スタンド・バイ・ミーのレビュー・感想・評価
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あの頃の僕らへ
"金曜ロードショー" で2回目の鑑賞。
原作は未読。
今思い返すと、あの頃の僕たちは無敵でした。家や学校、住む町が自分たちの世界の全てであり、何もかもが冒険で。
劇中のモノローグにもあったように、確かに目指すべきものが存在し、そこに向かって進んでいたような気がします。
そう云った感情をプレイバックさせ、ノスタルジーの奔流に包み込んでくれるのが本作の大きな魅力だと思いました。
ひと夏の冒険を通して、少年たちはそれぞれの悩みや苦しみを抱えながらも、自分たちの住む町に帰り着いた頃には出発した時の彼らとは異なり、「本当は広い世界」の一端を垣間見たことで少しだけ大人になっていました。
それは同時に「少年時代」との訣別であり、胸が締めつけられました。「大人は何も分かってくれない」。同じ轍は踏むまいと皆で誓ったはずなのに、いつの間にか「何も分かってくれない」と言われる存在になっている。
大人になった今、ふと思う。あの頃は見えていたはずの目指すべきものは、何処に消えてしまったのだろうか。大きな世界の波に呑み込まれ、もがき喘ぎながら、それでも前に進まなければならない時、何を指針とするのか。その答えは忘れられぬあの頃の想い出の中にあるのかもしれない。
※修正(2024/04/09)
タイトルなし(ネタバレ)
金曜日に見ました。日テレ放送版と言えば昔エンディングの編集が神がかっていて感動したのですが多分今回はカットだったのですかね。流してほしかったです。
ゴーデイと私が違うのは私は独身ということだ。友人たちは結婚している。疎遠になった。
寂しさが生まれたが、時折ふと思い出すことで楽しかった記憶が蘇り、私はすぐに昔の自分に戻れる。過去の時間軸にはみんなが一緒にいる。みんなに会える。そんな時間がたまに楽しい。
思い出すことは忘れないこと。思い出すという作業は過去にいける。タイムスリップなんて物は私は結果的に思い出すことでいけると思う。思い出すことで誰でも過去にいけるのだ。
自分も普段は忘れているのですが、小学校、中学校の時代の友人と言えばそれはそれは濃い時間を過ごした物です。ゴーデイのラストに言う、「誰でもそうではないだろうか」まさにハイ、それでした。とは言いましても特別小学校、中学校の友人たちが大親友!!だったわけではないのです。
どちらかと言えば無口で大人しい子でした私。ネクラでした。友人も少なかった。だけどそばにいてくれる人がいました。その人を友人と言えばいいのかな。彼女は私のことを友人と思ってくれているのかな。それは自信がないのですが私は彼女を友人と思っています。
「そばにいてほしい」(スタンドバイミー)映画もそれを言いたいのだと思います。そばにいてほしい、特別な関係じゃなくてもいいんだと。大親友ではなくてもいいんだと。ただ僕のそばにいてほしいと、御願いだから一緒にいてほしいと。十二歳の少年のささやかな希望です。
大人になって気付く、少年時代の輝き
「名作映画」として知らない人はいないんじゃないかとすら思える本作。私は映画好きを自称しているのに実は今まで観たことがありませんでした。
色んなところでレビューや評論を見掛ける機会が多いんですが、男性と女性で評価が違うような気がします。一歩間違えば命を落とすような合理性の欠片も無いスリルを求めるのは少年特有のものなんでしょうか。男性は昔を懐かしみながら鑑賞できますし、女性は「男ってバカだね」と笑いながら観るのがいいかもしれません。
私は個人的には結構楽しめましたし、「これは名作と呼ばれるのも理解できる」と思ったんですけど、一方で「ここまで評価される作品なんだろうか」と思ったのも事実。ぶっちゃけ「オッサンの過去の武勇伝聞かされてる」って内容の映画なんで、もしも主人公の少年たちに感情移入できなかった場合はあまり楽しめない映画かもしれないですね。
