自転車泥棒のレビュー・感想・評価
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惨めな姿を息子にみられる哀しさ
ヴィットリオ・デ・シーカ監督作品で、第2次世界大戦後のイタリアで誕生したネオレアリズモ 映画の代表作。
不条理な物語だった。
弱者はより弱い立場におかれ、抵抗しようとしてもすぐ報復にあう様がとても悲しくなってしまった。
あらすじ
失業労働者のアントニオは、2年ぶりに役所のポスター貼りの仕事を得る。しかしこの仕事では、自転車が必要であると言われる。そのため彼の妻のマリアは嫁入り道具のベッドシーツを質屋に入れ、同じく質屋に入れてあった自転車を取り返す。意気揚々のアントニオ。息子のブルーノも自転車を拭いてあげる。マリアに制服帽子を詰めてもらって、いざ初出勤。
ポスター貼りを教えられ、一人で作業をする。すると、いきなり自転車を盗まれる。慌てて追いかけるが、意気消沈のアントニオ。警察も盗難届を受理するだけで他人事のよう。
アントニオは次の日友人と息子と共に盗まれた自転車を探しいく。
マーケットにいってもみつからず、盗んだ男と会話をしていた老人も協力的でない。老人が向かった教会では、必死のあまりミサで騒いだりと、神に背く行為をしてしまう。ようやく盗んだ男をみつけるが、彼の家には自転車はなく、逆に住人に冤罪を働いたと袋叩きにあう。
自転車は取り戻すことができず絶望的なアントニオ。遂に路上にあった自転車を盗んでしまう。しかし悪事はすぐにばれ、人々に取り押さえられる。ブルーノがいるからと釈放されるが、息子に惨めな姿をみられ、とぼとぼと帰路につく。
おしまい
最後の自転車を盗むシーンでアントニオは、盗むことをブルーノにみられないように、ブルーノを電車で帰るように促す。しかしブルーノは引き返し、結果的にアントニオが取り押さえられるのをみてしまう。それがアントニオが警察に連行されるのを防ぐのだが、惨めな姿を息子にみられることは父として一番嫌な出来事だと思う。
映画製作についてだが、アントニオは職業俳優ではなく、素人で失業した電気工であり、ブルーノは監督が街で見つけ出した子どもとのこと。これを知ったのは、鑑賞後なのだが、違和感全くなかった。違和感なかったのも、ほぼ全編ロケーション撮影で、ドキュメンタリー的撮影手法で取られていたからだろう。(wikipedia参照)
戦後の市民の貧困という現実を眼差し、問題として俎上に載せた作品だと思うので、観ることができてよかった。
ネオレアリズモ作品もっとみなくては。
イタリア映画の古典的名作
第二世界大戦敗戦国の庶民のどん底の生活とその切迫感がリアルに描かれていて胸に迫る。ネオレアリズモってそういうことらしい。
こんなとことんやりきれない話がそこここにあったのだろう。つら過ぎる。
そして、圧巻の演技を見せた父役も子役も素人だったと知って驚いた。二人とも実際の境遇と近かったのかもTT…なんて思うほどだった。
知るは宝✨✨✨
アカデミー賞作品賞受賞作品制覇を目指していろんなアカデミー賞受賞作品を検索している中で知った『自転車泥棒』。それを江東区図書館が16mmフィルムで上映するという素敵な企画をしてると知って参加してみた@江東シネマパラダイス。
映画の前後に映画音楽番組を持つ志田一穂さんが解説してくれたおかげで『ネオレアリズモ』について先に学んだうえで映画鑑賞に臨むことができたー✨✨
戦後間もないイタリアで起きた自転車盗難事件。ただの『チャリパク』ならクスっと笑えるのかもだけど、なんだか次から次へと悲惨な状況に。ハッピーとはいえないストーリーは敗戦国イタリアの戦後の貧しい暮らしがベースにある。こんな時には宗教の祈りの力や、なんならインチキ臭い占い師にだって頼りたくなるのが人のサガ。物語はどんどん目も当てられないような状況に。後ろの席で観賞していたご婦人がいろんな場面で『ひっ!』とか『あっ!』とか『あ〜ぁ、、、』とか声が漏れてたほど入り込んでた。わかる、わかるよ、あたしも心の中で言ってたもん。
そういう解説を聞いていなかったら多分きっとチャリがパクられた状況を少しコミカルに描いただけの悲劇、くらいにしか思わなかった。映画ってやっぱり奥深い〜✨✨
今日学んだもう一つの知らなかったこと。
せっかくの機会だから上映されたフィルムを見せてもらって教えてもらった。映画の音声ってフィルムに光学処理で刻まれてるってこと。フィルムにはコマ送りされる映像しかないと思ってから驚き。そしてその音源が2本の道筋(=track)みたいに見えた。‼️だからサウンドトラックなのか‼️
