市民ケーンのレビュー・感想・評価
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映画史上最高傑作を観てみた
とりあえず、映画の基礎がない時期に、 これだけの演出を、わずか25歳で成し遂げた凄さ。 どうすればこんなことが出来るわけ?? 天才なの??
「Mank」とセットで観て、その真価が分かる。
当時、ハリウッドの中では、この映画の ケーンが誰を指しているか周知の事実だったが 故の脚本賞だったのでしょう。(T . T) 映画ファンのオールタイムベストでほぼtopに 来るのも、それが理由ですね。 その裏側を知らない人にとっては 映像表現はとても素晴らしい事は分かりますが 古今から良くある「金(KANE)より愛」映画と しか思えません。 自分も途中から相当、眠気との闘いでした。 (><) しかし、「Mank」を観ると、どれだけの 深い思い、人生の葛藤、紆余曲折があって、 この脚本が書かれたのか、映画会社を敵にまわしても この映画を世に出さなければいけない理由が 分かりました。 当時のハリウッドの赤狩りの風潮、 大統領選も絡んだ権力争い、映画会社の横暴、 ナチスの台頭、ユダヤ人の保護など、改めて マンキーウィッツの人生を賭けた作品であった 事に対しての高評価でしょう。 m(_ _)m そして、この作品を映画として、最高の技術と センスで世に出したオーソン・ウェルズの才気(鬼)に 脱帽です。 黒澤監督の映像センスは近いものを感じました。 今、観ても斬新なカットだらけです。 ^ ^ とにかく最近の映画ファンにとっては、 「Mank」を観ないとこの映画の真価は 分からない、と言えるでしょう。 まあ、本当に優れた作品は予備知識なしで 子どもが観ても心に残る作品だとは思いますが、 予備知識も含めて映画の歴史に残すべき作品だと 思います。 当然、「Mank」とセットで残さないといけませんが。 f^_^; 結局、人生の真実なんて、他人には分からないもので ローズバットが子ども時代のソリに書かれている というのも、本当の意図は別にあったという事。 そして、 時代の流れに飲み込まれ、権力に流される風潮の 中で、虐げられ犠牲になった友人たちの仇討ちの 思いが、マンキーウィッツの才能を最高に引き出し、 歴史に名を残したという事。 を忘れないように、次回もまた映画館で観たいと 思います。^ ^ 「Mank」の制作人、Netflixにも感謝! m(_ _)m
ガス灯のガス
"偉大な映画"と呼んでもおかしくないほどに影響力を与えた作品。 『Mank』に備えて鑑賞しました。 とある絶大な影響力を持った大富豪であるアメリカ市民、ケーンが死に際に遺した「バラのつぼみ」の意味を知るために新聞社がケーンについて調べる、といったストーリー。 ケーンの一生と現代パートで構成され、最初の方は時系列が行ったり来たりすることに気づかす、ノーランの『プレステージ』を初めて観たときのように「ん?今どうゆう状況?」ってなったけど、構成に気づいてからは一気にひきこまれた。 今作が高い評価をされる理由の一つである撮影はやっぱり凄かった。 窓越し、鏡越しの撮影や人物の動きに合わせてしなやかに動くカメラワーク。 不気味な予感をさせる低視点配置や、画面に引きつける上からのショットなど… 現代こそ普通に使われているけど(特に韓国の作品にはよく見られる)それを1941年、約80年前にやってしまうことはやはり凄いと思う。 でも何よりも凄いのは監督、主演を務めたオーソン・ウェルズ。 この野心的な映画構造はもちろん、ケーンの青年期~死までを全て一人で演じきったこと。若い姿と年取った姿はパッと見だけでは違う役者だと思ってしまうし実際違う役者かと思ってた。 役作りまでもこだわるオーソン・ウェルズは調べなくても分かる。完璧主義者だ。 あと技術だけじゃなくてストーリーもなかなか深い。 "バラのつぼみ"の意味を知ったときは 「ほー…」ってなった。(語彙力) ただやはり物足りない感は感じたしもっと深くできそうな気もした。 まあ未熟者である私の感想なんであんまあてにはならないと思うけど。 年取ってからもう一度観たい作品でした。
冒頭のオブジェの謎解き
新聞社経営で巨万の冨を築いた経営者の人生を回想で描く。 最後に発した言葉「バラのつぼみ」とは何だったのか?というセンタークエスチョンに観客を引き付ける。巨万の冨を得られたが、結局、愛は得られなかったという展開。 新聞記者が生前の主人公を知る人物を取材して回想する展開。最後に「バラのつぼみ」と書いた少年期で遊んだそりが燃やされていくエンディング。構成力が高いと評価される所以。
素晴らしい功績を残したが…