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アメリカの片田舎に住む4人の仲良し少年グループ。それぞれが複雑な家庭環境を持っていて、現状に不満を感じている。ある日、町から30キロほど離れた場所に列車に轢かれた死体があるとの噂を聞きつける。行方不明になっている少年の死体ではないかと考えた彼らは、死体の発見者として有名になるために、線路伝いに歩いて死体を探す冒険に出掛けるのだった。
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「死体を探してヒーローになる」という現代日本ではまずあり得ない理由で冒険に出掛ける仲良し少年グループの物語。グループのメンバーでもあるゴーディが大人になって語り手として登場し、映画全体がゴーディが過去を振り返って記した物語であるという体裁を取っています。
古い映画ですしアメリカの話なので、当然現代の価値観や情勢とは異なるということを加味しても、正直登場人物たちの言動に対して「なんで?」って思う場面は多々あると思います。
もちろんしっかり考察すればちゃんと理由があるのかもしれませんが、ああいうワケ分からない行動を取ってしまうのは「思春期男子特有の万能感や自己顕示欲」によるものだと割り切って、「思春期の男子ってこうだよね」って考えながら観た方がいいかもかもしれません。
少年たちの小さな大冒険と、永遠に続くと信じて疑わない友情関係。自分の幼少期を思い出して、甘酸っぱいようなほろ苦いような気分になれます。
この作品は主人公たちの仲良し少年グループと、町の不良グループが対比的に描かれているのが特徴的です。仲良く上下関係のない少年グループに対して、絶対的ボスのエースが率いる不良グループ。そして一日掛けて歩いて死体を探した少年グループに対して、車であっという間に死体の場所にたどりついた不良グループ。
この二つのグループの対比構造は「子供と大人」のメタファーのように感じられますね。死体の現場で少年グループのテディが不良グループのボスであるエースに対して「車で来るなんてズルい」と言うシーンがありますよね。誰もが子供時代に大人に対して「大人はズルい」と感じたことがあると思いますが、そういう子供時代の逆恨みに近い「大人への怒り」が表れた台詞だったと思います。個人的に大好きな台詞です。
少し疑問に感じたんですけど、この作品は大人になって小説家になったゴーディが幼少期を思い出して記した小説・子供時代の冒険の回想という体裁を取っていますよね。ゴーディが仲間たちと一緒に線路沿いを歩く冒険が描かれるのは理解できるんですけど、同時並行でゴーディが見ていないはずの不良グループの状況も描かれているのは物凄く不自然に感じるんですよね。原作を見ていないのでわかりませんが、映画だけの演出なんでしょうか。しかも、ラストシーンにゴーディは不良グループのリーダーであるエースに反抗してエースをひどく激昂させますが、その後のエースの話は全く描かれていないのも不自然に感じます。普通はあれだけ怒らせてコケにしたんだから絶対後で何かしら意趣返しがあったと思うんですけど、その描写が一切ない。少年グループの友人たちは既に亡くなっている状況で、何故今になって昔を思い出しながら回顧録のような小説の執筆をしているのかも、少し不思議に思います。
全部が全部、真実ではない気がします。若くて楽しくて輝いていた少年時代を回想しているように見えるけど、そこには多分にフィクションが織り交ぜられているんじゃないかと私は推測しています。日本の中年男性が語る過去の武勇伝が脚色と誇張に溢れているように、ゴーディの少年時代の冒険譚も、現実と虚構が織り交ぜられたフィクション小説だったんじゃないでしょうか。
もちろん原作も観ていない状態での推測なので間違っている可能性が高いとは思っていますけどね。でもこういう考察要素もある素晴らしい映画だったのは確かです。色んな人に観てもらって、感想を語り合いたい名作でした。オススメです!!
