「毒親の呪いは、時間差で襲ってくる説」シャイン ソビエト蓮舫さんの映画レビュー(感想・評価)
毒親の呪いは、時間差で襲ってくる説
主人公の半生モノ映画は、時間が足りない、
と感じる事が多くなるのは、映画の常。
シャインの場合、終盤の、ギリアンとの馴れ初めや、
共に人生を歩むくだり付近は、
だいぶ駆け足になったのは残念だったが、
それ以外の部分は、過不足なく、
うまく物語がまとまっていたので、見やすかった。
見どころはやっぱり、終盤の演奏シーン。
これに尽きる。
本当に弾いているように見せる役者の演技、躍動感。
実際に聴こえてくる、圧巻の演奏と音色。
ただの変人だと思ってた眼鏡オジサンが、
実は天才だったと分かった瞬間の、
バーの観客達の、あの顔。
映画を観ている観客のほぼ全員が、
どうだ、凄いだろ?と、
ドヤ顔できるあの瞬間が、たまらなく、好きだ。
物語の前半パートは、なかなかシンドイ展開。
幼少期から青年期まで、
毒親親父に「ダブルバインド」の呪いをかけられ、
ストレスにより、統合失調症が発動する。
主人公が豪州から英国に留学したのだから、
父親の精神支配や物理的虐待は、
直接的な原因ではない、
と思ってる人が散見されるが、それは間違った解釈だ。
ダブルバインドのストレスやトラウマ、発病というものは、
時間差で襲ってくるし、遠隔で発動するものだ。
なぜなら、私がそうだったからである。
私にも毒親の父親がいる。
私にとってのダブルバインドは、たとえば幼少期に、
自由に生きなさいと言われ育ったのに、
大学進学以降は田舎に早く帰れ、転職しろと言われた。
これはまだ序の口で、一番キツかったのは、
酒癖の悪い父親は、悪友の飲み仲間と毎日のように飲み歩いていたが、
私をその場に呼んで、連れ回そうとするのだ。
酒に溺れ、酒に呑まれた父親を見るのが嫌いで、
私は飲み屋に行く事を拒否するのだが、
嫌々その場に行き、つまらなそうにしていると、
突然、連れてくるんじゃなかったと激怒し、
タクシーに私一人だけ乗せ帰らせるのだ。
これが一番キツかった。
つまり父親は、私を愛しているのではなく、
私を愛す、父親として振る舞う「自分自身が好きなだけ」なのだ。
父親の、慈愛ではなく、自己愛のための、ツールとしての息子。
これを、幼少期の段階ですでに私は気づいていた。
他にも、物理的虐待こそ無かったものの、
精神的経済的虐待と呼ばれる、
トラウマやコンプレックスの時限装置は、
いくつも仕掛けられたように思う。
主人公の父親は、ホロコースト経験や、自身の父との関係性ゆえに、
息子にダブルバインドの呪いを、かけてしまったようだが、
確かにこの父親は、私の父と同じように、息子を愛しているのだろうけれども、
その愛は、本当の愛のようで、実際の所は、
自己愛性人格障害の結果だと推測できる。
ゆえに、父親は「お前は運がいい」と、
自身が与えられなかった音楽の道への機会を、自分が与えてやったんだと、
自分の功績を「過大評価している」のである。
そして、ラフマニノフという楽曲へ、遠隔装置、時限装置としての呪いをかけ、
主人公は時間差で、気が狂うのだ。
私の場合は、呪いに対して、気づきがあったゆえに、
主人公ほどの発病は無かったが、やはり、父親から離れ、
数年後の大学生の時に、少々の鬱状態にはなった。
なので、発病後、父親と主人公の間に空白の期間があるのは当然だし、
そこに下手な和解もいらないと思う。
あの再会のシーンは、余計だなと個人的には思うし、
父親の墓参りで見せた、主人公の意外と冷めたリアクションは、
逆に必要だと思う。
それにしても、主人公は優しい人間だ。
父親に対して、憎しみの感情がほとんど見られない。
私なんて、憎む事でしか耐えられなかったのに。
そういう優しさが根っこの部分にあるから、
彼は色んな人と出会い、そして支えられ、「生き残っている」のだろう。
彼はやっぱり、運がいい。
なーんだ、私ってやっぱり運が悪いんだなとつくづく思うのだった。
誰か助けてくれー。