ジャズ・シンガー(1927)のレビュー・感想・評価
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『サイレント映画のミュージカル』
この話はユダヤ人のアイデンティティに縛られて、伝統を守った一人のジャズシンガーの話ではない。確かに大事な日に彼は伝統の儀式を選んだ。しかし、後日談がその後に語られるが、実に明快にその理由が語られる。感涙である。
家出をした数年後、主人公はステーキのようなものを食べて、飽食の限りを尽くしている。一見、自堕落な生活になってしまったのかと残念な気持ちに鑑賞者は感じる。しかし、その後の彼のプロとしてのアイデンティティにその思いを帳消しにしてくれる。それが贖罪の日のキャンセルだと想う。
この映画のもう一つ凄い所は、1930年よりも前に上映された映画と言う事。戦前と言うだけでなく、あの恐慌の前の事。世の中はこの映画の様に浮かれていた時代だ。つまり、JAZZの未来の一側面をも見抜いていることだと思う。
『サイレント映画のミュージカル』実に素晴しい。傑作だ。
『差別などが満載。だから、ユダヤ人は排斥された。』とヘイトしては駄目だ。ジャズをアメリカに広めたのはドイツ・ユダヤ系移民のアメリカ人なのだから。
被っている帽子がインドネシアの人達が被る帽子みたいだ。『ソンコック』というらしいが、最近のユダヤ教の方は『キッパ』を被っていたと思う。
アメリカというのは、エッジィというかマージナルというか、そういうも...
アメリカというのは、エッジィというかマージナルというか、そういうものをこれでもかと体現するが、こういうのもあったのか!という感じ。ジューイッシュの先唱者とジャズが出会ってミンストレルだなんて。(そもそも恥ずかしながら不勉強にして、ユダヤ教の先唱者について触れたこともなかった。)
父性と母性の間での揺らぎの中で、聖と俗が一体となる瞬間(“ジャズ・シンガーが賛美歌を歌っているのよ”)の美しさといったら。
お楽しみはこれからだ
1927年、この歴史的作品がワーナーブラザーズ社から公開された。 多くの人が(本作を観ていない人までもが)世界初の発声映画と語るこの「ジャズ・シンガー」だが、実は本編中、声が聞けるのはほぼ歌うシーンのみというパート・トーキー映画である。しかも、本作は厳密に言えば世界初のトーキー映画ではない。 監督は、1926年にすでに効果音付き映画「ドン・ファン」を制作していたアラン・クロスランド。 主演はブロードウェイの人気者、アル・ジョルスンと「ベン・ハー」などに出演していたメイ・マカボイ。 厳格なユダヤ教徒の息子として生まれたジョルスンだが、彼は歌うことに生きがいを見出しており、それが理由で父親から勘当される。家出した彼は酒場やレストランで歌い、生計を立てている。この場面は本編中、最も有名なシーンであろう。 すなわち、ジョルスンはいつも通りレストランで「dirtyhands、dirtyface」という極めて差別的な歌を熱唱する。客は皆拍手を送るが、中でもメイ・マカボイはその歌声にうっとりとしていた。 鳴り止まぬ拍手に照れながらジョルスンは、歴史的名言を吐く。 「wait a minute, wait a minute. you ain't heard nothin' yet!」 間髪入れず「Goo'Bye」を楽しそうに歌う。 そこから彼はスターダムを駆け上がり、めでたく父とも仲直りする。 この映画は"声"に多くを負っており、ストーリーはスター、歌声の二の次である。 また、当時は当たり前だったのだろうが、顔を真っ黒に塗り、その見た目を笑うというシーンがあり、これはいただけない。 クライマックスで、やはり顔,手を黒く染めたジョルスンが母の前で「my mammy」を歌うという感動すべきシーンがあるのだが、その見た目が現代人の目にはグロテスクに映り、嫌悪感さえ覚える。 とはいえ、本作の歴史的価値は計り知れず、使用された曲の多くが大ヒットした。 特に「ブルー・スカイ」はその後、数々の映画で使用されることとなる(「世紀の楽団」,「ホワイト・クリスマス」など)。 "狂乱の20年代"は映画界にも多くの変革をもたらした。芸術を極めた無声映画は消えゆく運命にあり、「音を持ったことで退化した」とまで言われたトーキー映画の創世期が始まるのである。 その1頁目として多くの人に記憶されるべき作品であり、ジョルスンの名言を確かめるというだけでも一見の価値がある。
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