「エメラルド・シティは遠い」スケアクロウ あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
エメラルド・シティは遠い
「オズの魔法使い」の見立てである。2人の男が強風吹きすさぶカリフォルニアの路上に現れる冒頭部。ドロシーが嵐に運ばれオズの国に降り立ったように。
フランシスは、自分をライオンと呼んでくれという。臆病ライオンが勇気を欲しがったように彼は長年見捨てていた妻子と再会すべく勇気を振り絞ってデトロイトに帰ろうとしている。一方、マックス。容易に人に気を許さない冷たい心の持ち主。鋼鉄のハートと鋼鉄の身体を覆う厚着の大男。ブリキの木こりの見立てである。
そしてこの二人が二人してスケアクロウ=かかしなのである。畑にやって来るスズメやカラスにも笑われてしまう世渡り下手な愚か者ということなのだろう。
旅が進むにつれてフランシスは本来、勇気のある人間であること、マックスは友達思いのハートが暖かい人間であること、がだんだん分かってくる。オズの魔法使いのストーリーと同じ。つまりエメラルド・シティに着く以前に必要なものはすでに得られているのである。スケアクロウについても、道化になって人を笑わせることで世の中丸く収まることがある、と二人は学ぶ。ここはちょっと悲しいけど。
この映画についてはラストが中途半端じゃないかとの意見が昔からある。アル・パシーノとジーン・ハックマンの仲が悪く途中で撮影が打ち切られたとか都市伝説も。今回、改めて観てみたがラストできちんと伏線も回収されており違和感は感じなかった。多分、映画は完結している。
ピッツバーグに着いてからどうのこうのというのは特に大切ではない。ロードムービーなのでそこまでの途上が肝心でありそれについては十分語られている。二人にとってのエメラルド・シティが何処なのか、そこへたどり着いて幸せになれるかどうかはこの映画では語らないのがいわゆる余白をもたせるということなのだと思う。
トミーさんコメントありがとうございます。貨車で動くホーボーの時代は去り、ロードムービーといえば車でヒッチハイクということになりかけた時代の映画だったのですよ。
オズの魔法使は絶対、念頭に有ると思いますね、誰にでも解る? でも自分には、ホーボーのような旅こそが楽園で目的地に着いた途端、無残に世間に圧し潰された印象でした。