自由の暴力のレビュー・感想・評価
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「いやだ、僕は後悔したい」
個人的な、今年出合ったコレ観て年末ジャンボ買おう!映画第1位(ちなみに2023年の宝くじ映画第1位は『トゥ・レスリー』。こちらも良い作品です)。 ロトで高額当選したその日暮らしの大道芸人フランツ・ビーバーコップが、大金を手にハンサムなブルジョワジーに恋をし、愛に溺れ、上流階級に仲間入りを果たすものの、影日向無く蔑まれ、金の無心に遭い、ついには裏切られ、やがて……。と、転生・復讐系の縦読み漫画なら冒頭の掴みはバッチリだ!な内容ですが、映画はまさかという場面で終わる。 なんて、情け容赦がないんだろう。 ただ、思わず筋書きを書いてしまいましたが、あらすじはこの作品の全てではなく、それ以上の深いものを与えてくれる映画であることは間違いありません。 監督は30代という若さでこの世を去るもドイツの鬼才と評されるライナー・ヴェルナー・ファスビンダー氏。名前の響きもイイね。 当作品では監督と主演を兼ねており、主人公であるフランツと同じに自身も男性同性愛者であることを公表されています。 ただ彼に関する書評に「その点において苦悩は無かった」と書かれる通り、マイノリティーであるフランツも自分の嗜好に関する葛藤や迷いは描かれません。だからこそ、性別も年齢も愛する対象も超えて観る者は彼に自分を重ね、彼を思い遣ることができる。 潔いなぁと思ったのは、要所のピークを敢えてカットする構成。 ・大道芸人として日銭を稼ぐフランツの仕事は「喋る生首」役。観たい、生首をやる様子。でも、映りません。 ・フランツにはロトを買う金が無く、それでもロトを買いたいと徒労する描写はしっかりあるものの、いざ射止めた高額当選の様子はまさかのカット。「彼は先週50万マルク当てた」というブルジョワジーの台詞のみ。 ・恋人に愛を囁き、露骨な露出と台詞もあり、マットの硬さを確かめるなど、寝台は映すけれども交わる描写は触れるようなキスのみ。 ・ラストシーンにおいても決定的な場面は堂々たるカット。 もちろん規制や、都合もあったかと思いますが、被写体の感情が起伏するドラマチックな場面を敢えてカットすることで視点はどこまでもドライになり、キャラクターの喜怒哀楽に振り回されることなく彼の行動や状況が観る者にフラットに投げかけられる。 だからこそロングショットで映されるラストシーンに込み上げてくる感情は、映るフランツではなく自分自身のものなのだと、痛みを思いながらも癒されもしました。 誰だって自分は一人ではないのだと感じたい。 自分だけが感じている痛みや孤独をわかってもらいたい。でも、わかってもらえるよりも、同じように誰かの葛藤を掬い、その気持ちがわかることも癒しになる。その感情を発露した人間が、性別や時代、身を置く環境などが自分と異なるとしても。 レビュータイトルは、後悔するような愛なんて、と諭されるような場面でのフランツの台詞から。自分で選び、自分が払い、餓えたものを手にして、壮絶な状況をどこか他人事のように軽やかに駆け抜けていく。 原題はドイツ語で『Faustrecht der Freiheit』。自由の防衛権といったニュアンスなのだそうです。日本公開時『自由の代償』から今回『自由の暴力』へと変わった本作。圧巻のラストシーンを見て自分ならどんなタイトルを付ける? と考えてみるのも良いかもしれません。 都内劇場での公開が本日最終日! 配信はされなさそうなので、誰かの背中を押せればとレビューしました。
説教くさくない
当たり前のことですが、長い間ホモソーシャルな縦社会であったからこそ、人間は資本主義に適合できたのかと思いました。いやいや、資本主義どころか封建主義もそうですよね。そしてアメリカ大統領選でも、マッチョな社会を望むのは人種問わず男性に多いみたいです。 本作はフランツの痛みを性的マイノリティで表現していましたが、これは女性も共感できると思いますし、貧しい人々にも共通していることだと思います。つまり、本作のテーマは資本主義です。この資本主義の中で性的マイノリティはお金を稼ぐことも掴むことも困難ですが、お金を持つ性的マイノリティはHAPPYみたいな。 フランツの搾取された痛みを痛みとしてではなく、至極当たり前に普通のことの様に描いているのが残酷さを増していました。それにお行儀がよくなくて説教くさくなくて観客を突き放すところも、ファスビンダーらしく容赦しないなって。
ファスビンダー監督が自らゲイ役を演じてます。
ビョウの付いたGジャンのポスターから、もっと不良っぽいクライム系を期待してたら、 思ったのと違って監督が自らゲイ役を演じる、ゲイ色の強い映画でした。 もちろん差別する気ないけど、男性器(無修正)が何人分も出てきたり、そういった面でキツかった… 早く終わってくれ!と思いながら、なんとか鑑賞。 で、この評価。 申し訳ない。 差別する気ございません。
清々しい位、
自虐的〜! ファスビンダー自身こういう最期を遂げると解ってたんじゃないのか? 酷薄そうな表情、不摂生、無教養、でも流石に可哀想。骨までしゃぶられて捨てられた恋人に対して憤るものの、仕方ない・・感なのは潔いのか?
