「見返す度に、いろいろな思索にはまってしまう。中毒性のある映画。」市民ケーン とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
見返す度に、いろいろな思索にはまってしまう。中毒性のある映画。
「No.1映画」と紹介される作品。
でも、余程の映画通でなければ、初見では「どこが?」となる。
まるでこの映画の主人公のようだ。
新聞王・広大で豪勢な(ノアの箱舟にも比される)館の主・世界で〇番目の金持ち。権力をふるい人や世間を思うがまま操った人物。人がうらやむ成功者。だが、その実体は?
一人の男の一生をたどる旅、「薔薇のつぼみ」というキーワードでひっぱる。面白そうな設定なのだが、「No.1映画」として期待すると、今一つ面白くない。
何より、人たらしのウェルズ氏がコミカルに演じている人たらしな男の話のはずなのだが…。
エンタテイメント的な面白さを期待すると「つまらない」になってしまう。
しかも、特殊メイクが発達していない頃の作品。若干20代のウェルズ氏が、老年まで演じるのだが、メイクや体の恰幅の良さを出すため?力士の着ぐるみ着ているようで動きがぎこちなくて、せっかくの名演を殺してしまって…。
でも、何度も観ているうちに、初見では軽く見過ごしてしまったところが見えてきて、解説等も参考にすると、そこかしこに唸ってしまう箇所等、宝の山だらけ。
今普通に使われている撮影技法や演出等を始めて採用したのだとか。
ああ、専門家に評価が高いのが納得してしまう。
でも、そのような技法だけではない。
テーマ。
人の一生は所詮スノードーム?欠けている何か。生涯かけて取り戻したいもの…。
成りたい自分と、期待される自分、そして成った自分。そのせめぎ合い。
虚と実。「あなたは約束守らないでしょ」なのに、表明したがる”宣言”と”公約”。
中身がない、何も実のある事を言っていないのに、立派なことを言っているようで。しかもそれをありがたがる大衆。
世論操作。ちょっとしたきっかけで変転する大衆が信じる”真実”。
パズルの一片。そして全体像。
何が重要で何がガラクタなのか。その人にとっての価値。他人から判定される価値。
等々、万華鏡のように、鑑賞者がどこに焦点を当てるかによって、様々なイシューが立ち現れてきて、心と思索の罠にはまってしまう。
きっと、これからも観返す度に、上記に上げたこと以外にも、もしくは上記に上げたことでも感じ方・考え等が変わっていくのだろう。
まるで、深淵なる哲学書を紐解くようだ。
そして、工夫を凝らした映像。
ホラー的な映像で始まり、何が起こるのか期待値を高める冒頭映像。
スノードームのガラスの破片越しに見えるドア・看護師の動きが、とても意味深…。
リーランドから歴史的に価値があるともてはやされた後の、ひきつった笑顔が表現するもの(これはDVDの特典映像で、ウェルズ氏が意図を語っている)
同じシチュエーションで物語る年月。最初の妻、二番目の妻との関係性の変化。
スーザンの顔に移る影で表現する牢獄。
アリスの世界に誘われそうなドア、鏡。
梱包されたままに放置されたものの間を蟻のようにうごめく人間たち。
一つ一つのシーンを止めて”研究・鑑賞”したくなる数々のシーン。
解説者が必ず例示する有名なシーンでも、その人なりの発見(意味付け)がありそうな。
まるで、おもちゃ箱。
興味が尽きることがなさそうだ。
そんな興味深い映画で、人たらしのウェルズ氏が作って演じているのだからおもしろいエンタティメントになるはずなのだが、
ケーンの、そこまでするかというパワハラ・モラハラ度が前面に出すぎてしまって、その奥に隠れている空虚さ・わびしさはわかるが、カタルシスが得られる流れになっていない。
実在の人物をモデルにしていると言われているが、リスペクトがまったく感じられずに、コケにしているようにも見える。
世間的にもてはやされ、何もかもを手に入れた男の、隠された内面の叫びを映画を通して体験できたと思える時と、
世間的にもてはやされ、何もかもを手に入れた男だが、内面は、空虚感に支配された、ガラクタ(芸術品でも梱包されたままならガラクタ同然)だけを手にした、つまらない男というオチにも見える。
ベビーフェイスを活かした、もっと魅力的な男としてのキャラクターを出した場面と、そうでない場面を見せてくれればいいのに、どの場面を見返しても、唯一の味方?理解者?のバーンステインの回想場面でさえ、ケーンのいやらしさがまき散らされていて、ケーンに共感できない。
だから鑑賞後感が悪くなる。
どうしてこんな風に作ったのだろう。
『マンク』を見ると謎が解けるらしい。
繰り返し鑑賞で発見があるのは、演出や美術、演技全てがハイクオリティだからですよね。
特に演技に関しては、この時代の完成形に近かったんじゃないかとすら感じました。
この強いドラマ力を支えたのは、なんと主演脚本監督をやらかした男という。