名作と言われる理由がわかった
私が12歳だった頃、中学受験の勉強に明け暮れていたので、映画のような青春を味わうことはありませんでした。なので純粋にあの少年たちに羨ましさを覚えました。
でも、彼らの気持ちについては共感するものもあり。
少年から青年、そして大人へ。その過程で通る青春なのかも、と思ったり。
機会があれば、もう一度じっくりみたいです。
名作?なの?、
有名なこの映画、いつか見ようと思ってて見られてなく、たまたまテレビの放送のやつでようやく初めて見た。
でも、まあ、話はわかるしいいんだけど、そこまで「名作」と言われるゆえんの内容、流れってなほどまでは感じなかった。
道中の間延びしたような、ウダウダのくだりが長く感じて「だから何?」、「もういいから、わかったから、で、どーなんの?」ってかんじだった。
そこまで入り込めるようなものでもなく、子供たちのどーでもいいけなし合いとかじゃれ合いとか、泣いたり、の繰り返しに飽きてきた。
子供たちが背負うつらさとか悩みもわからんでもないけど、行きの道中でそんな映画の時間のほとんどを割いてまでのことか、と。
遺体を見つけてからもナイフやらピストルやらのくだり、それからの、行きのあんだけの時間やウダウダはなんだったのか、帰りはあっという間に帰ってきて解散、そしてその後の説明があってエンディング。
ホント、そこまでいいものなのか?
そこまでの「友情」やら「絆」とやらの描写もあったか?
音楽は有名でいいものでも、意味がよくわからん映画だった。
少年時代のことを思い出してノスタルジーに浸れる作品
この映画は少年時代のあんなことやこんなことの記憶が凝縮された作品です。
みんなでちょっとした悪さをしたり、親の目を盗んで冒険に出かけたり、大人になったらもう体験することのない貴重な思い出が詰まっています。
なんといってもこの映画の花形はクリス・チェンバーズでしょう。
リバー・フェニックスの演じるクリスには凄まじい演技力を感じます。
家庭が荒れているため不真面目を装っていますが内心では真面目にやっていきたいと思っています、しかし周りの人に偏見の目でみられ自分はワルでしかいけないという感情の表現がとてもうまい。
クリスと主人公であるゴーディとの掛け合いはとてもよかった。
こんなにいい友達がいたら人生は明るいでしょう。
ラストシーンで、ゴーディが「さよなら」といった時「またなと言えよ」といったシーンは心が熱くなりましたね。
切なくなるのに見てしまう
中学生の時に初めて見てから最高に好きな作品。20年ぶりくらいに見たがやはり最高。
リバーフェニックスが本当にカッコよくて演技も光っていて、それだけで星1つは付けたいくらい。
「友達はでき、離れていく」というゴーディのモノローグが初めて見た時からずっと頭を離れない。
子供時代は、家庭環境(いわゆる住む世界)が違う子達とも仲良くなれるのに、それが大人になるとできなくなってしまう。この映画を見ると疎遠になってしまった友達のことを考えて切ない気持ちになる。
ゴーディはクリスの、クリスはゴーディの言葉に救われ、お互いその後の人生に大きな影響を与えた。
この唯一無二の友人関係に今でもとても憧れる。
人を傷つけるのも人なら、辛いときに側にいて救ってくれるのもまた人なんだなぁと思う。
そしてこの映画は単純に冒険心をくすぐられてワクワクもします。この彼らの楽しそうな姿と、その後日談とのギャップがまた切なさを増長させている気がする。
床下の空き瓶と拳銃とゲロと死んだ者たち
STAND BY ME
1986年製作。アメリカ。コロンビア映画。スティーブンキング「THE BODY」の原作小説の映画化。
エースという若者がでていて誰か気になったが、若き日のキーファー・サザーランドでした。
キーファー・サザーランドVSリバー・フェニックスともとれる構図になるような映画だが、主軸はそこではなく、ある親友を回想した時の二泊三日の出来事を描く。
12歳の夏。クリスとバーンとテディとゴーディの四人の少年たちは森で死んだという同世代の少年の死体を探しに森の奥深くへ徒歩で入っていった。
線路を走るのは煙を吐く汽車。そしてすべての少年たちはタバコをプカプカ吸う。主人公がのちにタイプライターとして使用しているパソコンはGU Iが普及する前のグリーン文字のディスプレイ。それだけでこの映画が古いものだとわかるが、それほど古さを感じさせないのは、古さのなかに良き魂みたいなものが入ってるからだと思う。
