シェーンのレビュー・感想・評価
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【”遥かなる山の呼び声。”今作は、流れ者の早撃ちガンマンであるシェーンが、世話になったスターレット家の幼き少年ジョーイに身を持って見せた、人道を歩む漢の生き様が沁みる名品である。】
ー 今作は、小学生時代に映画好きの父に勧められて観た作品である。通常は20時になったらベッドに入るのが決まりだったが(高学年になると、そこから読書一時間を認めてくれた。)週末に映画を観る際には、その基準を緩めてくれたのである。
チャールズ・チャップリンの諸作品など、人間の善性を描いた作品が多かったと思う。
今作を観た時には、アラン・ラッド演じるシェーンが早撃ちにより悪漢を斃し、颯爽と去ると言う勧善懲悪映画だと思っていたモノである。
だが、久しぶりに鑑賞すると、少し違った感想を持ったので、それを簡潔に記す。-
■誰でも知っている粗筋
開拓移民のスターレット家に身を寄せることになった旅人・シェーン。この地では開拓移民達と横暴な牧場主・ライカーの間で土地をめぐる諍いが起こっていた。やがて、スターレット家にもその騒動が飛び火してきた時、シェーンは単身でライカー一味との対決に向かう。
◆感想
・流れ者のシェーンはある日、馬に乗ってフラリとスターレット家に辿り着き、一杯の飲み水を貰う。スターレット家の家長であるジョーは警戒するが、そこに、ライカー一味がやって来て、ジョーに暴言を吐くがシェーンはジョーの側に着き、彼らを追い返す。
そして、ジョーはシェーンに妻マリアンお手製の夕食を振る舞い、ショーンはスターレット家の作業を手伝い、ジョー、マリアン、そして息子のジョーイと心を通わせていくのである。
この一連の流れを、極自然にこの映画は見せるのである。
■シェーンは、町の酒場でライカー一味から、嫌がらせを受けるが彼はジョーの言いつけもあり、取り合わない。
だが、シェーンは腰抜けだという噂が流れ、次にライカー一味と酒場で会った時に、彼は自分を侮辱した男を、叩きのめしライカーの甘言を受け入れる事無く、ジョーと共にライカー一味を完膚なきまでに叩きのめすのである。
この一連のシーンでは、シェーンは常に”後の先”のスタイルを崩さないのである。これは、今作後の西部劇に大きく影響を与えていると思う。
・ライカー達が雇った殺し屋ウィルスンが、開拓農民のトーレーを早撃ちで殺害するシーン。ウィルスンは、早撃ちであるが故に、トーレーが銃を撃つ前に、撃ち殺している。
・それを知ったジョーはライカーの誘いに乗り、会いに行こうとするが、、シェーンは彼を力づくで止め、一人酒場に向かうのである。
そして、そこで待っていた殺し屋ウィルスンに対し”卑劣なヤンキー野郎”と言い放ち、ウィルスンがシェーンに”抜けよ”と言った瞬間に物凄い早撃ちでウィルスンを撃ち殺し、更に発砲して来たライカーも撃ち殺すのである。
更に二階にいたライカーの弟に対しても、心配でついて来ていたジョーイの咄嗟の掛け声で、相手が発砲した後に撃ち殺すのである。
このシーンでも、シェーンは”後の先”のスタイルを守っていると思うのである。
<そして、シェーンはジョーイの一緒に帰ろうという言葉に対し、”人を殺してしまえば、もう元には戻れない。殺し屋の烙印は一生ついて回る。”と言い、ジョーイに”逞しい男になれ。”と言って、ジョーイの”シェーン、カムバック!”と言う声がワイオミングの高原にこだまする中、振り返る事も無く馬に乗って去るのである。
今作は、一人の流れ者のガンマンの、人道を歩む漢の生き様が沁みる名品なのである。>
やっぱりラストシーン
シェーン、カムバーック‼️
この作品は世界最高の西部劇の1本ですね‼️日本で言えば時代劇の股旅モノ‼️シェーンはある村のある一家に滞在し、彼と村を襲う無法者を倒し、そして去っていく・・・とにかく全編にわたってジョーイ少年のシェーンに対する憧れが溢れていて、ほのぼのとさせられるというか胸が熱くなります‼️グランド・ディートン・マウンテンズの大自然の美しさ、そしてあの有名なテーマ曲が流れる‼️ジョン・フォードの「荒野の決闘」に並ぶ詩情性ですよね‼️そして当時の開拓民たちの生活風景や酒場での大乱闘、シェーンとウィルソンの "0.6秒" のガンファイトといったリアリズム‼️とにかくシェーンのガンプレイが早い‼️私もたくさんの西部劇を観てきましたがアラン・ラッドが歴代ナンバーワンでしょう‼️これからも何回も何回も観たい作品ですね‼️ところでこの作品には都市伝説が二つ‼️冒頭、シェーンが初登場するシーンで小さくバスが映っているらしい。初見時に観たような気がしたので、Blu-rayで確認したら映ってない。CG処理されたか❓そしてラスト、去っていくシェーンが既に死亡しているという説‼️シェーンのラストカットを観るとうなだれているようにも見える‼️まぁこれは観る者の判断に委ねるということですか・・・
古典の名作。感動のラスト
