ジョー・ブラックをよろしくのレビュー・感想・評価
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今観ても感慨深い
ブラピとアンソニー・ホプキンスの共演に惹かれ、若い頃映画館で鑑賞。
大人になってから観ると感情移入する相手が変わってきて、昔は美しい若き二人の恋模様に目が行ってましたが、今見ると我が子を案じるアンソニー・ホプキンスや、裏方で全力を尽くすお姉さんの方に感情移入していました。
ブラピの死に神という設定もただでさえ興味深いですし、家族や会社としてのファミリー物としても、心に染みるものがありました。
プラピ扮するジョー・ブラックがお迎えに来るならば…と思わなくもないですが、アンソニー・ホプキンスの言うとおり、「人生は立ち去りがたし。」…その通りだよな〜と思いました。。。
あきらめることは必要です
遅かれ早かれ死は訪れます。神様でも死神でも天使でも人間からすると抗えない絶対的な存在に導かれると思うと、死ぬのも納得できるから不思議なもんですね。日本では死は「呼ばれる」といいますしね。人生の最期にはあきらめることも必要。いい人生だと感じたらそれで上出来です。そんなことを示唆してる作品でした。ブラピはこの後ファイト・クラブのタイラーですか。さすが、雰囲気が違いますね。
あの花火は絶対に日本の花火だと思う。
近所の花火大会を見てこの映画を思い出し、劇場鑑賞以来の数十年ぶりに鑑賞。
ブラッド・ピット全盛期で彼をひたすら美しく撮った女性客を当てにした映画だと思っていたら、話自体にオリジナリティがあり面白く見る事ができた。
まあピットは半端なく美しかったが。
死神っぽい演出がもう少しどこかで欲しかったような気もするが、あまり強大でマジカルな力を見せつけられるより人間のことを一から知ろうとするが故の子供っぽさも良いかなと思った。
美人で聡明で勘の良い次女をあからさまに贔屓するカリスマで大企業の経営者役のアンソニー・ホプキンスの名優然とした重ための演技がそのまま作品の格を上げている気がする。
役員の娘婿はハゲてるけど忠誠心のある最高にいい奴だが、残念ながら人が良すぎて会社を任せるほどではない。
私はスキッピーのピーナツバターが一番だと思ってるw
入院してるおばあさんには死神に見えている事と、スーザンが抱き合った後に怖い顔で「あなたは違う人?」と言うシーンはかなりオカルト。
童貞が憧れる最高の初体験シーンだが、首から下も美しい二人があってこそ。
死神にさえも考えを変えさせる純粋で美しい大人の恋愛物語でした。
どーでもよい
しょーもない突っ込みを一点☝🏼
最後に老父と橋だったか丘を越えてった後に、
もしその向こうで老父が倒れてお亡くなりになってたなら、
あの大人数のパーティー会場に居た誰かがそれを目撃してて、👉🏼最後に一緒に居たあの男が怪しい!と疑われ、ただじゃ居れないだろうなと‥
引き込まれて
心掴まれてた!
中盤広範囲にわたって中だるみ感があったのは、ジョーの心の変化をもっとコミカルに描いたり、深掘りしなかったからかなと思った。
ラストシーンはいい意味で予想通りの展開だった。
脚本家があまりよくないのかもね!原作、原案は良くって!知らんけどw
稲妻に撃ったのはコーヒーショップの彼
人の営みを知識としてしか知らない死神が、人として過ごすうちに徐々に人としての機微を得ていくお話。
「限られた時間しか無い」という状況であるが、大富豪パリッシュと死神ジョーの感情の対比があり、人生の幕引きを意識することもなかった上映当時は私の視点にはジョーの感情しか存在しなかった。
40を目前にした今、パリッシュの視点を僅かに得て、彼の葛藤やそれを飲み込んだ潔さにもとても感じるものがあった。
ファンタジーを混ぜながらも人生観や今をいかに生きるのかを考えさせられる作品。
脇役である姉アリソンやその夫クインスの存在感もしっかりとあり、それぞれの人生を感じさせる。
その上で彼らの人生観がパリッシュやジョーに披露されるシーンは結構グッと来る。
180分という長い上映時間に対して、その長さを感じさせない没入感がある。
180分あっても尺が足りないきらいあり。
ハンサムの処理の仕方とかサクッとしてるし、アリソンへのフォローはほぼ無いのが少しさみしいとは感じた。
本筋としては死神ジョーの視点が多く、展開が進んでいくごとに人間性を獲得するのにつられて彼に感情移入しがちだけど、スーザンの気持ちはずっとコーヒーショップで出会ったハンサムに向いているのであって、2人のロマンスは実のところ頭から最後まで行き違っている。
死神ジョーがハンサムの体を借りた時点で2人は出会ってたからこそ、このラブロマンスは始まったわけで、かと言って他の人であればラブロマンスは始まらない。
どちらにせよ、死神ジョーにとって負けることが決まったロマンスだったわけで…これは神の立場を利用した身勝手さの因果応報なのかも。
薄気味悪い
キリスト教に死神と言う概念は無い。
