ジャズ・シンガー(1927)

解説

「シンキング・フール」に先んじて制作されたアル・ジョルソン氏第一回主演映画でサムソン・ラファエルソン氏作の舞台劇に基づき「猫とカナリヤ」「最後の警告」のアルフレッド・A・コーン氏が脚色し「マノン・レスコオ」「我れ若し王者なりせば」のアラン・クロスランド氏が監督し、「ノアの箱船」「最後の警告」のハル・モーア氏が撮影したもの。助演者は「昼閑夫人」「犠牲」のメイ・マッカヴォイ嬢、「支那街の夜」「巨人」のワーナー・オーランド氏、オットー・レデラー氏、ユージェニー・ベッセラー嬢、ナット・カー氏、リチャード・タッカー氏等である。

1927年製作/アメリカ
原題:The Jazz Singer

ストーリー

東部ニューヨークのユダヤ街の教会に代々讃美歌の主唱をつとめているラビノウィッツ家に生れたジェーキーは堅苦しい世襲の業を嫌って華やかな舞台に憧れをいだいていた。それを知った昔気質の父親は怒りのあまり彼を勘当してしまった。数年後ジェーキーは天性の美声をもってジャズ・シンガーとなりジャック・ロビンという芸名でシカゴの舞台に立った。そしてようやく彼の天分が知られて来たころ、同じ劇場に働いていた女優メリー・デールと甘い恋のささやきを交わすようになった。メリーはジェーキーをニューヨーク、ブロードウェイの桧舞台に立たせて一流のジャズ・シンガーにさせたいと種々手づるを求めた結果、ようやくブロードウェイの一流劇場に出演する契約がととのった。かくて幼き頃ジェーキーが夢見ていた空想はここに実現し、故郷ニューヨークへ錦を飾って帰ることができた。やがて彼とメリーとを主役とした斬新奇抜な大レヴューの初日は来た。丁度その日はユダヤ教にとって最も厳粛な式の行なわれる「償いの日」であった。ところが肝腎のラビノ・ウィッツは重病で晴れの主唱をつとめることができなかった。主唱は教則で世襲の相続者でなくてはできないものであった。これに老いた母親は狭い女の胸を痛め、ジェーキーを劇場の楽屋に訪れて主唱の役を務めてくれと頼んだ。しかし彼としては母に従えば恐らく今後掴むことのできぬ好機会を逸した上に恋人の好意を無にすることになり、また母を拒んで舞台に立てば肉親に背かねばならず、義と情と、愛と功名心とに喘ぎ苦しんだが、たとえ再び舞台を踏むことができなくなるとしても年老いた母親に従わずにはいられなかった。彼が聖典に列すべく教会へと去ったため劇場は開演することができなかった。が涙ぐましき彼のやさしき心情が世間に知れ渡るとそれがいい宣伝となって再び劇場に出演することができてメリーと共に出演するや彼の天分は一躍ジャズ・シンガーの王座を占めることができた。

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映画レビュー

5.0『サイレント映画のミュージカル』

2023年9月14日
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マサシ

3.5アメリカというのは、エッジィというかマージナルというか、そういうも...

2023年4月3日
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鑑賞方法:映画館
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ouosou

5.0泣けました

2022年12月19日
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とても苦しく涙が止まらなかったです。
自分ならどうするのか考えさせられました。

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ししまる

3.0お楽しみはこれからだ

Kさん
2022年3月16日
Androidアプリから投稿

1927年、この歴史的作品がワーナーブラザーズ社から公開された。

多くの人が(本作を観ていない人までもが)世界初の発声映画と語るこの「ジャズ・シンガー」だが、実は本編中、声が聞けるのはほぼ歌うシーンのみというパート・トーキー映画である。しかも、本作は厳密に言えば世界初のトーキー映画ではない。

監督は、1926年にすでに効果音付き映画「ドン・ファン」を制作していたアラン・クロスランド。
主演はブロードウェイの人気者、アル・ジョルスンと「ベン・ハー」などに出演していたメイ・マカボイ。

厳格なユダヤ教徒の息子として生まれたジョルスンだが、彼は歌うことに生きがいを見出しており、それが理由で父親から勘当される。家出した彼は酒場やレストランで歌い、生計を立てている。この場面は本編中、最も有名なシーンであろう。

すなわち、ジョルスンはいつも通りレストランで「dirtyhands、dirtyface」という極めて差別的な歌を熱唱する。客は皆拍手を送るが、中でもメイ・マカボイはその歌声にうっとりとしていた。

鳴り止まぬ拍手に照れながらジョルスンは、歴史的名言を吐く。
「wait a minute, wait a minute. you ain't heard nothin' yet!」

間髪入れず「Goo'Bye」を楽しそうに歌う。
そこから彼はスターダムを駆け上がり、めでたく父とも仲直りする。

この映画は"声"に多くを負っており、ストーリーはスター、歌声の二の次である。
また、当時は当たり前だったのだろうが、顔を真っ黒に塗り、その見た目を笑うというシーンがあり、これはいただけない。

クライマックスで、やはり顔,手を黒く染めたジョルスンが母の前で「my mammy」を歌うという感動すべきシーンがあるのだが、その見た目が現代人の目にはグロテスクに映り、嫌悪感さえ覚える。

とはいえ、本作の歴史的価値は計り知れず、使用された曲の多くが大ヒットした。
特に「ブルー・スカイ」はその後、数々の映画で使用されることとなる(「世紀の楽団」,「ホワイト・クリスマス」など)。

"狂乱の20年代"は映画界にも多くの変革をもたらした。芸術を極めた無声映画は消えゆく運命にあり、「音を持ったことで退化した」とまで言われたトーキー映画の創世期が始まるのである。

その1頁目として多くの人に記憶されるべき作品であり、ジョルスンの名言を確かめるというだけでも一見の価値がある。

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K