終電車のレビュー・感想・評価
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観たかった度◎鑑賞後の満足度◎ これはフランソワ・トリュフォーのカトリーヌ・ドヌーヴへのラブレターだ。しっかり者のオカミサンと恋に燃える女とが同居している、それが貴女であり、それで良いんだよ、と…
①故橋本治さんの名著(と勝手に思い込んでおりますが)「虹のオルゴール」に書いてあったほどにはドヌーヴはドスドスとは歩いていなかったけれど、確かにいなくなった夫代わりに劇場の灯を消すまいと八面六臂の活躍。劇の上演を成功させなきゃなんないし、劇場を維持する為にナチ野郎にもいやいや挨拶しないといけないし、新独派の毒舌批評家ともいやいや付き合わなくてはならない。
しかも、逃げた筈の夫は実は劇場の地下に隠れていて安全地帯に逃げようにもフランス国土は徐々にナチスに占領されていき最早逃げ場もない。
長い地下生活に飽いて感情的になる夫をなんとか落ち着かせなければならない。この時のドヌーヴは妻というより母親である。
“こんなに私、頑張ってるのに、あの若造、あの批評家を(ホントは私が殴りたいんだけど)雨の中で殴るなんて、私の劇場を危機にさらす気?“と、もう私、やってられないわ、である。
③しかし、実は彼女は若造に恋している。夫を人の目から隠しているのと同じく、その恋情を隠しているのだが、初日の成功の高揚から終演時の舞台挨拶の際に思わず彼にキスしてしまう。
劇場の地下に隠れながら彼女(にメモを渡すやり方)を通して演出している夫は、頭上で行われている劇(の台詞)を聴きながら、彼女の若造への恋情に気付いていたくだりは流石に巧みな映画作り(演出家ならではの感性が妻の心変わりに気付いてしまう)。
④ラスト、終演の舞台挨拶で恋人と夫との手を取って誇らしげに微笑むドヌーヴのアップで終わらせるところは、まさにトリュフォーのカトリーヌ・ドヌーヴ賛歌だ。
今のところ個人的にはトリュフォー最高傑作。もはやヌーヴェル・ヴァーグではないけれど
ドヌーヴが好きでなかったので、ずっと食わず嫌いであったが、スチールを見たら、もう傑作の予感しかしなかったので、ついに観た次第。
これはメチャクチャ良かった。
すっかりドヌーヴが好きになってしまった。
おそらく最も美しいドヌーヴが見れる映画。
終わった瞬間は拍手したくなった。
ほぼほぼ夜のシーンに徹底したのが効果的で、撮影は流石のネストール・アルメンドロス。
室内の照明や蝋燭の微妙な光を見事に捉えて、暗く抑圧された占領下の雰囲気が如実に現れていた。
劇場内のセットには、幸運にも占領時代のまま手付かずで放置されていたチョコレート工場が利用されたらしい。なるほどのリアルさだ。
役者達も本当に皆んな素晴らしかった。
しかし、ではあるのだが…
『終電車』というタイトルの割には…
(当時、占領区では、11時以降は、外出禁止で、パリ市民は地下鉄の終電車を逃したら大変だった)
ナチスに占領されているというリアルな緊迫感が、あまりに希薄。おそらくワザと。
そして、かつては「カイエ・デュ・シネマ」の誌上で、当時のフランス映画の巨匠たちを酷評し続け「フランス映画の墓掘り人」とまで言われたヌーヴェル・ヴァーグの旗手の一人にしては、随分と濃厚にフランス映画の伝統的な物語へ回帰した作風となっている。
この変節を成熟という人もいるかもしれないが、あれほど痛烈に他人を批判していた以上、自分に対する無批判は有り得ない。
やはり、その点を踏まえた上での、メタ視点な自己への批評性は必要だったと思う。
また本作のスタイルと思うが、各シークエンスの話が途中で寸断され(伏線回収の類いも特になく)次から次へ展開していくのも、ちょっと物足りなかった。
劇場の乗っ取りを如何に回避したのか?は後半の良い見せ場になったと思うのだが…
トリュフォー、曰く「占領下のパリでひとつの劇場とひとつの劇団がいかにして生き延びたかという物語」であった訳だし。
あと、初日のカーテンコールの直前、ドヌーヴがドパルデューに思わず瞬間的にキスする重要なシーンは、もっと寄りのアップで印象的に撮って欲しかった。
姦通も重要テーマだった割には、こちらの演出が控えめだったのも残念なところ。
とはいえ、クランクインまでは資金面で危機が訪れていた本作、無事完成に漕ぎ着けてくれて本当に良かった。
トリュフォーは本当に幸運な男だったと思う。
劇場では、コネを使って検閲を通した戯曲を上映していて、その地下には...