画面に出てくるのはアメリカ郊外のチープな田舎町の住人たち、と世代の違う少年の二つのグループ11人だが、編集と撮影がしっかりしていていることを確認。シンプルな話だが、名作だ。
ただし、クレジット明けのおじさんになった主人公が車に乗っているシーケンスで、引きの絵と寄りの絵で襟から見えるシャツの色が違っており、何度も見返したが、多分リチャード・ドレイファスではないスタッフか誰かが上着を着て車に乗ったのだろう。髪の量も違う。
1959年。小さな町。キングが売れっ子作家になる前の前の少年時代の物語。二十数年前の回想。おそらく全編ロケ。とくに故リバーフェニックスがいい。二泊三日の物語で、前半の一泊二日の昼までを丁寧に描く。少年たちの服装はずっと同じだしメイクも大して変わらない。
木の上の秘密の隠れ家、隠し場所のわからなくなった小銭入りの瓶、父の引き出しから拝借してきた拳銃、ろくに食料のないハイキング、ショートカットしたためにヒルのいる沼に入ったり、兄たちは二台の車でいとも簡単に追いついてしまうところなど、面白い。クオーターバックだった兄デニーが事故死して4ヶ月、町の住人はほぼ顔見知り。
自分は再見ですが、ほぼ全くストーリーを覚えてませんでした。森に入って行ってどうなったか、四人は無事に帰ってこれたのか、彼ら四人の生い立ちその後など、全く忘れてました。
しかし、今回再見して、太った少年は、おしゃべりで心配性だったなとかメガネの少年はフランス人の軍人の息子だったのかとかの再発見がありました。
四人は九月から中学校。そのあたりの複雑な気持ちも丁寧に描かれています。進路、才能、子供であること、上の世代への反発、少年時代の終わり。暴力。
多分、自分が前回見たときは、台詞をろくに読んでいなかったのだと思われます。理解力もなく、死体をただ発見して帰ってきただけの物語としてしか覚えていませんでした。
今回、二回目見てわかったのですが、作家になった家族持ちの男(リチャード・ドレイファス)が、少年時代を回顧する話で、とくに、弁護士になったクリス(演リバー・フェニックス)を思い出していたのでした。
自分的には理由もなしにリチャード・ドレイファスはあまり好きな俳優ではないのですが、最初と最後とナレーションでしか出ませんでした。
若いときには、分からず、歳をとってからわかるようになる名作のひとつです。
子どもも大人と同じ1人の人間
主人公は4人みんなだと思うのだけど、語り手として、大人のゴーディが昔の話を語ってる形だから、主人公はゴーディなのかな。
内容的に主となるものは、友達の死体を見つけに行くってものだから、原本がホラー作品なのは、超理解。笑
ふつうに、子供たちだけで死体見にいくってやばいよね、、、
兄弟の蟠り、兄との比較、みんな現実にあり得ることばかりだった。1986年の作品だけど、真新しい感覚だった。アメリカ映画だから、壮大で、カラッとしてる中でのストーリー展開
クリスが良い子だった、ラストはまさかすぎた。実際に彼は亡くなっているそう。クリスが誰もが見習わなくちゃいけないリーダー性を表してる気がした。最後まで人のためだった。。
面白いところもあり、そこをとりあげられることが多いと思うけれど、これは深い部分が多すぎる。観てよかった。子供だけど、大人のような悩みを持っている。後世に残る作品の理由がわかった気がした。
このエンディングの曲も、あ、これなのか!ってわかった!いや、エンドロールの歌詞のところ必ず観るべき。ものすごく繋がってた。あの曲自体よく聴いたことがあるけれど、こんなに物語性があったとは、、。字幕に感謝。
過去は人が勝手に作り出すけど、消えない大切なもの。
本当にストーリーはシンプル!ゴーディ、クリス、バーン、テディの仲良し四人組が一生忘れることのないたった二日間の小さな冒険に出る話。
各々が悩みを持っていて、それに怒ったり、涙したり、若気の至りなのか、意地を張って危険な目に遭ったりする。けど四人は互いに励まし合って進んでいく。
旅を終えて街に戻り、『また学校でな』と別れる。それ以降彼らは一緒に遊んだり、話したりすることはなくなっていく。そうやってまた友達を作り、離れ、作り、離れ…生きていく。
ちなみにクリスを演じたリヴァー・フェニックスは、『JOKER』(2019)にて主人公アーサー・フレックを演じたホアキン・フェニックスの兄だ!!
