「手の込んだ映像にしっかりと語らせる天才監督に感心」市民ケーン Kazu Annさんの映画レビュー(感想・評価)
手の込んだ映像にしっかりと語らせる天才監督に感心
最初見た時は良く分からず、結局3回見ることになった。3回目で、ようやくガラスの球が元々2番目の妻の持ち物であることを示す映像を見つけた。そう彼女が元々持っていたものだが、ケーンにとっては、球の中、雪景色の中の一軒屋に意味が有る様に思える。
最初に出てくる球の中そっくりの一軒屋で、そりで遊ぶケーン。そのそりについていたのが、ローズバッドであることが観客には燃える暖炉の映像で最後示され、観ている人間
に謎が明かされる。
死に際と、妻に去られた時に思い出したのは、愛をひたすら求め叶わなかった家族3人での暮らしということか。そう読解したのだが、ただ、どうもすっきりと腑には落ちていないところも少し有る。
愛されることだけを求めて、本当に愛することを知らない。上昇志向で、闘うだけで、妥協することや折り合うことを知らぬケーン、市民に友人に二人の伴侶に見放され孤独な、可哀想と言われてしまう大富豪の末路。これって、やっぱり安易なアメリカンドリームの痛烈な批判ということか。結局、成り上がりきった人間が最後に想いをはせたのは自分のルーツであったというストーリーなのだろうか。
成り上がる渦中のケーンを演じるオーソン・ウエルズは、下から見上げる映像も相まって、俳優として抜群に魅力的で、将来の大統領候補にも十分に見えてしまう。勿論、看板から天井突き抜けて降りるカメラワークや集合写真のはずが動き出す等、幾つかの映像は本家ということでか、さんざん真似されたとは言え、今でもなお印象的。また、脚本家及び監督としてこれだけの複雑な手の込んだ完成度の高い映画を作り上げた彼の年齢が25〜26歳ということでも、驚愕。まさに天才的映画作家。ただひたすら感心はするが、感動は覚えないのは何故なのだろうか。