「破滅へ向かう愛の彷徨の鮮烈なサスペンス映画」死刑台のエレベーター(1958) Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
破滅へ向かう愛の彷徨の鮮烈なサスペンス映画
私が17歳の時に衝撃を受けたフランス映画のエスプリ、その筆頭にあるルイ・マル監督25歳のデビュー作。中学時代はイタリア映画に夢中になっていて、高校時代はルネ・クレマン(居酒屋)、ジャン・コクトー(オルフェ)、アラン・レネ(戦争は終わった)、ロベール・アンリコ(冒険者たち)とフランス映画の虜になっていました。二つの殺人事件が重なり、石油会社社長夫人とその愛人が破滅へ向かう愛の彷徨を鮮烈に描いたサスペンス・フィルムノワール。原作ノエル・カレフの推理小説がルイ・マルの恋愛ドラマに変わるフランス映画の斬新な感覚と独特な虚無感がたまらない。そこには、戦前フランス映画のペシミズム(厭世主義)から、恋愛至上主義をシニカルに描く戦後のフランス映画に変遷した特徴を感じます。
ルイ・マルは10代の頃、ベートーヴェンからルイ・アームストロング、チャーリー・パーカーとクラシックからジャズまで幅広く音楽を嗜み、文学では14歳でニーチェまで読み漁り、父親の8ミリカメラで撮影、編集するという趣味の恵まれた環境に育った早熟の秀才で、父親の事業の後継を断り映画監督を志しました。高等映画学校(IDHEC)で学級長をしていた20歳の夏のバカンスにジャック=イブ・クストーの「沈黙の世界」のアルバイトをして、一年後には演出、映像、編集の責任者として助監督のポストに就いていました。学生の身ながらプロに認められる仕事をして3年後カンヌで注目されて、次にロベール・ブレッソン監督の「抵抗」の撮影に参加します。マルにとって尊敬する監督は、ジャン・ルノワールとブレッソンの2人、特にブレッソンを当時崇拝していたと言います。確かに映像の冷たさ、視点の冷静さに共通点があるように個人的に思います。この「抵抗」では、何とキャスティングと刑務所内の全セットの美術を担当して、途中で現場を離れます。
この下地があって、1957年の春に友人からノエル・カレフの原作を薦められて映画化を試み、「抵抗」のプロデューサーに打診する慎重さと、脚本をロジェ・ニミエ(1925~1964)という新進作家に依頼する大胆さが興味深い。それも原作を読んだニミエが、くだらない本と酷評するのですから。そこでルイ・マルが考えたアイデアが、主人公を愛人の男から社長夫人の女性にする事でした。原作に殆ど登場しないフロランス・カララが愛人のジュリアン・タベルニエを探して夜のパリの街を彷徨い歩くシーンが加わり、そこに絶頂期のマイルス・デイヴィス(1926~1991)の即興音楽が流れる、この映画の最も魅力とする美点が誕生するのです。編集作業に取り掛かり音楽をどうしようかと悩んでいた時、偶然にも公演の為にパリに来ていたデイヴィスに知人を頼りに会うことが出来ました。映画を2回見せて了解を得て、深夜から朝方までの一晩でテーマ音楽が完成すると言う奇跡のようなお話です。映画に流れるそのジャズ音楽は正味18分に過ぎないものの、観る者が受ける印象は強烈であり、カララのジャンヌ・モローを更に美しく妖しく気怠く映し出しています。マル監督自身、この音楽が無ければ映画は成功しなかったと思ったそうです。
主演のジャンヌ・モローも、この作品でフランス映画を代表する一流の女優として再評価を受けます。モーリス・ロネにとっても「太陽がいっぱい」「鬼火」と並ぶ代表作の一本。「禁じられた遊び」のジョルジュ・プージュリイのチンピラ少年の名前がルイなのもマル監督らしい。登場シーンが短くてもリノ・ヴァンチュラの流石の存在感も貢献高い。後にヌーベルバーグのカメラマンとして名を成したアンリ・ドカエの最初のヒット作品でもあり、時に退廃的な陰翳に富むモノクロ映像と対象を即物的に捉えたカメラワークがマルの演出と調和していて素晴らしい。的確なカメラアングルと精緻なズーム、パンとティルト移動によって余計なものが映っていない簡潔さとアップの大胆さ。若き新人監督の初演出をサポートするアンリ・ドカエの撮影も、この映画の大きな魅力になっています。
マル監督は原作の筋書きの面白さからヒッチコック監督を見習ったサスペンスと、ブレッソン監督の視点の集中度の高さを参考に、本音ではB級映画を狙ったそうです。それが予想に反して一流作品に仕上がるのですから、映画が総合芸術、総合娯楽の特質を持つことを改めて認識させられます。原作、脚本、俳優、撮影、音楽のどの観点から見ても独創性を感じ取れるサスペンス恋愛ドラマとして私好みのフランス映画でした。ラスト、お互いに会えずじまいの女と男が、写真の中で抱き合うのが浮かび上がるショットがお見事。それとルイと花屋の店員の少女ベロニクがアパートに逃げ帰って自殺を図るシーンのレコードを掛けるところの選曲のセンス、ハイドンの弦楽四重奏曲第17番「セレナーデ」の第二楽章なのがいい。無軌道で刹那的な少女が自分を美化する乙女心のこの表現、ここにもマル監督の演出の上手さ、粋を感じます。
(参考資料 マル・オン・マル フィリップ・フレンチ編 平井ゆかり訳 キネマ旬報1993年)