「パトリックスウェイジーが一番やりたかった映画。」シティ・オブ・ジョイ Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
パトリックスウェイジーが一番やりたかった映画。
パトリックスウェジーは80年代のベスト・ハリウッドスターという印象を与える人だと思った。でものこれは彼の嫌いな言い方で、俳優というActorになりたかった。それも、セックス・シンボルやアクション・スターでなく、自分の道を模索していてこのような作品に出たかったらしい。自分がどんな役者になりたいのか自問自答している最中、ちょうどこの映画のテーマにあった人生を歩んでいたらしい。
これは 彼のバイオグラフィーフィでこの映画の監督や側近がインタビューにこう答えていた。
マックス(パトリックス・ウェイジー)はヒューストンの病院の外科医だった、無念なことに手術で子供を助けることができなかったので病院を去った。彼はカルカッタに精神的な拠り所や希望を探しに旅だった。ハザリ・パルという家族も日照りの土地をすててカルカッタに希望を求めてやってきた。マックスはパスポートを盗まれ、ハザリは金を騙し取られた。マックスはアイルランド人で無料クリニックのジョアン(ポーリーン・コリンズ)が経営する診療所「シティ・オブ・ジョイ=歓喜の街」で働くように言われる。マックの目的は医者になることでなく自分を探すことなので断るが、結局は貧民街に住むことになり.自分の家はここだといってクリニックに戻って医者として働く。 ハザリ・パルの家族やジョアンや貧困な人々と共に歓喜の街にクリニックを開く。隔離されて生きていたハンセン病の人々も通えるクリニックに。
気になったことがある、最初のシーンで駅に『Welcome SRI PM Bose』のサインが見えると思う。これはインドの首相にと応援しているプロパガンダ? Netaji Subhas Chandra Boseのこと? この話は1945年より前の話? わからない。
人生を生きていて何か行き詰まってしまってマックスのように逃げてしまうこともある。また逃げなくてもつまずいてしまう時もある。悪いことではない。いつも自分の人生の見直しをしょてもいいと思う。ジャーニーというバンドのボーカルであったスティーブンペリーがコンサートで歌うことのマンネリ化に疑問を持ちジャーニーを去った。そしてハーレダビットソンを購入して旅にとダンラザーのインタビューに答えていた。いつでもやり直せる。
余談:パトリックの自叙伝を読んだ。下記は彼の言葉を簡潔に書いておく。
監督はパトリックをカルカッタの貧困の『マザーテレサの家』に連れて行った。そこで彼女と一緒に働いた。そこはスピリチュアルな場所であった。監督は見るだけでなく自分の手を使って、医師マックスのようにそれを経験させた。映画のためにリサーチをしているが、それ以上だった。
次に、小さなストリートクリニックへ。そこで、パトリックは怪我をしている少年の足の傷口の手当てをした。傷口に包帯が埋まって、包帯を取るのが大変だった。スイスアーミーナイフと消毒液だけでとった。
最後に、ハンセン病の人々がいるクリニックに連れて行かれた。そこで、指のないハンセン病の人からお茶を出されて、パトリックと監督は戸惑った。お茶を頂かないことは相手を軽蔑していることだと思い飲んだ。その当時ハンセン病の知識はまるっきりなかったから。
4ヶ月間、カルカッタで、外国人に対する抗議のデモを避けるため、5エーカーのセットを組み立てとっている。