「あなたも空を翔べる! 映画史に燦然と輝くスーパーヒーロー神話、ここに誕生!!」スーパーマン(1978) たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
あなたも空を翔べる! 映画史に燦然と輝くスーパーヒーロー神話、ここに誕生!!
鋼の肉体を持つ男、“スーパーマン“の活躍を新たに描き直したスーパーヒーロー映画『スーパーマン』シリーズの第1作。
惑星クリプトンの滅亡から唯一逃れた少年カル=エル。父母の手により地球へと送られた彼はそこでケント夫妻と出逢い、養子として迎え入れられる。
新たに“クラーク・ケント“と名付けられたカル=エルは、そのスーパーパワー故に周囲と馴染めずにいたのだが、ある出来事をきっかけに超人“スーパーマン“として真実と正義のために戦う事を誓う…。
カル=エルの実父、ジョー=エルを演じるのは『欲望という名の電車』『ゴッドファーザー』の、レジェンド俳優マーロン・ブランド。
第51回 アカデミー賞において、視覚効果賞を受賞!
テレビドラマ版『スーパーマン』(1952〜1958)から20年。再び“マン・オブ・スティール“が我々の前に姿を現した!
ジョージ・リーヴスからバトンを渡され、3代目スーパーマンに就任したのは新進気鋭の若手俳優クリストファー・リーヴ(ちなみに、初代スーパーマンのカーク・アリンはロイス・レーンの父親役として本作にカメオ出演している)。オーディション時は痩せぎすだったリーヴだが、1年に及ぶトレーニングにより筋骨隆々とした肉体に自らを改造した。この「ヒーロー映画の主演俳優は肉体を鍛え上げなければならない」という今日まで続くしきたりは本作によって確立されたのである。
クリストファー・リーヴの起用、それこそがこの映画最大のセンス・オブ・ワンダー!怪力、空中飛行、透視能力、甘いマスクとパーフェクトボディを有した正義漢。このスーパーマンという史上最も現実離れしたキャラクターを、完璧に自分のものにしている。
彼の姿が初めてスクリーンに映し出された瞬間から「あっ!スーパーマンが本当に居る!!」と思わされてしまう程の説得力。これは長い時間をかけて、内面的にも肉体的にもスーパーマンへと歩み寄っていった結果の事なのだろう。あの星条旗カラーのピチピチタイツを着てギャグにならないどころか、「ウホッ!カッコえぇ💕」と観客に思わせる。これは本当に難しい事の筈なのに、それを難なくこなしてみせたリーヴのスター性は唯一無二である。
実は、当初スーパーマン役はロバート・レッドフォードにオファーがかかっていた。彼が出演を断った後は、『ロッキー』(1976)で一躍スターとなったシルベスター・スタローンからラブコールがあったとも言われている。
もしもレッドフォードやスタローンといったスターが出演していたら、この映画のカラーは全く違うものになっていた筈。それも観てみたかった気はするが、おそらくクリストファー・リーヴ以上のスーパーマン像を提示する事は出来なかった事だろう。
リーヴの起用と並び、本作を傑作たらしめているのはなんといっても巨匠ジョン・ウィリアムズが作曲した「スーパーマンのテーマ」である♪『2001年宇宙の旅』(1968)のような壮大なテーマ曲を依頼されたウィリアムズは、その要望に見事に応えてみせた。
この「スーパーマンのテーマ」は、ジョン・ウィリアムズのスコアの中で…というか、全映画音楽の中で最も好きな楽曲❤️あまりにも最高すぎて、いつ聴いても絶対に涙してしまう。葬式にはこれを爆音で流して欲しい。
史上最高のテーマ曲と、銀河を流れるド派手なクレジット。このオープニングの時点でもうチケット代の元は取れているというもの。夢と希望に溢れた100点満点の出来栄えである。ジョン・ウィリアムズさん、ありがとう!!
戦闘シーンが全く無い事もこの映画の美点。悪人を暴力で屈服させて、それがなんになろうか?