なんか素敵なアハ体験まで頂いちゃいました😊✨
アントニオの事実と真実に寄り添える映画
今は真実や事実を、知ることも見ることもできない無慈悲な世の中に思えます。
しかしこの映画は、アントニオの真実と事実をみせてくれて、私たちはそれを観ることができる。
なぜアントニオは老人や青年に執拗に迫ったのか、なぜ占い師を頼ったのか、なぜ物語の最後アントニオはあんな行動をしたのか。
物語の真実と事実を観た私たちなら彼に寄り添うことができる。だがその場しか見てない登場人物たちはアントニオが愚かに見える。だから罵倒し傷つけます。
けど彼らを責めることができるか?無理じゃないかと私は思う。
前述のとおり真実と事実を知ることは難しく、無理に近い。これは彼らにも当てはまると思うからです。
でも分かってはいるけど、どうしても、アントニオに感情移入してしまう。だから私はこの映画を観る度やるせなくなる。
そして、事実を知れないことに関して「私もか…」と言い様のない余韻につつまれます。
音楽も印象的でした。スクリーンを通して、当時の建物や景色、服に車を観れるのも特徴的です。
今観ても色褪せない名作です。
【貧しき生活を脱するために、犯してしまった罪。全編に流れる哀調の音楽と、自転車を盗まれた父と共に懸命に街中を走り回る幼き息子の姿が哀しい。】
■敗戦して貧困にあえぐイタリア社会をリアルに切り取った作品。
ー 長い失業の末、映画のポスター貼りの仕事を得たアントニオ。彼は妻に大切なシーツを質入れしてもらい、漸く仕事に必要な自転車を手に入る事ができ、貧困生活を脱する事が出来ると抱いた仄かな希望。
だが、息子を自転車に乗せてポスターを貼って回っている時、ちょっとした隙に自転車を盗まれてしまう。
必死になって、街中を親子で自転車を探し回るのだが…。ー
◆感想
・貧困を脱するために男が漸く手に入れた自転車。それは、家族4人を養う為。
幸せが訪れるはずだと、思って希望を持って働き始めた矢先に、自転車が盗まれて・・。
<哀切極まりなき作品。父親と共に必死に盗まれた自転車を探す幼き息子の姿。
そして、追い詰められた父親が行ってしまった事。
その姿を見つめる息子の涙。
第二次世界大戦後の貧しきイタリアで生きる市井の人々の姿を鮮やかに描き出した作品である。>
切ないだけの映画
古い名作には敬意をはらって観るし
低通する世界感に人間の我慢強さを思うけど
これは盗まれる前に縛るなり何らかの予防策を取ってほしかった…
家族を守るには少し甘かったとの考えが見ている間じゅう拭い去れず
同情も悲しみもわかなかったのがとても残念だった
歴史的社会的傑作
自転車が盗まれたら生活が終わりだ。
放置自転車大国のいまの日本ではもう考えられない世界。テーマをいまの時代に当てはめて考えることは簡単ではない。
映画としてみるとまごうことなきネアレアリズモの記念碑的傑作。
映画というものの在り方、芸術というものの在り方を考え直させてくれる必須科目にある作品。
映画のリアリズムというものの凄みをこれでもかと学ぶことができる。
その表現の前では、「演技の技法」などというテキストも価値がない。
辛い現実
ようやく仕事にありついた男だったが、あっけなく自転車を盗まれ、失業の危機に直面する。何とか犯人を見つけようとするが、うまくいかない。最後、魔が差して自らが自転車を盗んでしまうが、息子の涙で警察沙汰になるのは免れる。
イタリアの貧しい時代、なんとも切ない親子の物語。
敗戦国イタリアを浮き彫りにする圧倒的リアリズム
命を繋ぐための商売道具である自転車を盗まれた親子の目を通して敗戦国イタリアの現実を見つめたネオ・レアリズモを代表する傑作。
ドキュメンタリーのようなリアルなタッチとシンプルなストーリー、時折描かれる持てる者と持たざる者の描写や善良な心の葛藤は叙情的かつ素晴らしい深みを生み出している。
実際に当時のイタリアでこのような自転車泥棒は毎日のように繰り返されていただろうと今になっても容易に想像することの出来るリアルさがこの名作の真骨頂だ。
デ・シーカはその鋭い洞察力で当時のイタリアを他人を思いやることさえ出来ない世であったことを映画という媒体を通して伝え、映画の可能性を押し広げたと言える。
そして、その圧倒的な写実主義の映像は映画という枠を超え、今でもなお残るイタリアの格差問題を浮き彫りにしている。
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