ジャンヌ・ダークのレビュー・感想・評価
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殺す側と殺される側の論理
殺す側と殺される側の論理だなぁ。
やっている事は東條英機とおなじだが、魔女裁判の挙げ句、殉教者として崇め立てられるのは、イングランドの侵略からフランスを守ったからだと思う。一方、東條は東京裁判で裁かれる訳だが、中国やアメリカを侵略した側の頭であり、正当性が高い判決だと僕は思う。東條英機に取っては勿論犬死だったと思う。もし、国を守る事で戦って、その行為が犯罪と見なされれば、ジャンヌと同じ殉教者と言えるかもしれない。まあ、先の大戦で犬死した英霊を祀るのは絶対に駄目だなんて言えないが、犬死だった事は間違いない。犬死を今後出さない為にもそう言った場所は必要だと思う。負の遺産として。
スペクタルな前半と殉教物語の後半との大きな落差
監督が、1939年作の風と共に去りぬのビクターフレミングで1948年作。前半は確かに、英雄的なジャンヌダークが大活躍する戦争シーンがなかなかの迫力で、風と共に去りぬのスペクタルなところを彷彿させる。後半は一転して、一度は死が怖くて転ぶが、そこから立ち上がり神に殉じて火炙りにされるイングリッド・バーグマンの葛藤する姿を描き、史実通りとは言え、まるで宗教映画の様。
暫く聞けなかった神の声や天使の姿をバーグマンは聞き・見えたと話す。観客にも、その姿は見せていないが、それを話す時のバーグマンの晴れやかな表情と緑に輝くその瞳の美しさには圧倒される。
神が選んだフランス国王の人間的弱さは不可思議。そして、深い深い信心だから神がバーグマンを助けても良さそうなのにと思ってしまうが、それは日本人的な神様の捉え方なのだろうか?映画の中の多くの人々、さらにおそらく製作者もジャンヌダークの殉教を神のところに行けたと肯定的に見ているところが、ピューリタンが建設したアメリカ的ではあると思った。
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