映画における革新的な技法を生み出した名作中の名作。しかしながら、その素晴らしき技法をみっちり詰めこんだ作品に尽きたが故に、今日の観点から観てしまうと全く面白さを感じとることができないようです。でもそれはつまり、この作品が生み出した功績を我々は知らずのうちに全面的に享受していることを意味しているのです。 外側から窓を捉えたショットから、少しずつ窓に向かって近寄り、そのまま窓を通り抜けて内側を映し出す技法は、当時誰も見たことのない斬新な演出で後の殆どの映画に多大な影響を与えたようです。クレーンを使った撮影も当時はとんでもないほどの衝撃だったでしょう。高い位置から降下する没入感や、鳥にでもなったかのような強い衝撃と映像体験だったに違いありません。 ケーンがスキャンダルによって選挙に敗北した直後のシーンでは、カメラの視点が足元から見上げるようなローアングルで敗北感とマイナス的印象を与えていると同時に、ケーンの変わらない傲慢さを感じますし、オーソンウェールズの顔を映し出す影も、哀愁と孤独感を大いに漂わせる演出です。同じオーソンウェールズの「第三の男」なんてまさに影の映画ですしね。光と影の調整なんて、今日では絶対的に外せない超当たり前の技法で、ほぼ100%の映画で行われている演出なんじゃないでしょうか。 今では当たり前である映画的手法の生みの親みたいな映画だから、今の我々から観れば全然面白くないのは当然です… でもそれがかえって、この映画がいかに多大な功績を遺したのかを物語っているように思えます。
映像技術を極めた映画遺産の是非
”独創的な回顧の話術と全焦点撮影の持続的演出”(飯島正氏)の形式で構築されたオーソン・ウェルズ監督の強固で大胆な映画遺産。”現在ではもう消化されつくして目にもつかない”(同)が”オリジンの状態で探ってみる”(同)意義は大きいと思う。驚嘆すべきは、冒頭の報道フィルムのモンタージュ表現と編集力の素晴らしさ。英語の持つリズミカルでテンポ感あるナレーションの語調が、そのまま映像の流れに融合した感覚の鋭敏さ。「怒りの葡萄」の名匠グレッグ・トーランドの撮影、「ウエストサイド物語」の巨匠ロバート・ワイズの編集と、超一流のスタッフが25歳の魔人オーソン・ウェルズを支え映画技法を極める。 ある新聞王の生涯を追跡する使者は、彼の謎の遺言”バラのつぼみ”を解明出来ずに終わる。だが、映画は観客には暗示的に教えてくれる。富と名声を享受した偉人の満たされぬ愛の彷徨を衝いた劇的手法にある、単純で明快な人間洞察の結末をどう評価しよう。内容と表現の勝敗は明らかだ。余りにも表現が優れている。
世評の高さとの落差が大きすぎて…
ネットで視聴(英語字幕) 数ある映画のリストの中で、いつもベスト5以内に入っているきわめて評価の高い映画だが、その理由は、この映画が数多くの革新的な技法をもたらしたので、映画監督や映画監督を目指す人、映画を教える人たち、そういった、いわば玄人の間でウケが非常にいいからだろうと思う。 じっさい見てみると、専門家ではない自分にとっては大した映画ではなかった。 まあ最後の部分はハッとさせられたし、冒頭のコールリッジの「クブラ・カーン」の引用はカッコよかったけれども、それぐらいかな、印象に残ったのは。 世評の高さと食い違うもうひとつの理由として、芸術作品(映画が芸術作品とすればだが。イマイチ確信が持てないが)の寿命ということがあるのではないか。 映画の寿命は、100年持たないのではないだろうか。 映画の場合は、オーソン・ウェルズがもたらした撮影技法(非常に効果的なのでいまでは誰もが使っており、その点でこの映画の功績は大きいらしい。門外漢のわたしにはどんなものかわからないが、それと映画の面白さは別だと思う)ばかりでなく、トーキーだとか、フルカラーだとか、ハードの部分も時間とともに大きく変わる。 いまから100年後の映画の形態は、ちょっと想像がつかない。 そういう条件下で作られるので、作品はすぐ古びてしまうのではないか。 映画よりも、音楽の方が、まだ寿命が長そうだ。 18世紀から19世紀はじめの古典派の音楽家たち、ハイドンやモーツァルトやベートーベンは、今でもクラシックの主流中の主流だし、17世紀のバロックだって、バッハやヴィヴルディらがいて勝るとも劣らない。 それより前になると、だんだんなじみが薄くなる。 それ以前の、たとえばルネサンス期や中世の音楽は、限られた愛好家はいるにしても、専門家の分野といっていいのではないか。 そうすると、音楽の寿命は、300~400年か。 次に長いのは文学だろう。 文字で書かれたものであれば、新約聖書にわれわれは感動することができるし、もっと遡ってギリシャ悲劇やイーリアスやオデュッセイアもある。 中国には詩経も論語もある。 口承の時代を含めるとすれば、文学は、絵画とともに、もっとも古くからある芸術の形態ではないだろうか。人類の起源とともにはじまったといってもいいかもしれない。 前評判との落差の大きさに、そんなことまで考えてみたのでした。
オーソン・ウェールズの監督デビューでの主演作品だが、その演技力にひ...
