙技術の悪用など連続性があるかのようなシームレスな描かれ方になっていてまるで続編の様相だが、今作のサヴァラス=ブロフェルドに限ってアクティブな行動派ブロフェルドになっており、全く毛色の違う別イメージになっているのは明らかだと思う。
要するに、この件から考えるに、今作『女王陛下の』自体の設定や経緯を含めたその後の取り扱いに困り、取りあえずはスルー(あえて触れない)対応を取る方針になっていたのであろうことは容易に想像できる。
それが、編集者と第2班監督という立場で『女王陛下の007』に大きく関わり、いつかその汚名を晴らしたいという気持ちを抱いていたに違いないジョン・グレン氏にとって、ついにシリーズの監督という立場から、そのチャンスが回ってきたということが想像できるからである。
監督就任前の『私を愛したスパイ』、『ムーンレイカー 』の2作でやはり編集・第二班監督を兼任した後、自作で満を期してそこまでのお遊び脱線し過ぎを抑えた路線への軌道修正を図った流れは、まるで『女王陛下の007』とその前作までとの関係性とも重なる物がある。
これにより、同監督作の時代に入ってから初めてダイレクトな『女王陛下の007』繋がりの「結婚の過去」や「任務を逸脱する人間的」描写が顕著化され、これ以降の世代に再認知されていくムーブメントを巻き起こしていったということは間違いないだろう。
また、今日の有名監督や、著名俳優などが口を揃えて本作を称賛するようになったこと、それが正にこのムーブメントを受け止めた世代に一致していることは見逃せない。
要するに私が述べたいことは、「ジョン・グレン監督の本作への作品愛がなかったら、現在のこの180°転換な作品評価も幻の物だったかもしれず」、ということなのです。
以下、初鑑賞当時の今作を取り巻いていた状況など...
シリーズのその後の方向性と、プロデューサーの力関係を決定付けてしまう結果となってしまった作品でもある。
また公開当時とその後の現在までに、ここまで評価が完全に180°変わってしまったのを経験させられた作品は恐らく皆無。それは特に’90年代以降辺りから顕著になったと思う。
同シリーズ内に於いての評価順位変化や、著名俳優たちによる”持ち上げ”も可なり。
そうした事から、現時点での最終作には挿入歌の流用のみならず、思いっきりオマージュやまるで姉妹編かのような演出がなされ、ついにここまで来たかとビックリ。
単純に言えば、原作重視なリアル路線派のハリー・サルツマン氏主導の製作と、それまでシリーズの編集を行って養った手腕で監督を引き受けたピーター・ハント氏のコンビ作で制作された意欲作だったのが、興行的不振(007の水準だと失敗)に終わった事で、以降、皮肉にも娯楽路線重視のブロッコリ一族がシリーズを牛耳る切っ掛けをもたらしてしまった作品でもあったという本作。
尚、サルツマン氏は007のアンチ・テーゼ作品の「パーマー」シリーズや『空軍大戦略』などのプロデュースで有名でした。
更にこの興行不振により、当初既に3代目ボンドに決定し契約とギャラの支払いまで行われたとされるジョン・ギャビンをキャンセルしてでも「大金叩いてもコネリーを呼び戻せ」との制作会社のユナイトからの至上命令で、次回作『ダイヤモンドは永遠に』で一作限定カムバックを実現させる事となったなど、当時は大いにゴタゴタ起こした「問題作」としては名を残す結果に...
そうした経緯からも、昭和の時代に、どこの名画座でも無視されて最も鑑賞困難作品の一つだった。
世間的に低評価という事で知れ渡っていて、「ショーン・コネリーじゃ無い」ことで、全くやってくれませんでしたから。
なによりも、そういうワケで当時最高傑作の呼び名も高かった『ゴールドフィンガー』を引っ張り出して来た事から始まった一連のリヴァイバル上映のラインナップでも、当然飛ばされる憂き目に。(そうした事のそもそもの原因なワケですから)
元はと言えば、不人気だった本作から次作「ダイヤモンド〜」まで2年近く開いたために講じられた異例の措置がリヴァイバルが開始の切っ掛けとなった訳ですが、「ダイヤモンド〜」の敵役は原作ではブロフェルドでは無かったため、実は当初この映画についても「ダイヤモンド狂」の“ゴールドフィンガーの弟”という設定になっていた事から、『ゴールドフィンガー』をリヴァイバルしておいて流れを作っておくという事により決定されたとの推察の方が、オールド007マニア的解釈かな?
