情婦マノンのレビュー・感想・評価
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ファム・ファタールを演じたセシル・オーブリーの不思議な魅力とクルーゾー監督の緊迫感ある重厚な演出
「密告」「恐怖の報酬」「悪魔のような女」のアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の世界的な評価を決定付けた代表作を漸く鑑賞しました。上記の三作品では、観終えた後に恐怖心と虚しさに襲われて、容易く感想を述べるのが難しいほどに強烈な印象を持ちましたが、この恋愛映画もまた同じく一筋縄では行かない映画の重厚さに満ちていました。優れているとか好みに合うという評価より、クルーゾー監督の演出タッチの情感の厚みに圧倒されたことが正直な感想です。
題材は『カルメン』と並びファム・ファタール(運命の女)を代名詞にする18世紀のアベ・プレヴォーの『マノン・レスコー』を原案として、第二次世界大戦のパリ解放の混乱した世相を背景としています。男も女も生きて行くのに必死な時代、明日どうなるのかも分からない不安の中で繰り広げられる男女の恋愛の情念を、モノクロ映像の暗いトーンで描き出しています。若い時にドイツでF・W・ムルナウやフリッツ・ラングの映画に触れて影響を受けたクルーゾー監督の経歴を窺わせる映像の世界観も感じました。構成は現在進行のポーランドからの亡命ユダヤ人の密航をプロローグに、その船に隠れていたマノンとロベールが拘束され、船長に自分たちの出会いから逃走までの回想話を語るという映画的な話法が観る者を惹きつけます。
主人公マノンは、母親が経営する居酒屋で働くも客であるドイツ兵に身体を売って生計を何とか立てていた貧しい少女でした。ノルマンディー作戦のアメリカ兵が進軍してきてドイツ兵が居なくなると、町の住民から売国奴の汚名を着せられリンチに遭うところを、遊撃隊のロベールの計らいで逃げ延びます。この銃撃戦やドイツの奇襲攻撃で混乱した民衆描写のリアリズムから、最初の二人の逃亡劇の流れがいいですね。マノンは、政治は解らないと言いながら戦争は人を醜くすると言う。そんな会話を経てマノンの魅力の虜になって行くロベールは、同時にレジスタンス運動に疑問を抱き始めていたようです。警察に突き出されないと知ったマノンが、水だまりの水面に映った顔を見てニヤリと笑うショットが、悪女の片鱗を窺わせます。パリに逃亡途中の空き家で一夜を共に過ごすシーンでは、(男の人と二人で過ごすのが今夜が初めてよ)と嘘を言いながら、(言い寄る男は皆本気じゃなかった)と、不幸な女を演じてみせ、(あなたは違う)と男の愛に答えようとします。ロベールが一日で陥落すのも仕方がない、この若きマノンの美しさ、殊勝なこころ、無垢な一途さを、セシル・オーブリーが鮮烈に演じています。
しかし、一度惚れ込んだ男の性は、マノンの度重なる裏切りに合っても許してしまう甘さにあります。そのロベールの優しさに甘えて自由奔放に己の欲求に生きるマノンが、より美しく溌剌と魅力を増していくのが、この人間ドラマの面白さと怖さでしょう。パリの闇社会のボスであるポールの愛人になるマノンは贅沢を知ってしまい、結婚しても愛は深まらないとロベールを牽制するも、結局バレてしまう。そんな二人の話を聴いていた船長が呆れて、女と別れるのが普通と助言しても、泣いて許しを請うマノンに丸め込まれるロベールの弱さ。しかしこの女性の武器を使いこなすマノンの涙の芝居は、二度目の裏切りのシーンで表現されます。この段階を経たふたりの場面の見せ方が巧く、男と女の凄い場面になっていました。モデルの仕事を辞めて隠れて富豪相手の売春婦になっていたマノンが、怒りから別れ話を切り出したロベールに大粒の涙をみせれば、餞別だと言ってマノンの顔に唾を吐き掛けるロベールの怒りが頂点に達しマノンの首を絞めます。でもそこから一転して、お互いに愛していることを確認するところに変わっていく。愛と憎しみが渦巻きながら、お互いの価値観のズレを探り行き着いた答えが、マノンの生い立ちからくる貧乏へ対する憎しみ。そして第三の裏切りは、金儲けに邁進するふたりが持ち家を持つまでになって尚、お金に執着するマノンの浅はかな行動からなり、輸送船に密航する結末に繋がります。このエピソードでは、戦後の混乱した闇社会でペニシリンの横流しをする「第三の男」のハリーと同じく、米軍基地からペニシリンを買い取るロベールの説明ショットがあります。