手に入れたかったもの
有名なラストシーン。
そこから、母子家庭を助けて去るハードボイルドだと思っていたら、全く違った。
主人公からして違う。ジョン・ウェイン氏系のごつい男だと思っていたら、なんと頼りなげな甘いマスク…。もう一人は、日本だったら悪役か、エキストラ系の眉毛繫がり男。(かわいいと思い込んでいた)男の子はドングリ眼だし…。借りてきた映画を間違えたかと思った…(笑)。
領地争い。
この土地は誰のものか?って、「ネイティブ・アメリカンのものだよ」という正論は、映画が製作された時代的に、なかったことになっている。
当時凶暴なということにされている”インディアン”を追い払い、それなりの安全を確保したカウボーイたちが、後から来た農場主に土地を奪われ…(自分たちがやったことをやり返されているだけじゃないかというツッコミは置いておいて)。
とはいえ、農場主は農場主で、新しくできた法律に基づき、その土地を開墾しているのであって、違法なことをしているのではない。
国を発展させ、移民してきた人々に生活の糧を与えるためとはいえ、なんという無茶苦茶な法律を作るのか。そして、その法律を機能させるための、政府のアフターフォローはない。すべて自分の力頼み。
自分と家族を守り、夢をかなえるのは自分の力。アメリカン・スピリットの権化のような一家が、この映画の本当の主人公。そして、その家族に加担する風来坊。
硬直した事態がどう動くのか。
どっちの言い分も決して間違っていない。そして、どちらも自分の主張を譲らない。
広大な土地。とはいえ、元々作り出さずに、その土地にあるものを使って生きる放牧民には、想像以上の範囲の土地がいる。開墾組の農場主にとってだって、土地ならばどこでもいいわけではない。禿山を何ヘクタールももらっても意味がないように、耕作に適した土地でないと意味はない。それだって、汗水たらして開墾しないと…。
だから、お互い必死なのは必然。
とはいえ、交渉はしてくるが、オール オア ナッシング。すべてを手に入れるか、そうでないかだけ。譲り合い・分かち合い等の、共存の道を探るという選択肢はない。農場主は権利の主張だけで、交渉すらしない。
これがアメリカの原点?
シェーンの活躍を描くだけの映画ではない。
スターレット一家の決意と苦渋。それが本筋。
だから、終盤、スターレットとシェーンの殴り合いが長い。シェーンを格好よく見せるためならば、一発でのしてしまえばいいのだが、アメリカン・スピリットを体現するスターレットをそんなに弱く見せるわけにはいかない。
映画としての見せ場であろう、ラストのガンファイトより長く感じる。
その、シェーンとスターレットの殴り合い場面の見せ方がおもしろい。
正直、シェーンを演じたラット氏は大根役者。また、アクション監督はいなかったのか、この場面でも、他のシーンでも、アクションの見せ方はうまくない。
だからかどうかは知らぬが、ここの場面、殴り合い場面はあまり見せない。家の中から、妻が心配して叫んでいるシーンで見せきる。
そんな風に、直球ではなく、演出で見せてくれるシーンが幾つかあり、面白い。
(馬に追いつくジョーイの健脚みたいなツッコミどころも多数あり。ラストシーンのために目を瞑ろう)
--蛇足:しかし、主演はなぜラット氏なのか。ガンマンとしての立ち振る舞いも様になっていない。フリンジのついた衣装やガンベルトにも着られているように見える。
特に、バランス氏が登場してからは、バランス氏が決まりすぎて、どうしてもラット氏のアラに目が行ってしまう…。
バランス氏に比べて、ラット氏の泥臭さが、スターレットの仲間として良いのか?確かに、バランス氏が開墾しているところは想像できない…。--
ラスト。シェーンが立ち去る理由に死亡説があると知る。
う~ん。死ななくても、戻ってこなかったと私は思う。だって、農場を去るとき、作業服ではない元の服を着ているよ。妻とお別れしているよ。スターレットをのして行ってはいるけれど、ある意味、スターレットの顔つぶしているよ。
そしてシェーンの台詞「人を殺したら~(思い出し引用)」。自分の行動への覚悟。
死を覚悟して敵地に赴くシェーン。
袖すり合うも他生の縁、というだけではなかろう。
自分の命を懸けてまで、安住の地を捨ててまで守りたかったもの。
そもそも、草鞋を脱いだのはどうして?同じ風来坊ながらも、『用心棒』の桑畑三十郎とは違う立ち位置。
スターレット家への想い。妻へのほのかな思いもあろうが、それだけではないのではなかろうか。
お互いを愛しみ合う家族。暴力のない暮らし。自分の技を継承してくれる存在。シェーンがつかの間に得た生活。
シェーン、スターレット、ライカーがそれぞれ、手にしたかったもの。その方法。そして、彼らの去就。
人の道・法に基づき行動したスターレット VS 人の道・法を超えてしまったライカーとシェーン。
暴力による解決の終焉。
シェーンの背中の寂しさに、胸を揺さぶられる。
4回目の視聴です 自宅で買ったばかりのプロジェクターで初使用の記念...