木から降りられなくなった猫をそっと下ろして飼い主の女の子に手渡してあげる、その優しさこそがヒーローの根源であり魂であるはず。本作のスーパーマンがとにかく人を救け続けるのは、監督をはじめとした製作陣がそのヒーローの本質を正しく理解しているからこそだろう。ヒーロー映画とは、スーパーヒーローとスーパーヴィランが殴り合いをすればそれでOKなんていうチャチなものでは無いのだ。
昨今のスーパーヒーロー映画のようなシリアスさは、本作には微塵もない。どこを切り取っても明朗快活な映画である。ヒロインが死んじゃっても地球の自転を逆転させれば大丈夫🙆
かといって、テレビドラマ版『バットマン』(1966-1968)のようにキャンプなギャグ路線に振り切っているわけでもない。確かにレックス・ルーサー一味の造詣は『バットマン』のヴィランを連想させるズッコケ具合だが、スーパーマン自身が型を崩す事は決してないし、ロイス・レインとのロマンスはどこまでもロマンチックに描かれている。このギャグと真面目のバランス感覚が、作品全体に心地よいグルーヴを生み出しているように思う。
注目したいのは新聞記者クラーク・ケントの描き方。ドジで間が悪い朴念仁で、常にロイスよりもワンテンポ遅れてアクションを起こす男という彼のキャラクター造詣がとにかく上手い。物にぶつかったり躓いたり飲み物をこぼしたり回転扉に挟まったりと、画面に映っている時はいつも何かしらのちょっとしたトラブルを巻き起こしている。これはもちろんスーパーマンに変身した時とのギャップを演出する為なのだが、そのドジっぷりのあまりの自然さに、笑いを通り越して感動すら覚えてしまった。
役者の演技が下手なら、あるいは監督の演出が未熟なら、この手の芝居はただのギャグとして消化されてしまう。だが、クリストファー・リーヴの圧巻の演技力とリチャード・ドナー監督の確かな手腕により、これが潤滑油となって映画全体に活き活きとした生命力を与えている。
正直に言えば、レックス・ルーサー一味に関してはちょっとギャグがくどく感じられたのだが、クラーク・ケントのドジっぷりは本当に上質なコメディに仕上がっている。明るいがキャンプには偏り過ぎないというこの映画のバランスが端的に示されている好例である。
140分超えというランタイムは長すぎるし、お世辞にもストーリーの出来が良いとは言えない。スーパーマンになる過程は唐突だし、ルーサーの企てはいくらなんでも回りくどすぎる。
凸凹した印象のある映画であり、これよりも優れたヒーロー映画はいくつも存在することだろう。しかし、陽性な気質と印象的なテーマ曲、そしてスーパーマンそのものになり切ったクリストファー・リーヴのおかげで、この映画のキラキラとした輝きは永遠に消える事はない。これはもはや「神話」と呼ぶべきマスターピースである。
良くも悪くもオモチャの様な作品であるが、そのオモチャ感覚こそがスーパーヒーローには大切なのだ。
※スーパーマンの吹き替えは佐々木功(ささきいさお)、レックス・ルーサーは小池朝雄が務める。この時代の洋画吹き替えはもはや工芸品。素晴らしいの一言に尽きる。
ちなみに、吹き替え/字幕ともに省かれているが、スーパーマンが戦う理由には「真実と正義」の他にもう一つ「アメリカン・ウェイ=アメリカの建国精神」を守る事が含まれている。そのスーツのデザインから分かる通り、彼は非常に愛国的なヒーローなのである。
アメリカの現大統領はまるでレックス・ルーサーそのものの様な不動産王であり、彼は「Make America Great Again」というスローガンを掲げている。2025年夏、ジェームズ・ガン監督による新たな『スーパーマン』が上映されるが、果たしてこの「MAGA」の時代にスーパーマンが守る「アメリカン・ウェイ」とはどの様なものなのか?興味は尽きない。