スピリッツ・オブ・ジ・エアのレビュー・感想・評価
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リアリティのない妄想劇
1989年の幻の名作復活と聞いて観てみたが、余りの突飛な舞台、人物設定に只々困惑。
砂漠の中の一軒家、車もなく町からも遠い、水や食料はどうしているのだろう、ハインツのベイクドビーンズを食べていたが、とうてい長期に暮らせる訳はない。
飛行機の話と思ったら鳥人間コンテストに出てくるような簡素な人力飛行機、主人公は足が使えないのに何故作ろうとしたのだろうか。
登場人物も砂漠で厭世的に暮らす兄妹と謎の逃亡者の3人だけ、掘り下げもなくヒューマンドラマにもなっていません。
ことほど左様に全くもって意味不明。もっとも製作・脚本・監督とアレックス・プロヤス監督の独り舞台だからリアリティのない妄想劇に異を唱える者もいなかったのでしょう。
オーストラリアの独立系プロダクションが作った30年前の16㎜フィルムの妄想劇をなんで今頃になって再公開したのか、人や動物の骨が転がり、自動車がモワイ像のように直立した奇妙な風景、仰々しいBGMなどスピリチュアルな作風を褒める人もいるようですが、私には理解できませんでした・・。
go home or burn in hell 出エジプト記♥
go home or burn in hell?!
彼はエジプトの方だからね。
トイレののぞき窓が三日月だった。
3人の預言者がやがてやって来る。
MADMAX、バグダッド・カフェ、エル・トポ、少女終末旅行を連想した。
飛べフェニックスのように単なる脱出のストーリーではないと見ると大変にメッセージ性が高く、ひょっとすると現状にピタリ。まさかね♥
大人の寓話
色褪せて赤茶けた大地、乾いた青空、廃墟のようなオブジェ、立ち並ぶ十字架、ゴシックな装いの女。何処を切り取っても、アート作品のように美しく完成されたビジュアル。
世界背景は詳しく語られない。ディストピアめいた荒野の一軒家に住む、足の不自由な車椅子の兄と、精神的に不安定な妹。兄は飛行の夢に取り付かれ、妹は父に倣って聖書に傾倒している。何者かに追われ北を目指す男がそこに辿り着くが、荒野の北は、壁の如き崖が立ちはだかり、人力で越える事はできない。兄は男に、崖を越えるため飛行機作りへの協力を持ちかけ、妹は、悪魔よ立ち去れと罵声を浴びせる。
稚拙な飛行機。失敗続きの実験、ヒステリックな妹の挙動、兄の盲信、ヒタヒタと近付いてくる追跡者の影。吹き抜ける風、軋む建屋、不安なストリングス、食器の擦れる音、空を埋め尽くす渡り鳥の羽音。
絶えず不安を掻き立てられ、私は、早くこの場所から解放されたいと思いつつ、本当に飛行機は飛ぶのかと疑念に苛まれる。映画の世界に引き込まれながらも、居心地の悪さにいつまでも尻が落ち着かない。
飛行決行前夜、妹は頑なに旅立ちを拒み、男の殺害を主張する。「何故心を開かないんだ。ほんの少し空を見上げてみるだけでいいんだ!」兄は叫び、喧嘩別れで終わったものの、妹を見捨てて旅立てない。残る決意をし、翌朝男を一人で空に送り出す。
飛び出した飛行機は風を捉え、必死に宙へと浮き上がる。閉鎖世界から漸く解き放たれる解放感と同時に、凄まじい喪失感が私の胸を握り潰す。
小屋の扉も、柵も、使える木材はあらかた、飛行機と滑走路に費やしてしまった。再びまともな飛行機を作り直す事は恐らく不可能だろう。成功の歓声を上げながら、遠ざかる飛行機に手を振り、「じゃあな。…じゃあな。」と小さく呟く兄の瞳の切なさ。私も多分、空に飛び立てず、見送る側の人間だから。
いつか生の終わる時、彼の魂は大気に解き放たれ、雲となって自由に漂えるだろうか。
作品の世界観には、何処か宗教的なメタファーも多く感じる。
十字架、聖書、追手の三人の人影は、東方の三博士を連想させる。だとすれば、ナザレの男は、自己犠牲を選んだ兄か、天に飛び立った男か。
乾いて淀むような世界の感触と、瞼に焼き付く赤と青の風景、神経を逆撫でするストリングスを思い返しながら、いつまでもつらつらと思索に耽っていたいと思わせる。
映画を好きな者として、これ以上贅沢な時間はない。
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