4回目の視聴です 自宅で買ったばかりのプロジェクターで初使用の記念に80インチの大きさで見ました 初めて見たのは高校生の時、塾の先生のお薦めで家族そろってリバイバルを見に行ったのを今でも覚えているくらい感動しました 改めて今回見たけれど結構忘れているシーンはありました ジョーイがシェーンと父親がけんかをしたとき、シェーンが鉄砲で父親を殴って倒したとき、「シェーン大嫌い」と言ったことは完全に忘れていました その後の展開は覚えていたけれど、やっぱり景色はきれいでラストシーンではわかっていてもうるうるくるくらい印象的でした このラストシーンがなかったらこの映画の評価はどうなったのかなんて思ってしまいます 死ぬまでにもう一度見たい映画です
ざ!西部劇!という映画
シアタス調布にて観賞(午前10時の映画祭)
テーマがはっきりしない
「ここは開拓地、誰でも土地が持てる」
…って元々インディアンの土地だからね。
でもインディアンを奥さんにしてる家族もチラッと出てくるんだよね。
「人を一度殺したら二度と戻れない」
「シェ〜〜ン、カンバック」
…アメリカ人の銃礼賛映画のような、
そうでないような。
ずっと現代に置き換えて観ていたが、警察(保安官)がいない間の治安の維持ってどうするのか…って、今はまずないだろうし、 興味が湧かない。
映画としては、絵は全体的に綺麗だが、
後半は何で画面が真っ暗なんだろう?
フィルムのミス?
結婚記念日のシーンは明らかにセットで苦笑。
クリスの改悛ももう少しそこまでの描写がないと唐突。
奥さんが年配過ぎておばあちゃんに見えるのはキャストミス。
これじゃシェーンは惚れないよ。
旦那が奥さんに、お前はシェーンに惚れてるんだろうから一緒になれ、みたいなシーンが情けなくて可笑しい。
しかもその後二人で殴り合うし。
結局取られたくないんだね。
まあ古典というか、昔の映画です。
寡黙で思いやりがあるアメリカンヒーロー
子供の頃、西部劇のヒーロー俳優たちの早撃ちランキングみたいなものをテレビで観た記憶がある。
アラン・ラッドは確か5〜6位だった。
シェーンが1位じゃないんだ、と思った記憶がある。
で、誰が1位だったかは、覚えていない。
俳優たちの早撃ちシーンを計測して、コンマ何秒だ、と説明されていた。
当時子供たちから人気があったのは、ジュリアーノ・ジェンマで、上位にはいたが、彼は早撃ちよりも曲撃ちだと解説されていた気がする。
どなたか、ご記憶のある方は、教えていただきたい。
本作は、正統派の助っ人もので、アメリカ人の開拓精神と良心がこもっている。
シェーンがジョーイ少年に銃の撃ち方を教え始めたとき、母親が「銃がなくなればいい。それも含めて」と、シェーンの1丁を指して言う。
シェーンは「銃は道具だ」と言うが、当時は今ほど銃による悲惨な事件は報道されていなかったと思うけれど、銃社会であるアメリカにおいて、ガンファイトヒーローを描く映画の中に作り手の良心は確りと現れている。
ラスト、シェーンが少年に「人を殺した者はそれを一生背負い続ける」と言って去っていく場面にも繋がっている。
「ストリート・オブ・ファイヤー」を公開した頃ウォルター・ヒルは「ヒーローは去っていくもの」と言ったが、意味もなく去るのではなく、銃を捨てようとして捨てられなかった宿命を背負ってシェーンは農業者一家から去っていくのだ。
今回の鑑賞で思ったことだが、多分シェーンはあのまま馬の上で孤独に死んでいくんだろう。
それをジョーイ少年が知ることはないのだ。
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