そして回想シーンが終わって、ふたりの身の上を知った船長が心変わりするところは、あまり現実的ではありません。マノンから棄てられるロベールに同情しても、殺人まで犯した罪は拭えない。ただ、ここに導くまでの映像の見せ方が優れていました。それは逃亡犯として独りパリからマルセイユ行きの列車に乗るロベールを追い掛けるマノンのとった行動の描き方です。別れるつもりのロベールが罪を犯して逃げるのを知って棄てられないマノンの心理変化は、本当の愛なのか。それを走り出した列車に飛び乗り様々な乗客で混雑した通路をかき分け、探し求めて人々を押しのけ突き進むマノンの一途な姿で表現しています。この執拗にモンタージュしたシーンの演出には唸りました。そして、印象的なショットが、ラストのクライマックスを暗示する余りにも映画的な役割としてあります。密航のユダヤ人の人たちを小舟に移した時、マノンとロベールを逃がした後に、船長が航海日記に書き込むショットです。容疑者とその妻は逃亡を企て、溺死したと。愛に溺れた男と女の道行が記録される、この象徴的な表現が素晴らしいと思いました。
ただし、ラストの亡命ユダヤ人の描き方が具体性に欠け、よく分からないのが欠点と云えば欠点です。マルセイユからイスラエルに向かっていたと思われるものの、途中アレキサンドリアの地名は出てくるが、どこら当たりの海岸に辿り着いたのか。なぜそこから大型トラックで運ばれるほど、目的地が遠いのか。エンジンの故障を簡単に諦めて、女性子供もいる人たちに砂漠を歩かせる過酷さを予想できなかったのか。現地の部族に襲われるのは、単なる偶然で盗賊の仕業なのか。この謎だらけのクライマックスは、砂漠の神秘的で幻想的な世界観に包まれています。故にここは、さまよえるユダヤ人の悲劇的な時代証明として、マノンとロベールの愛の終着点の舞台背景に納まっていると言えるかも知れません。凄惨な殺戮のショットと一時も離れられない男と女の性的な描写。マノンの片方の乳房が半ば露になって見えます。愛と生の墓場を砂漠で表現したイメージの世界観に圧倒されました。
セシル・オーブリーを見た当時の日本の映画ファンは、それまでに無いフランス女性の独特な容姿に驚いたと、淀川長治さんが述べています。正統派美女でもなく、ただ可愛いだけでもない。キャスティングに当たり、ラストの足から抱えられることを考慮して小柄な美女を探し求めたクルーゾー監督に抜擢されたオーブリーの身体は華奢でもグラマラスで、顔はアメリカのバービー人形のおでこと眼に相似しています。撮影当時は10代であった幼さに性的な色気があり、男を手玉に取る悪女の強かさはありません。ロベールを虜にしたのは、このまだ世間知らずで大人の色気が混在したアンニュイさにあるのでしょう。不思議な魅力に溢れた女優の誕生でしたが、後に児童文学者に転向した才媛でもありました。ロベールのミシェル・オークレールとレオンのセルジュ・レジアニは同じ年の20代半ばでの出演。オークレールには馴染みがなく、レジアニはイタリア生まれでも如何にもフランス男優のイメージがあります。「情婦マノン」と同じ年の「火の接吻」は、『ロミオとジュリエット』を翻案した脚本のロミオ役だった為か、もっと若い印象です。ジュリエット役は、16歳のアヌーク・エーメ。他に「山猫」「冒険者たち」「影の軍隊」などいい作品に恵まれた俳優ですが、シャンソン歌手としても有名なようです。
細かい部分で脚本の不備がありながら、クルーゾー監督独自の緊張感と重厚さを維持しながら物語を描く演出の凄みを感じられて、大変満足しました。制作して70年経ちますが、舞台背景の難民の悲劇と、若い男女の抜き差しならない恋愛の前時代的ドラマの普遍性の両面で、映画ファンに語り継がれていいフランス映画の古典でした。
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