「「プロボノ・パブリコ」」真実の行方 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
「プロボノ・パブリコ」
本当に野心家だったのですね。ベイル弁護士は。ひろく顧客を得るためには、世間の耳目を集めるような事件を受任することが大事ですし、一見すると有罪は疑いようもないような事件で無罪を勝ち取ったりすることは、「営業上」どうしても必要なことだったのだろうと思います。「敏腕弁護士」としての看板を得るために。
同じく法曹と言っても、国(アメリカの場合であれば州?)からの給料で食べている判事(裁判官)、検事(検察官)とは違い、弁護士は依頼人からの報酬で食べている、いわば…というか…文字通り「自営業者」な訳ですから。
アーロン/ロイにしてみれば、多重人格(心神喪失)として刑事免責を得て病院送りになったあと、病院では普通に過ごして、「治癒」とか「寛解」とかのお墨付きを得て、社会に復帰する計算だったのかも知れません。
さっくり言ってしまえば、名望を得たいという「欲」から、プロボノ・パブリコ(専門的な技能を活かしたボランティア活動)を買って出たベイル弁護士は、その欲の深さゆえの盲目から、アーロン/ロイに、まんまといっぱい食わされてしまったというのが、本当のところでしょう。本作のストーリーとしては。
その点では、胸に痛い一本でもありました。評論子には。
(追記)
<映画のことば>
「検事局を辞めたのは?」
「未来がない。検事の終点は判事職だ。審判より選手の方がいい。」
ベイル弁護士が検事の職を退いたのは、何か不祥事があってのことのようでした。そうとハッキリと描かれていた訳ではありませんが、会話(セリフ)の内容からすると。それにも関わらず、こういうセリフが吐けるということは、いかにベイル弁護士が、法律家(弁護士)としての見栄に拘っていたかの証左だろうと思います。「プロボノ・パブリコ」を標榜したアーロン/ロイの弁護についても、その「下心」は、そんな言葉からも垣間見ることができないでしょうか。
ただ、弁護士という稼業は、本当に面倒見の良い人でなければ勤まらない職業であることも、実際であると考えています。評論子は。他作『クレイマー・クレイマー』に登場するショーネシー弁護士や、『依頼人』(1994)のレギー弁護士の例を引くまでもなく。
この点、多くの弁護士さんの名誉のために付言しておきたいと思います。