(早くも主題歌にシャーリー・バッシーが再登場した理由についても、このような経緯を知ったことで、その歌詞の内容についてもスンナリと納得出来るものがありました。)
しかし、「007シリーズ、全作劇場鑑賞(というかそもそも他に方法無い)制覇」を掲げていた関係上、成し遂げることはもはや悲願だった私にはそうした事などどうでも良いことだった。
当然、周りには「シリーズ全部観た人」なんか誰もいませんでした。
それに事実上「観れない」となると、返って益々興味が増すばかりに。
兎に角当時は、「主演のレーゼンビーの演技がダメ」とか「それまでのと違って秘密兵器やメカが登場しない」ので「ボンドが体技でもって戦う」など、出版物等で可成り否定的に叩かれて低評価を受けていたため、それをまに受けて殆ど誰も見ようという気にならない「不人気作」状況だった事から、まず何処の名画座でもやってくれるところが皆無という有様でした。
それでも懲りずにず〜と諦める事なく新聞の映画欄や当時創刊間もなかった「ぴあ」なんかでいつもチェックしてたもんです。
そしてついにある日、「蒲田アポロ」で3本立て上映の一本に上映されるのを発見し、「なんかの間違いでは?」と半信半疑で確認をとり、ついにその時を迎えました。
(というのも、過去に「女王陛下の〜」の別映画だった誤植があった...)
っで、鑑賞しての感想は「評判と違って、全然面白いじゃないかっ!」だった事は今でも忘れ得ません。
その時点で『女王陛下の007』は、自分の中の生涯ベストの中の一本に加えられたと思います。
音楽のカッコ良さとスキーでの追撃戦のスピード感ある映像や、ユニオン・コルスを従えてのスリリングなクライマックスの銃撃戦に加え、何よりもボンド作品唯一の真面目なラブロマンスであり悲恋ものという、ボンド生涯唯一の真剣な恋愛から結婚を遂げるというオンリーワンなストーリーは可成りジーンと来ました。
それだけに、この一本だけで降りてしまったレーゼンビー氏、とても残念に思いました。
しかし当時としてはコネリー=ボンドのイメージが強烈過ぎて、大衆の多くがそれ以外の俳優にアレルギーを起こしてしまったという事も無理もなかったんでしょうね。
しかし、もしもこの作品のボンドをコネリーでやっていたらと想像したら、レーゼンビー氏のような若々しさでは無く、次作の『ダイヤモンドは永遠に』でのカムバック時の結構老けた感からして、このような仕上がりにはならなかったんじゃないかと鑑賞後にも思いました。
それを考えると、この作品だけ唯一無二の運命的な作られ方だった作品の様にも思えます。
原作小説も当時の邦訳本で全て入手し、この作品も公開時のハヤカワミステリ版で読んでますが、映画用に別物の様に大幅アレンジを加えられたシリーズの他作と比べ、一番原作に近い忠実さで映像化されている点も好きな所です。
それだけ、元の小説版のストーリーはよく出来て魅力的な作品故でしょうね。
因みに、この早川版はその大半が映画化の際にカラー写真の限定外カヴァー付きと化し、その殆どを所有していますが、今作『女王陛下の007号』のはどう見たって”ボブスレー扮装のヘルメット着用状態の「ブロフェルド」”となってしまって笑えます。
当時はショックでしたが...
恐らく、早川の担当者が、この状態の「ボンドとブロフェルドの見分けつかなかった」のが原因だったと想像されます。
コネリーじゃ無く、混乱したんでしょう「どっち?」と。
ある意味、如何にこの作品が軽んじられていたかを表すエピソードとも...
祝🎊悲願の再公開決定!
