スウィート ヒアアフターのレビュー・感想・評価
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後味が悪かった
この映画は、観ているうちにだんだん恐ろしくなってきてしまった。人の「闇」のようなものが浮き彫りにされてくる感じ。ニコールの冷たい瞳がだんだん怖くなってくる。
大人たちの偽善的な目論見は、最後のニコールの一言でどんでん返しをくらってしまう。彼女は大人たちの言うなりにならなかった。というより、そうならざるを得ない悲惨な運命にあった。
それだけならまだシンプルだけれど、少しややこしい。彼女は、それでも、村で一番健全と思われている夫婦の子供。ここがおそろしい。
そもそも、健全だとか、信頼されてる、って一体何でしょうね?そんなのは表面的なもの。
一番皆から引かれ気味だった芸術家夫婦は、実は、なすかなかまともで温かみがある人たちのようだし、
偉そうなことを言う弁護士さんはプライベートでは娘との関係ひとつ解決できていないわけだし、
住民を大切にしていた運転手夫婦だって、皮肉にもその住民の手で追い出されてしまう。
普段の生活は穏やかに過ぎても、何かあるとえぐり出されてくる。
大人の、勝手さや弱さ、子どもの感性の鋭さへの鈍感さ。そんなものを感じた。
カンヌっぽい個性的な鋭い映画という印象。そして、俳優さんたちはそれぞれになかなか味があってよかった。
ただ、後味が悪かった。
静かなる緊張
カンヌ・グランプリ受賞作。 ハーメルンの笛吹がモチーフになっている。 子どもが犠牲となった事故、その後の訴訟。 街の中の、それなりの関係性が崩壊し、それでもの関係性が築かれて、日常が続く。それぞれの心に痛みを残しながら。 事故の原因は何かのなぞ解きを求めるともやもや。 事故と訴訟を通して、それぞれの心の動きを丁寧につづった映画。 それぞれの”楽園”にたどり着けたのか?それぞれの”楽園”とはどういう場だったのか? 鑑賞するたびに違った思いにかられる。
人の心と闇、そして社会
※原作『この世を離れて』未読 スクールバスの事故で22人の子供が犠牲になり、責任の所在を追求しようと立ち上がった弁護士。遺族らを説得し訴訟を起こす準備を進めるが、生き証人の思いもよらぬ証言が事態を変えていく。 人は誰も闇を抱えていて、この閉鎖的な町ではそれらが絶妙なバランスで成り立っている。見えないルールによって人々は生かされているのだ。 …という世界観。かな? 全体的にのっぺり展開するし、ちょっとわかりにくい描写が多かった印象。 時間軸の交錯も、不必要に差し込み過ぎて特に前半はどの時点を切り取っているのかわかりにくい。 内容も特に面白いストーリーでもないし、映画としては退屈だったな…。あとから小説原作と知ったけど、文字情報の方がニコールの内面に近付けるかもしれないので、小説なら面白いかも。
答えのない日常を静かに過剰に格好つけて
見終わった瞬間は、随分カッコつけた映画だなーという印象だったけれど、よくよく考えてみると、ただ単に変わりない日常を行きたかっただけなのに・・・という強い思いがひしひしと伝わってくるような気がしました。 個人的な出来事と集団的な出来事が並行していく物語には、見た目のつながりが全く見えないため、ちょっとした違和感を持つし、単なる映像遊技のようにしか思えなかったのですけれど、作品の締め方をかみしめると、漠然としたつながりが見え、なかなか味わい深いものでした。 現実世界で特異な事を目の当たりにすると、どうしてもそれを利用したくなる衝動に駆られてしまいますが、その事の当事者にとってみれば、無かったことにしたいという場合も意外とあるような気がしました。 派手さはないしろ、良作だと思いました。
おとぎ話が現実とシンクロする時に起こる歪み
カナダの小さな田舎町で起こったスクールバス転落事故を、おとぎ話『ハーメルンの笛吹き』をモチーフに描くドラマ。物語は事故当日(およびその前日)、事故後集団訴訟を起こし賠償金を勝ち取ろうとする弁護士の奮闘、その弁護士の私生活を語る現在(および過去の回想)の3ストーリーが交錯して描かれる。
運転手と年長の少女以外、幼い子供たちが全て死亡するという悲惨な事故は、保守的で閉鎖的な小さなコミュニティーに大きな衝撃をもたらす。事故の責任は運転手にあるのではなく、バスに欠陥があったとし、企業に対して集団訴訟を起こし、賠償金を勝ち取るためにやって来たよそ者の弁護士は、子供を亡くした親を一軒一軒訪ね、訴訟を起こすことを説いて回る。この弁護士はいったい何者か?後から弁護料を巻き上げようとする悪徳弁護士か、それとも自身も麻薬中毒の娘を持ち、幸福な家庭を失った経験から、少しでも遺族の力になろうとしている親切な男なのか?彼こそが町の害獣(ネズミ)を退治してくれる笛吹なのか?
このおとぎ話の使い方がとても巧い。唯一生き残った少女ニコール(車椅子生活を余儀なくされる)が事故前夜、ベビシッターとして雇われている家で子供たち(この子供たちも事故で犠牲になる)に読んで聞かせている絵本が『ハーメルンの笛吹』だ。その時点では、この物語が重要なモチーフなっていることはまだ解らない。幼い少年が彼女に問いかける「笛吹は何故、子供たちをさらったの?イジワルなの?」。それに対してニコールは答える「たぶん彼は(正当な報酬が貰えなかったことに)怒っているのよ」と。この答えと、弁護士が子供を亡くした親に言うセリフが重なる「あなたは(子供を失ったことに対して)怒っている。その怒りを正当な相手にぶつけましょう」と。
弁護士が家々を回るうちに、町の人々の様々な秘密や事情が明らかさにされて行く、それぞれの哀しみや怒りや戸惑いも。とりわけ思春期であるニコールの感情の変化がこの悲劇をより大きな悲劇へ導くのが、恐ろしくも哀しい。彼女は父親と近親相姦で結ばれている。彼女にとって父は理想の男性であり、自分の「全て」を受け入れてくれる絶対的な存在だ。しかし身障者となった今では、父親にとって自分は「愛する者」ではなく「憐れむ者」となってしまった。その上、医療費のかかる大きな荷物となってしまったのだ。彼女にとっての笛吹は弁護士ではなく、この父親なのだと思う。子供たちを「楽園」へ導く笛吹。父親がニコールに示した「楽園(幸福な未来)」への道は閉ざされてしまった。おとぎ話で足の悪い子供が1人取り残されたように・・・。そして彼女もまた正当な報酬(父の愛)を貰えなかったことに怒り、笛吹のように復讐に出るのだ。彼女のついた「嘘」がどれほどの波紋を広げるかも考えずに・・・。
訴訟は敗れ、加害者(?)となった運転手は町を去り、人々は口を閉ざす。保守的な町は悪夢は悪夢として封印し、忘れ去ろうとする。しかしその実決して忘れはしないのだ。
ラストシーンのニコールの表情は何を表しているのだろう?後悔に苦しんでいるのでもなく、してやったりとほくそ笑んでいるのでもない。彼女は「無感覚」に陥っている。感受性の高い彼女は心を閉ざすことで新たな「楽園」を手に入れたのだ。
ジワジワとしたサスペンスの盛り上げ方、幸福感に満ちた過去のフラッシュバック、閉じ込めようとしても滲み出てしまう怒りと哀しみ。これらを終始静かな語り口で物語るエゴヤン監督の計算された演出に舌を巻く。カンヌ映画祭審査員特別賞を受賞した見事な群像劇。
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