私も大学の編入受験生時代、ある友達と毎日のように夜遅くまで切磋琢磨していた。難題に頭を抱えたり、辛くて泣きそうになったり、緊張に気が狂いそうになったり、バカやったり、友人や恋人について語ったり、諸問題について議論したりもした。試験本番も直前まで鼓舞し合い、終わってからも励まし合った。何週間か経って、私と彼は別の大学に進路が決まり、私達の受験がおわった。『また学校でな』と別れ、それ以降一緒に勉強したり語ったりすることがほとんどなくなってしまった。あんなに辛い日々を共に生き抜いたのに、私達は離れていく。いつの日か、顔も思い出せなくなるのかもしれないし、二度と会うことがないのかもしれない。懐かしく、悲しい。だが、少なくとも、あの時僕らは互いに励まし合いながら苦難を乗り越えた友達であることに変わりはないし、その事実も消えることはない。過去なんて私達が自分で勝手に想像上に見出すもので、他の生き物や他人には自分の過去なんて認識できないのかもしれない。けど、私にとって彼と過ごしたあの時間は、たった一年と半年ほどだが、この上なく幸せで、楽しくて、これから先一生忘れることのない特別な経験だった。
誰にだってそういうことはある。小さな頃、あんなに苦楽を共にしたのに、いつの日か話さなくなってしまう。別に嫌いになったわけでもないのに、なぜなんだろう?
"イニシエーション" それは"大人"になる儀式。これまでとは違う自分になる儀式。きっと多くの人はこれを経験して、それぞれが大人になって新しい道に進んでいく。その道は無数に分かれていて、人の数だけある。これまで"一緒"に旅を続けてきた私と彼は、これから先は各々が"別"の道を歩んでいく。それがどこかで交わるかもしれないし、もう交わらないのかもしれない。そう思うと寂しいが、私は誰よりも彼を認め、彼を応援している。素晴らしい黄金の一年と半年間をありがとうと言いたい。
懐古するような気持ちで
名作と言われていたので、とりあえず見ました
特に刺激的な映画でもなく、淡々とした映画で。
でもその中に4人組の友情・境遇・子供ながらの冒険心がくすぐられるような映画でした。
中学に入って付き合う友達も互いに変わり、自然と疎遠になりました。でもあの頃のような熱い友情は後にも先にもありませんでした(うろ覚えのエピローグ)
という言葉が印象的でした。
自分の幼少期を振り返って、そんな大それた青春を過ごした覚えはないですが、子供ながらの冒険心・何に対しても好奇心が持てる年齢の頃に共有したものは、普遍だというのに凄く重みを感じました。
刺激を求めるには物足りないかもしれませんがな凄く素敵でジーンとする映画です(^o^)
スタンド バイ ミー
昔、夏休みの読書感想文で原作を読んだときはもっと面白かったイメージだったのですが、今更ながら映画で観るとちょっと内容が薄いかなと思いました。
音楽はやっぱりいい。知らない土地に旅したくなる(笑)
清涼感と憧憬
大阪ステーションシティシネマで「午前十時の映画祭」として上映されていたのを鑑賞しました。
子どものときに数回見たことがありますが、今回は前回からおそらく10年以上経っていると思います。
主人公が語ったパイの早食い競争の話は覚えていましたが、あとは4人で線路の上を歩いたり、ヒルがいる池に落ちたり、ポストで野球をしたりという断片的なシーンだけ覚えていました。
子どもが冒険をする話は昔から好きでしたが、今見ても線路の上を歩く4人には憧れます。
しかし今回鑑賞した結果、4人の中でも特に主人公とクリスの関係が強調されて描かれていたことと、4人の中で主人公だけ少し浮いた存在であることをに気づきました。
焚き火の前で、主人公がクリスに「一緒に進学校に行こう」と言うシーンはとても印象的でした。
日本でも小学校から中学校に上がるこの年代は、徐々に友人関係が変化していく時期です。
