「幸福(しあわせ)とは常に刹那的。」幸福(しあわせ) レントさんの映画レビュー(感想・評価)
幸福(しあわせ)とは常に刹那的。
まるで美しい絵画のような風景の中、休日のピクニックを過ごす若い夫婦と子供たち。
その姿は誰が見ても幸せそうに見えるし、実際当事者たち自身も幸せを嚙みしめてる様子だ。
この絵に描いたような幸せの光景は作品冒頭と作品ラストで同じように描かれる。それは同じ幸せそうな家族の姿だが、冒頭とラストでは全く逆の印象を受ける。これこそが本作が描きたかったことなのだろう。
まさに順風満帆、幸せな日々を過ごしていた若い夫婦。しかし、夫は出張先で愛人を作る。そのことにまったく罪悪感を感じない夫。
妻も愛人も同じように愛してる。人を愛することは罪ではない、愛することは尊いことだと。
彼には罪悪感どころかそもそも悪意がないのだ。自分の行為が人を傷つけるなどと思いもよらない。良い意味でも悪い意味でもまさに純粋無垢な性格なのである。
だからこそ彼は妻に事実を打ち明ける。そのことがいかに彼女を傷つけるか彼には思いもよらないのだ。
戸惑いながらもあなたが幸せならそれでいいと受け入れる妻。これは愛人が彼に発した言葉と同じだった。
夫は自分の行為が妻にも愛人にも受け入れられたと思い、幸せの絶頂を感じたことだろう。しかし、その後すぐに妻は溺死してしまう。
夫は妻がショックで自殺したのかもなんて思いもよらない。ただ思いがけない事故だったんだと思っただろう。そして彼にはもう一人愛する人がいた。
すぐに二人は結婚し、再び同じ幸せな家族としてピクニックの休日を楽しむ。その姿はやはり誰が見ても幸せそうに見えた。
どこにででも見られる幸せそうな家族の姿。しかし、その姿はなんとも刹那的だ。
誰が見ても幸せそうに見える理想的な家庭。よく家族間で凄惨な事件が起きた時、周りの人間が発する言葉だ。あんなに幸せそうだった家族がどうしてと。
幸せに見えた家族が一家心中、あるいは夫が家族全員を殺害したなんて事件を見るたびに思う。
そんな誰が見ても一見幸せそうに見える姿の持つ危うさ、儚さみたいなものを本作のラストを見て感じずにはいられなかった。
美しい映像がかえって幸せの危うさ、儚さをより引き立てていたように感じた。まるで「ブルーベルベット」の冒頭シーンのような。
こんな作品が私が生まれる前に作られていたことに驚く。
監督は「シェルブールの雨傘」で有名な映画監督の奥様らしいけど、フランス人の映画監督なんて浮気しまくりだろうし、当てつけで本作を撮ったのかなあ。
今晩は。
アニエス・ヴァルダ監督は、後年というか晩年のドキュメンタリー映画を幾つか観た程度ですが、今作は仰る通り色々な思惑があったのかもしれませんね。
奥の深い映画を製作されていた女性監督だと思います。では。返信は不要です。