劇場公開日 2016年12月17日

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「言い様のない沈黙を煙草の煙で埋めて」スモーク 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0言い様のない沈黙を煙草の煙で埋めて

2018年1月5日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

楽しい

幸せ

ええと、これ、実は一昨年のクリスマスに投稿しようと
してたレビューです。まあほら、ね、クリスマスも
海外じゃほぼ新年のイベントじゃないですか。
縁起の良い映画ってことでひとつ許してくださいな。
(のんびりにもほどがある)

ウェイン・ワン監督、ポール・オースター脚本。
大好きな映画『スモーク』が一昨年前に
デジタルリマスターで再上映。この日は
クリスマスイヴだったので、クリスマスっぽい
映画が観たいのうと、ちょっと遠出して
初来訪の静岡シネギャラリーにて鑑賞。

舞台は1990年夏のニューヨーク、ブルックリン。
妻を亡くして以来、本を書けないでいる作家ポールと、
彼の行きつけの雑貨屋の主人オーギーを中心に語られる、
少し可笑しくて、哀しくて、そして暖かな人間模様。
……え、真夏のニューヨークを舞台にした映画の
どこがクリスマス映画だって? 本作を未見の方なら
そう思うだろうが、それはエンドロールまでのお楽しみ。



雑貨屋の主人オーギーのライフワークは、
同じ時間、同じ場所で写真を毎日撮り続けること。
アルバムに収められた写真は一見すると同じだが、
無数の人々の無数の表情、そのひとつひとつが毎回異なる。
それは彼/彼女が確かにその瞬間に存在し、生きていた証だ。
普段想像するのは難しいが、雑踏で通りすがる見知らぬ人々
にもこの物語の主人公や、自分自身と同じくらいの、
いやもしかするとそれ以上の密度の人生が存在している。

その優しい視線が、つらい環境に置かれた
ひとりひとりの登場人物たちに注がれている。
生き別れた父のことを理解したいと、
身分を隠してその父の仕事を手伝い続ける少年。
喪失を分かち合い受け容れて欲しかったろうに、
醜く頑なな態度しか取れずに泣いた少女。



タイトル『スモーク』の意味を考える。

とある場面で、父と息子との間に流れる張り詰めた沈黙。
その言い様のない沈黙を、お節介焼きな作家と雑貨屋の
煙草の煙がふんわりと埋めていく。それをきっかけに、
刺々しかった沈黙が、少しだけ柔らかい沈黙へ変わる。
この父子はきっとこの先もやっていけるだろう。
なんとなくだけど、そんな心持ちになる。

受け容れられない人間との間で流れる沈黙は
苦痛だが、逆にその沈黙が苦痛でなければ、
それはその人を受け容れ始めている証拠だ。
相手がいることを受け入れる気持ち。
相手と沈黙の時を共に過ごそうという気持ち。
煙はきっと、相手を受け入れようとする優しさだ。

冒頭でポールが語る、煙草の煙の重さを
量ったというウォルター・ローリー卿の逸話。
煙草の重さを量り、そのあと秤の上で
煙草を吸い、灰をそのまま秤に落とす。
最後に吸殻を乗せ、最初の煙草の
重さから引けば――それが煙の重さ。
それまで費やした人生と、これから費やす人生。
その合間を埋める煙。煙こそ、これまで自分の
人生以外に費やしてきたものなのかも。



映画の最後、オーギーがポールに語る物語は、
本当か作り話かは分からないけれど、思わず
涙が出てしまうほど堪らなく優しい物語だし、
その一方で残るわずかな後ろめたさが、
そこに真実味を与えていると思う。

「秘密を分かち合えない友達なんて友達と言えるか?」
薄く微笑みながら、旨そうに煙草を燻らせるオーギーとポール。
そして流れるモノクロのエンドロールと、しわがれ声で
トム・ウェイツが唄う『Innocent when you dream』が、
煙のように目に沁みる。

この映画を観れば、誰かと一緒に温かい食事を
摂ることの幸せさや、人に優しくすることで自分の
心が満たされる感覚を多少なりとも思い出せるはず。
遅くなりましたけれどハッピー・ニュー・イヤー。
今年も・今年は・今年こそ・善い年になるといいですね。

<了>

浮遊きびなご