「哄笑の対象はいつでも人間なのだ」世界残酷物語 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
哄笑の対象はいつでも人間なのだ
世界各地の奇異な習慣の紹介よりも、ビキニ環礁の原爆実験の影響を大げさにデフォルメした映像が最も印象に残った。
空を埋め尽くす海鳥たち。海岸に数え切れないほどの卵を産み、戻ってきては卵を温める。しかし卵は放射能の影響で既に死んでいて、親鳥がいくら温めても孵化することはない。
ウミガメは海岸を掘って卵を産むが、放射能で方向感覚を失って海に帰ることが出来ない。丘にはウミガメの死骸が点在する。死んだばかりのウミガメに鳥が卵を産む。やがてウミガメはヒナの餌となる。ヒナがウミガメの肉を食べ尽くして骨だけになる頃、別のウミガメがやってくる。
ハゼのような魚は、放射能で満たされた海に戻ろうとせず、浜辺の木の上に登る。海から上がっても、暫くは生きられるように変化したのだ。木を叩くと魚が落ちる。なんとも不思議で気持ちの悪い話である。
原爆を俗物根性が生み出した悪だとすれば、現在でも世界各地に存在している原発もまた俗物根性が生み出した悪だと言える。逆に言えば、スノビズムの愚かしさの象徴のような存在が原発なのだ。原発を推進する自民党議員の愚かしい顔を思い浮かべれば、それも納得できる。
本当か嘘かわからない、いかがわしい映像の連続する作品であるが、映画全体を通じてヤコペッティの悪趣味が地鳴りのような哄笑を誘うようだ。悪趣味もここまで徹底すれば立派な文化たり得る。世界中でヒットしたのもある意味うなづける。哄笑の対象はいつでも人間なのである。
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