劇場では、コネを使って検閲を通した戯曲を上映していて、その地下にはユダヤ人の夫を隠している。たくさんの人が見ることのできないはずだった劇を見にくるし、夜中には地下に隠れていた夫は一階まで上がってくることもある。この劇場は基本的には不可視の性質を持ちつつ、時に可視に揺らめく、そんな空間だ。
そういうわけで、この劇場をめぐる物語は、権力だとか欲望だとか名声だとかが張り詰めたようにぎりぎりのバランスだ。すこしでもそのバランスが崩れたならば、夫は見つかって殺されるだろうし、劇場はナチスに奪われてしまうだろう。
女主人は、主人公を演じる男に惹かれていくのだけれど、その恋愛の均衡もどきどきしてしまう。カーテンコールの合間に突然キスをするのだけれど、一瞬間でもタイミングがずれれば、たちまちにスキャンダルだ、
この映画のタイトルは「終電車」、間に合うか間に合わないか、あのぎりぎりのタイミングによって運命を分けられたときに、前者と後者ではまったく違う物語になってしまう、この物語は、あらゆる局面で「終電車」的状況に陥る、なんどでも、主人公たちといっしょにどきどきしながら見たい、
2人の恋の行方がとても気になるのだけれど、戦争後のふたりの姿は恋人関係にある劇中劇のなかでしか見ることができないから、ほんとうのことはわからない。演劇世界と現実世界もまた絶妙なバランス、で保たれているのだ、
観たあとに面白くなる
舞台はナチス占領下のパリの小劇場。主人公マリオンは、そこの看板女優。演じるは大女優カトリーヌ・ドヌーブ
年上(初老と言っていい)の夫ルカは、そこの支配人だったが、ユダヤ人ゆえ迫害を逃れて劇場の地下に隠れ住んでいる。周りには国外に逃れたことになっているため、ルカが地下に住んでいることはマリオンしか知らない。
ルカは毎日、マリオンが訪ねてくるのを楽しみにしている。妻と会えるということはもちろんだが、劇団の活動についても気がかりだからである。
いまはマリオンが支配人を務め、劇場は新作公演の準備に入っていた。新作の舞台には、新人の役者ベルナール(ジェラール・ドパルデュー)がマリオンの相手役として加わった。
支配人としての責任を背負い、終始、毅然としていたマリオン。だが終盤、役を降りて劇場を去ろうとするベルナールに対して、一瞬にしてよろめく。
この一点に、本作の頂点がある。
僕は、この瞬間まで、マリオンとベルナールが惹かれ合っていたとは気付かなかった。
でも、終わってみればいくつかの伏線に気付く。
そう、この映画は、終わってから、あれこれ考えるのが愉しいのだ。
年上の夫と、才能ある若い男とのあいだで揺れる人妻。
手当たり次第に女性に声をかけるベルナールは、マリオンにだけは言い寄らない。
地下室にナチスの調査が入ったときですら冷静だったマリオンは、ベルナールに対しては激しい感情を見せた。
地下から芝居の練習の様子を聴いていた夫はすべて察していたのだろう。夫婦の逢瀬も、マリオンがベルナールに惹かれるのも、すべて狭い劇場の中の出来事なのである。だからルカはマリオンを「残酷」だと言った。
タイトルの終電車(原題Le dernier metroも最終の地下鉄という意味)の意味ははっきりとはしない。
ナチス占領下で夜間外出制限のあったパリでは、終電車に乗り遅れると身の危険があった。
ルカの存在がバレるか、その前に戦争が終わるか、という緊張感や、マリオンの恋の焦燥感を表しているのだと思う。
戦争の時代にも、舞台と自由を愛する演劇人が活き活きと描かれていて、脇役も含めて魅力的。