しかも、高校受験で必然的に別れるのとは異なり、何となく自然に変化していくのが特徴的です。
そうした少年の繊細な時間を2日間の小さな冒険に詰め込んだところに、この映画の魅力があるのだと思います。
あの頃にはもう戻れない
超有名な青春映画。
もはや深く内容を掘り下げる必要などないでしょう。
純粋な子供たちが、ちょっぴり大人になる物語。
最後は胸がチクッとするような切ない終わりかた。
そこが現実味があってよかったですね。
あの有名なテーマソングをバックに線路を歩く4人。
そして最後の「あの12歳の時のような友達はもう出来ない、もう二度と」の文字。
まだ純粋だった子供たちが、やがて避けては通れない大人の道を歩んでいく、切ない青春物語。
グーフィーは⁇
まさか、死体を探しに行く映画だったとは…。
クリスがゴーディに対して言った「自分の程度を下げる君はバカだ。」という遠慮のない言葉に友情の深さを感じ、涙。
本物の拳銃所持してたり、喫煙してたりと、アメリカ的な部分が、僕の幼かった頃の思い出とは重ならず、昔を思い出して感極まるって感じには全くならなかった。
だけど、幼かった頃に小さなコミュニティの中で、利害関係等一切なく自然に仲良くなっていった友達を越える友達がその後現れたことはなかったって部分には共感。
ラストで、クリスの後日談が悲しかったけど、彼がゴーディに励まされて自分の不運な境遇にもめげずに立ち向かい頑張って成功したことが、凄く嬉しかった。
でも、どう考えてもグーフィーは犬以外あり得ない。
子供時代は一度しか訪れない
沼で遊ぶシーンでテディが「子供時代は一度しか訪れない」的なことを言っていたのが本当に印象深かったです。
兄をなくし両親に愛されていないことを感じるゴーディ、家庭の環境に翻弄され先生にも裏切られたクリス、お父さんが精神病で耳を焼かれそうになった経験をもつバーン、それぞれ社会と大人に翻弄されて心に傷をもつ仲良し4人組。
大人になりきれない少年たちは2日の冒険で少しだけ大人になった…こんな大冒険は誰でも経験をすることではないけど、誰にでも大人になりたくて小さな冒険をした過去はあるのかもしれない、自分にもこんな時代があったな…と思わせる。
秘密基地をつくって賭け事をしながら、仲間とバカな話をしながら日々を送る4人。本当にどこにでもいる悪ガキですよね。ちょっと責任感のあるリーダーと頭のよい良識人、度胸とムチャを履き違えたヤンチャ坊主、なんも考えてない臆病な子供。
製鉄所でコインで誰が買い物に行くかかけたり、テレビの女性の胸が大きくなったとかどうとか、夜になればくだらない話ばかり、沼があれば入って渡ろうとしてヒルに噛まれるわ…本当にどこにでもあるバカな子供たちの話ですが、その中で苦悩をし、それぞれの苦悩を支え合いながら乗り切ろうとする感じがなんともいえずとてもよかったです。
そういえば、このリバーのタバコ姿を見てタバコを始めた未成年の自分を思い出しました…。
そして、最後のシーン、エースに銃を向けて死体を渡さなかった勇気とやっとの思いで見つけた死体を匿名で通報し、結局英雄にならなかった4人。ゴーディの「こんなんじゃだめだ」の一言がとても印象的でした。
誰もが通る大人への通過儀礼を最近の映画にはないようなストレートでわかりやすく伝えるこの映画はほんとうに名作だな…と改めてかんじました。ロリポップをはじめオールディーズの名曲の数々もとてもよかったです。
悩んで成長
子供だってそれぞれ悩みを抱えている。表面では明るくても闇を抱えている。
しかし、そんなことを打ち明けられる友がいることはとても幸せなことだ。
いいタイミングでトラブルや事件が起こり、観ていて飽きない。
チンピラの役割はなんなのか
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