オーソン・ウェールズの監督デビューでの主演作品だが、その演技力にひたすら圧倒される。全てを手に入れたかに見える富豪の空しさがスクリーンから滲み出てくる。名作と頷ける映画だった。
米映画協会でNo.1だが・・
米映画協会の「アメリカ映画ベスト100」の中で第1位というのでDVDを購入して観た。結論から言うと予め知識がないと解らないということだ。まずケーンは新聞王ハーストという実在の人物を描いているということ。当時ハーストは新聞の記事を使ってこの作品の評価を故意に落としたということ。ハーストは「バラのつぼみ」を愛人の性器の隠語として使っていたこと。またこの作品は、カメラワークや光と影のコントラストの使い方、ストーリー展開が1941年当時は斬新だったということ。本人の死亡ニュースから始まり、インタビュー形式で本人像を表したり「バラのつぼみ」の秘密が最後まで明かされなかった点などが優れていて、映画をひとつの作品としてサイレントから引き上げたという。日本人には解らない資産家ハーストに対する思いがアメリカ人にはあるようだ・・オーソン・ウェルズが25歳のときの監督・主演の作品。1941年のアメリカ映画。
愛されずに育った富豪の人生
この映画が作られた年代やほぼ1人で成し遂げた事を踏まえると、とんでもない。 何回も観たくなるタイプではないが、確実に映画とはなんたるかを構成する要素を生み出した意味ある作品になっている。
過去の名作
富豪偽善者の虚しき末路を長々と退屈に描ききった過去の名作。 偉大なる金持ち、チャールズ・ケーンが死に際に残した言葉を巡り、彼の仮面を剥がしていくといった内容。 「誰もが認める成功者」それは自分を大きく見せるため、孤独を隠すためのハリボテにすぎなかった。 今の僕たちからすると完全に色褪せてしまった作品であるのかもしれない。 いやはや、平成生まれで この作品をベタ褒めできるのは 今まで40年代の作品しか見たことのない方か、人一倍ポジティブな視点をお持ちの方のみだろう。
類いまれなる映像表現
41年当時にこの作品を作ったウェルズは周知の通り天才としか言い様が無い。 フラッシュバックで語るこの作品の手法が映画界に与えた影響は計り知れない。 現に、私は昨日「アメリカン・ビューティー」を観たが、この映画もストーリーの展開の仕方は「市民ケーン」と全く同じである。 そして、オスカーを獲得した実績がある…。 ワンカットの情報量がとてつもなく多いことが冒頭から分かる。 また、映像表現が類いまれ無く上手い。 ケーンを知る者によって語られる彼の過去を詳細まで垣間見ることによって彼のその時代時代の発言に説得力が生まれる。 そして、その人物像を隅々まで描き出し語られる彼の生涯を集約した名台詞は鳥肌ものだ。 この作品は映画として上手く出来ているのは、完全に"観客"を意識して展開される点だ。 結局、登場人物達には「薔薇の蕾」と言う謎を残したままだ。 しかし、観客には映像によって真実が語られ、ケーン少年が遊んでいたソリを頭の中でフラッシュバックさせられ「はっ」と思い、さらにあれだけ克明に語られた彼の人生の回想は企業家、権力者としての人生であり、彼が失ったものは"少年時代"であったことに気がつく。 そして、そこであの名台詞の意味の深さに気付かされる。 言うまでもなく傑作だ。
誰も知らない
世界で3番目の資産家ケーンが最も欲しかった物は金ではなく「バラのつぼみ」だった。 ケーンの死後、記者がケーンとは何者かを調べるにあたりその「バラのつぼみ」とはなんなのかをケーンに近しい人間に聞いて回るも誰もソレについて知らない。 前妻も親友もケーンに長年使えた執事もソレについて答えることができない。英語で、欲しい物で人が分かる、という格言があるが一番欲してた物を分かってもらえなかったケーンは空いたピースを埋められないまま死んでいく。
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