映画としては、オープニングから只者でない感じ。お道具の話が出た時に股間ドアップって・・最期の身ぐるみのシーンでも呑気な音楽、徹底してるなぁ。
初めてのファスビンダー。
36歳の若さで世を去ったニュー・ジャーマン・シネマの鬼才、ファスビンダー。 今まで作品を観る機会がなく(以前『ケレル』のソフトを注文したら廃盤になっていた)、本作もこの日が最終上映。まったく下調べもせずに行ったら、LGBTど真ん中の映画だった。自分、ストレートなんだけど…。 統合前の西ドイツ。しけた見世物一座でしゃべる生首なんてインチキ芸で日銭を稼ぐゲイのフランツ(つまり、彼も人を騙す側の立場だったことに)。 一座の摘発で収入の場を無くすも、ロトが高額当選。しかし、そのことでセレブの同性愛グループに目を付けられ、何もかも失い絶望の淵に陥る羽目に。 いい生活してるくせに庶民のフランツからむしり取る連中もひどいが、ラストに登場する少年たちの行動も衝撃。不良には見えないが、当時の西独のモラルや治安、どうなってるんだ?! ロマン主義の作風で人気を博したヴェンダースや、歴史から材を取って問題作を連発したヘルツォークと並び称されるファスビンダー。 一作観ただけで判断すべきではないだろうが、虐げられる者への容赦のない眼差しからは、ネオレアリズモの影響がみてとれる。 主人公のフランツは器量も悪ければ、人間性も無垢ではない。 ガサツで行儀も悪く、ロトに当選したことで万能感に浸り、簡単に他人を見下す。 そのくせ、騙されていることにまったく気付かない単純さで、悲惨な最期にも同情しづらい点は『阿Q正伝』の主人公を思い出す。 タイトル『自由の暴力』(原題が Faustrecht der freiheit だから、以前の邦題より近い感じに)からも、冷戦下の自由主義陣営にありながら、体制への幻滅を感じさせる作品。今なら「左翼的」のレッテルを貼られることは確実。 フランツの姉や一座のストリッパーらの外観が醜悪なのに対し、セレブの階層が概ね美形揃いなのも、自由主義の虚栄や幻想を揶揄しているのだろうか。 にしても、フランツを演じる役者はとりわけブサイク。 このテの役をやるには体のラインも美しくなく、何でこんなのが主役に抜擢されたのかと思ったら…。 た、大変失礼しました! ファスビンダー監督が主演も兼ねていると分かっていたら、フランツの予言的な最期もまた違った感慨で観られた筈。 やっぱり観る前の最低限の予備知識は必要なのかも。 こんな性質の映画ゆえか、当日の劇場は自身久方ぶりの独り占め状態。 みんな、ファスビンダー作品観たくないのか(内容にもよるけど)。 おかげで出町座謹製「貸切王」の缶バッジを頂戴しました♡
静かに突き放す
ファスビンダー特集 - その2 見世物小屋で働きカツカツの生活を送っていたゲイの男が宝くじで大金を得たところ、金持ちのゲイの男に愛の名の下にそれをむしり取られて行くお話です。 教養もなくマナーもままならない男が束の間の上流階級暮らしで露呈させる粗野な振る舞いは観ている者をハラハラさせますが、ファスビンダーはそれを突き放して描きます。その冷たい視線が作品にザラザラした独特の肌触りをもたらすのです。虚飾と狡猾さに満ちた金持ちの世界の描写もクールですが、結局は彼らが社会の富を掠め取っていくのでした。 「これが我々の生きている世界なんだよ」とプイッと立ち去る様なラストが印象的でした。
ファスビンダーの残酷な目
他人のことを野蛮だと平気で言ってのける金持ちこそが野蛮なのだということを描いているのだが、先に死ぬのはつかの間に金を掴んだ貧乏上がりの青年の方なのである。/とはいえ、モロッコ旅行のシーンを見ればわかるように、金持ちだって所属しているコミュニティを出ればただの野蛮な征服者なのである。/ドラマ的展開があって、見やすい方のファスビンダー。鑑賞後はどんよりしますが。
「しゃべる生首・フォックス」こと見世物小屋芸人のフランツ・ビーバー...