堕天使になろうかと思う。人間は神の子なのだから、言うまでもなく、神との逢瀬などあり得ない。薄気味悪い。
ましてや、自己犠牲って事だと、白人キリスト教信者には理解しがたいと思う。
それだけ、日本人には受ける。さて、
ニューヨークのウォール街界隈のコーヒーショップでの会話。しかも、医学生が集まるコーヒーショップ。あの図書館の様なスターバッ●●コーヒーが現れる前の時代。医学生が集まる慌ただしい雰囲気が漂っていたはずだ。もう一度あって会話を楽しむ場所ではない。
さて、新しい経済の流れから、創業者として、自身の身を挺して会社の存続を守った訳だが、世紀が変わり(変わってなかった)この2年後の今日、アメリカン資本主義は、外からの巨大な嵐に巻き込まれる事になる。映画の頭で、ワールドトレードセンターの姿が悲く写っていた。
その二年後、彼女は内科医であっても、何人もの死を、目の当たりにしたのだろう。
この映画は同時期に上映した『タイタニック』を物凄く意識いていると思う。少なくとも僕は女優さんの区別がつかなかった。僕が20世紀最後に見たのが『タイタニック』であったが、この映画でなくて良かった。この映画は今日が初見である。23年目の今日見て良かったと思ったが、何一つ共感できなかったが。
追記
スターバ●●●コーヒーは何故あんなに静かなのか?図書館も静かなので、どこにも議論できる場所が今はない。それでSNSと言う仮想空間で議論する。しかし、炎上を恐れ、それも規制を受ける。仕方ない事だが『とかくこの世は住みにくい』がしかし『去りがたい、それが生だ』とまぁ当たり前。アメリカは日本よりも10年早いのだ。医療費が高い上に日本よりも10年も早くさらねばならぬとは。僕は嫌だ。絶対に嫌だ。痛くとも生きる。
ただのラブストーリーじゃなく、父の仕事や家族との向き合いも混ざって...
ただのラブストーリーじゃなく、父の仕事や家族との向き合いも混ざってるのが良かった!
そもそものストーリーが奇妙で面白い。
父親が娘に稲妻が落ちるような恋をしてほしい願いや、ブラピの言葉のチョイスや誠実さ、そして彼女の心と容姿の美しさとどれをとっても好きになれる。
カフェで初めて合ったシーンや、会議で元恋人を怒らせるシーンであったり、本当の愛を語る父のシーン等、好きなシーンも多々合った。
運命の出逢いを信じる人ならみていてジーンとくる映画やと思う。
〜この映画をみて自分のことを回想〜
僕は今まで2人、運命の相手やと思える女性と出会った。
だが、2人とも別れてしまった。
運命ではなかったのか、僕が運命を壊してしまったのか、はたまた三度目がくるのか‥
言い得て妙
作中のアンソニー・ホプキンスのセリフ「死と税」というのは、アメリカ建国の父の一人と言われているベンジャミン・フランクリンの言葉のようですね。
企業経営者にとって、どうしても免れることのできないリスクとして両者は共通ですが、老体の身で、自分に差し迫った死(死神)を、同じく免れがたいものとして税(税務査察官)になぞらえるのは、言い得て妙というものだと思います。
一方で、世の中で死と税金だけが確実にやって来るもの=免れがたいものだとすれば、「若い二人の運命などは、二人で力を合わせて切り開けば、いかようにも変えて行ける。」という、ある意味で反語的なメッセージにもなっているのではないでしょうか。
ラブ・ロマンスものの作品としては、そのように受け止めたいところとと思います。評論子は。
ファンタジーめいた設定からは想像もつかない人間ドラマ。 何も持たず...
ファンタジーめいた設定からは想像もつかない人間ドラマ。
何も持たず何も知らなかった男が、愛の感情から喜怒哀楽を知り、そして善が芽生える。
ありていに言えば、人間社会はこんなにも美しく喜びに満ちている、というメッセージだろうか。
生と死、仕事と家庭、愛と憎悪、対立するさまざまな価値観について考えさせられる。
視聴前は3時間という長さにびびってしまったけど観てよかった。
それにしてもブラピは何しててもかっこよすぎる。
ジョーと一緒に感情を学んでゆく感覚
タイトルはよく知っていましたが、ファンタジー映画だとは知らず、見始めて冒頭で死神が出てきて面食らいました。
スーザンと本物のジョーとのカフェでの出会いが素敵だったのでここからどう展開していくのかとキュンキュンしていたら突然の死。
私の予想のはるか上を行き続けてくれたので時間が長い事に気付かずドキドキしながら見ることが出来ました。
小学生のようなブラピのキョトン顔が印象的で、自分も一緒に1から大切な感情を学ばせていただきました。あんな小学生みたいな男に魂を握られているってのもなんか良かった。
死ぬことは悪いことではないので、スーザンに全てを話して一緒に行くか選択してもらえば良かったのでは?と思いました。けど、あのブラピの肉体だからスーザンは恋に落ちたのか?と思うと、死神に付いていって全然違うマスクの愛する人に会ったらついて行った事に後悔するのかな、なんて妄想を繰り広げました。
絵も美しく終始優しくて名台詞が多くとても好きな映画になりました!