脚本、演出、そして役者、どれもが素晴らしい。観る者の記憶にしっかりと刻まれるからこそ、観終わったあとに余韻にひたれるのだ。
カトリーヌ・ドヌーブの、恋に揺れる色気は匂うほどで、暗い映画館のスクリーンに映し出されるのが似合う。
チャンスがあれば映画館で観るべき傑作。
大女優
この時40歳ぐらいで既に大女優の貫禄、妖艶でそれでいて近寄りがたい風格。デビューから初期の若々しさから徐々に役柄を作ってきて、ここにきてこれかと。すごい女優だ。
それにしても、原題も邦題もどうしてこうなる? メトロの駅も映っていたけど、本筋に絡まないし。「終着駅」的なものを想定していたので驚く。
まあまあだった
盛り上がりがさっぱりなくて、長くて飽きる。ドイツに占領されていても人々は窮屈な思いをしながらも生活していた様子がうかがえる。評論家が殴られていたのはどんなに嫌われ者とは言え弱い者いじめみたいで気の毒だ。地下での生活が大変なのは容易に想像はつくけど、ちょっとしてみたい。
恋愛偏差値
1942年ナチス侵攻後のパリ。
夜間は外出禁止となり、終電を逃した人々は劇場や映画館に駆け込み毎晩賑わったと。
Montmartre劇場はユダヤ人支配人かつ劇作家のLucas Steinerがアメリカに逃亡してしまい、彼の妻で花形女優のMarionに運営が託され、劇場関係者がドラマを繰り広げるという話。
「消えた女」という芝居の世界と実際のやり取りの境界線が時折曖昧になるくらい、全編を通して舞台を鑑賞しているかのようでした。
地下に隠れながら監督・演出指示し、舞台上の恋愛と微妙な三角関係になるなんて、”The Phantom of the Opera”みたいです。
本作は同性愛や反ユダヤに対する許容がテーマだそうですが、ナチスへの拒絶反応が一番目立っていました。ナチス=邪悪という扱いも仕方ないと思いますが、ひとつの政治思想だと捉えたら矛盾している気もします。
最初は登場人物達の謎めいた行動にワクワクしましたが、事情を知ると人間模様そのものに関しては、戦争もナチスもあくまで色付け程度の設定に感じました。
妻を愛せるか?と夫が冷静に愛人(-to-be)に聞くなんて芸術家しか無理?!
BernardとMarionって惹かれ合ってたのか?
歌と合わないくらい献身的なMarionにすっかり騙されていたと鈍さを自省しつつ再鑑賞。
初めこそ互いに盗み見していましたが、2人とも分かりにくいぞ!!
本気で好きな訳ではないから甘い言葉を方々で囁ける男。
本当に好きだから好きな振りができない、もっと惹かれてしまいそうだから近付けない女。
妻の演技から隠れた心情まで感じ取る夫。
新入りBernardを褒めるだけでは足りず、夫に写真も見せて話題にするMarion。好きな人の話はしたいものだ。
Marionのことを敬愛しているから、あそこまでBernardはDaxiatに怒るのでしょうね。
若い役者に心を奪われながらも尽くしてくれる妻に夫は一言、残酷だと。
稽古で頬を触られるのも嫌がっていたのに、キスで気を持たせておきながらやっぱりつれない態度、冷たい女だなと。
Marionは「心を消した女」。
そうか、そういうことだったのか。
で、現実の想いが演技にも役立ち新作の芝居も大成功と…。
Gérard Depardieuをイケメンの括りで見たことがなかったのですが(ごめんなさい)、若かりし頃から演技での存在感は抜群でした。
あと終電はそんなに関係ありませんでした。
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