初公開以来50年以上、唯一今作だけ「リバイバル」のラインナップから黙殺されて一度も劇場再公開されなかったのが、2023年9月20日からの4Kレストア版リバイバル上映に決定したとの事です。
是非、劇場でこの作品を味わって頂きたいと思います。
おまけ
戯言ですラストについて、通常はあの悲劇的結末は「ブロフェルドによるボンド暗殺の流れ弾によりトレーシーが...」との表現されますね。
しかし、何回もこの作品を観ていて、全体の流れとその人間関係から考えてみた場合、別の面が見えてきます。
当然ブロフェルド氏は「憎きボンドを殺せっ!」とイルマ・ブント女史に命じていたことは間違いなく、「仰せのままに」と答えたことでしょう。
しかっし、ここでイルマ・ブント女史の心情から考えるに、「自分には目もくれずモテモテのボンドは美しい恋人までいて、そいつに任務邪魔されて...」だけでもヤけて腹立つのに「すべてを捧げてきたブロフェルド氏までがトレーシーに求婚!?」となって、勝手にターゲット変更しちゃったんではないか、要するに初めからボンド狙ってなかった可能性が...
どう思われます?
教えて頂きネットオークションなど一通り見てみましたが21曲英国版は稀少ですねー!
あわよくば入手出来ないかな?と思いましたが、気長に探してみます^ ^
ユア・アイズ・オンリーはお墓参り&ブロフェルドとの決着からですものね。
2年半前、当時高校生の息子に007シリーズを見せたくてドクターノオからマラソンしました。間にムーンレイカーを挟む構成に一瞬「?」と感じたものの、ムーアボンドで初めて「これは良い!」と膝を打ったお気に入り作です。
そうか、今、連続鑑賞すれば違和感ありませんが、公開当時は「女王陛下〜」を知る鑑賞者は僅かだったのですねー!
はい、ユア・アイズ・オンリーのレビューにコロンボとパパ・ドラコの件、書いておりまする〜♪(サンダーボール作戦のラルゴもw)
「消されたライセンス」も異色の意欲作だったと思います。
「007」の冠を返上してリアリズム路線、ハードコア路線を貫いたジョン・グレンの心意気を感じます。
この一作があればこそ、後の監督達もコネリー&ムーアの幻影に捉われる事なく新しい時代のボンドを創造出来たのかもしれませんね。
当時の実情がわかる貴重なお話の数々をありがとうございます!
はい。
私も本作の自レビューに書いた通り(アンディさんの6つ前にあります^ ^)ご多聞に漏れず当時の悪評から未視聴組でしたー。
本作公開の年生まれですので意識したのはTV放映された10歳頃で茶の間のTVでは流れていたと思うのですが流し見程度。(母が洋画好きで彼女が15〜25歳だった60年代作品は物心つく前から頻繁に観せられて育ちました。基本的にTV放映ですがw)
8歳頃から「ナポレオンソロやオシャレ探偵、スパイ大作戦、国際諜報局などが大好きと思われる某少女漫画家さん」に傾倒し、それらスパイドラマ関連情報を意識的に収集するようになりましたが、情報誌一つも小中学生の小遣いでは手が届かず。
「罠を張れ」レビューも拝読させて頂きました。
オクトパシーvsネバーセイ〜の年にナポレオンソロもやってたんですねー!当時、ボンド対決は意識してましたけどソロは全然記憶に無いですー。
ソロの劇場作品、2作とも見てみますね♪
ご教示ありがとうございます。
また共感作にて宜しくお願い致します^ ^
参考までに、
当時の世間の空気感はとても、この作品を観たいとか、観て面白かったなどと口にできるような状況に無かったです。
ましてや「すごく良かったので、好きな映画」だなんて言ったりしたら「お前オカシイん(バカ)じゃ無いの?」となりましたね。
「女王陛下」関連内容が『罠を張れ』のレビューにも一部含まれてるので、良かったら見てみて下さい。
ありがとうございます。
単純な言い方すると、それまではすっかり秘密兵器やメカ登場がパターンになり、観客もそれに慣れきってしまってたとかの理由は大きいです。
それで、英国らしくミニカーとか、日本は「サンダーボール」などで水中メカのプラモデルとか一杯出たりしてたのが、今作は何も無かったから…(笑)