神々しい美しさのクレアフォーラニ
ブラッドピット扮する死に神は、アンソニーホプキンス扮するビルのところへ休暇でやって来たが、クレアフォーラニ扮する娘スーザンと愛する仲になってしまった。
何とも不思議な話だったね。死に神と来れば、ブラッドピットよりアンソニーホプキンスの方がイメージに合うのだが、そうであればスーザンとは恋仲にはなれないな。
クレアフォーラニが、医師らしい神々しい美しさを魅せて全体を盛り上げてくれたね。貫禄満点のアンソニーホプキンスもさすがに素晴らしかったし、ブラッドピットも若干戸惑う死に神としてスーザンとからむシーンはとても良かったよ。
感情の機微を緻密に表現している素晴らしい作品
ドラマチックな出会いに始まり、死神が下界に降り立つという現実離れした設定の下、ついつい安っぽい映画に見えがちだが、無駄に思えるシーンが全てラストシーンに向けての種まきだったと言えるだろう。
まず、3時間という少し長めの上映時間だが、実際に映画の中の彼らと同じ時間感覚を示しているのだと思う。つまり、彼らにとってジョーとの生活が日常になる程には長く、愛する人との別れを決するのには短いということであるのだ。グダグダとシーンが続いている感覚に陥ることがあったが、実際には彼らにもシーン以外での生活があり、それによりもっと時間の空間があったのだ。ラストシーンでは、グダグダの時間が何故か優しい思い出に感じられ、この映画と離れ難い気持ちを抱かせてくる。
次に、誕生会当日のスーザンの感情を表す表情が注目すべき点である。これは私自身の解釈であるが、スーザンは何となく全てを察していたのだと思う。全てというのは、父が去ること、ジョーがコーヒーショップの彼とは異なること、二度とジョーとは会えないこと等である。
父が去ることを察していると解釈したのは、明らかにスーザンが泣きすぎているということだ。確かにファザコンのスーザンにとって、父の誕生日はとても大切なものであると思う。だが、ただの誕生日にしては言葉が重すぎるのだ、泣きすぎているのだ。父からの悔いは無いかという質問に対して、少し間をおいて、悔いは無いと言う。それを聞いて、父は心が軽くなったと言う。再考してみるが、悔いがないはずがないのだ。ジョーを手放したことを彼女はまだ心残りなはずなのだ。若い彼女が猛烈な情熱を注いだ彼を一晩で諦められるはずがないのだ。だが、父を安心させるために嘘をついたのだ。また、父とジョーが橋の向こうにさって、コーヒーショップの彼だけが帰ってきても、橋の向こうへ父を探しに行かなかったのは、察していたからこそ、わざわざ人目を避けて旅立った父への配慮を行ったのだと考えるからだ。これらのことから、父がなんとなく去ることを察しているのだと思う。
ジョーがコーヒーショップの彼ではなく、二度とジョーと会えないことを察していたというのは、生き返ったコーヒーショップの青年との会話の中に見ることができる。ジョーとパーティーで話す中で、ジョーが違う人であると気づくスーザン。余談だが、この時のブラピの目の演技は素晴らしい。青年と違うと気づかせる目の演技が、素人のわたしにも分かる違いを見せていた。スーザンは青年と違うことに気づき、恐怖に怯えるが、自分が愛したジョーとジョーを愛した自分を肯定するために、ジョーを肯定する。ジョーはそんな彼女を見て、彼女を連れて行かないことを決心したのだろうか。本題の戻るが、橋の向こうから帰ってきた彼にスーザンは質問を繰り返し、ジョーが去り青年が生き返ったことを悟る。そもそも、質問しながら勘ぐっている時点で、ジョーが去るべき人であったということが分かっていることは自明の理である。この後のスーザンの目の演技が素晴らしいのだ。青年が話し続けている中で、ジョーが去っていった橋の向こうをしばらく見つめるスーザン。だが、青年に僕を好きだと言ったと言われ、それを否定し、とても好きだと言ったと言う。これは、あの一瞬でジョーが青年を送ってくれたことを理解し、自分はジョーと父が与えてくれた贈り物を受けとることを決心して、ジョーへの気持ちにある意味蓋をして「好き」に「もっと」を追加したのだ。その後、未来の話をするスーザンには最早過去のジョーとの恋愛は置いているのだ。ラストは、暗いあの世を象徴する、ジョーたちが去った橋とは反対の、花火が咲き誇る明るい人間界へと戻っていく青年とスーザンから、ジョーと父との決別が描かれているのだ。
名作と言わざるを得ない理由は尽きない。観れば観るほど新たな発見があるだろう。
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