「しゃべる生首・フォックス」こと見世物小屋芸人のフランツ・ビーバーコップ(ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー)。
同性愛者の彼の楽しみはロト。
見世物小屋が警察の手入れを受け、仕事も失ったフランツだったが、ロトが大当たり。
一夜にして大金持ちになった。
ブルジョワの中年男性から誘われたホームパーティで、ハンサムな青年オイゲンと知り合い、恋仲となるが、オイゲンの実家の製本会社は契約先の倒産で不当りを出す寸前。
フランツはオイゲンに相当額の出資を申し出、2年後には共同経営者になることを夢見るが・・・
といった物語で、基本は、身の丈に合わない金を手にした青年が、何もかも失ってしまうという典型的な物語。
ファスビンダーが初めて同性愛の世界を描き、本人が主演しているからフィルモグラフィー上、重要作品であることはたしかなのだが、面白い作品であるかどうかは別。
ファスビンダー演じるフランツが、あまりにも思慮不足に見えてしまうのが、いちばんの原因なのだが、彼が恋するオイゲンもあくどい人物以外の何者にも見えないので、興が乗らない。
冒頭の見世物小屋の手入れのシーンも外から撮っただけで、「あれれ、しゃべる生首の設定がまるで活かされていないなぁ」とも思った次第。
客の本心をしゃべるという設定は、画面で描いて、そんなチンケな芸ではオイゲンの本心は見抜けない・・・みたいなのを画でみせてほしかったです。
ラストの、死してもなおすべてを奪われる・・・というのには、相当な恐ろしさを感じましたが。
ホモソーシャルとホモセクシュアルを重ねたファスビンダー
女を介在させずダイレクトに描かれた二つの男の世界。一つは搾取する側の差別的で排他的で狡い男達がこれでもかと「活躍」する世界。もう一つは社会の底辺で体温の温かみのある優しい世界。フランツは後者の世界の人間なのに、男漁りをする中で前者の男世界に入ってしまった。宝くじで大金をあてた「いいカモ」のフランツは、新しく出会った男達のホモソーシャル社会を自分が知っている温かいホモセクシュアル社会と同一視し海千山千の男達の罠にはまってしまった。裕福でセンスと教養がありビジネスでつるみ互いに利益を享受するためにカモをしゃぶりつくす奴らの罠に。そして捨て置かれた。 ホモソーシャル社会の嫌らしさを描写したこの映画、今も十分説得力がある。女は働く手段も自由もなく搾取され悪態をつくか、ホモソーシャル社会にするりと入って男達を刺激せず順応して飾りでいるかのどちらかの選択しかないこともよくわかる。ペニスの大きさを競い男を誘惑し、躾も教養も知識も美意識もないフランツは、一方で純真で悪びれない素直で可愛い少女だった。絶望したフランツは最後の最後まで奪われ続けた。あまりに哀しい。 おまけ 熊本滞在最終日に"Denkikan"にて再鑑賞。また来るからね!(2024.10.20.)
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