三文オペラ(1931)のレビュー・感想・評価
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舞台劇の限界とサイレント映画の限界をトーキーならこうして軽々と乗り越えられるという回答を出した作品です
三文オペラ
1931公開、独米合作
白黒トーキー作品
初期トーキーの名作をざっと挙げるとこうなります
1930年1月 巴里の屋根の下 (仏)
1930年4月 嘆きの天使(独)
1930年12月 モロッコ(米)
1931年2月 三文オペラ(独)※本作
1931年5月 M(独)
1931年2月 魔人ドラキュラ(米)
1931年10月 会議は踊る(独)
ご覧のようにトーキー映画の初期において、ドイツが先行して良い作品を色々と製作していたことが分かります
トーキーという技術革新をいち早く導入して、どのように使えばより効果的な作品になるのか
それを他国に先駆けて試行錯誤していたわけです
三文オペラというのは、まあ「大衆演劇」見たいなもんですという意味合いです
原作になった1928年初演の戯曲の題名のままです
その戯曲の元ネタは200年も前から大人気のオペラだそうです
少しミュージカル風味があるからオペラなんでしょう
ドイツ映画ですが、舞台は原作戯曲が演じられていた1920年代のロンドンです
お話は○○新喜劇みたいなもんです
ギャングの親分が、乞食の総元締めの娘ポリイに一目惚れで結婚して大騒動が始まります
実はこのポリイが凄いやり手
警察にパクられた親分に代わってギャング団を率いるのです
終盤は、女王陛下ご臨席のパレードにロンドン中の乞食軍団が現れて大混乱
結局、最後は脱獄したギャングの親分も、娘の結婚に反対して大騒動の発端を作った乞食の総元締めも、親分とは第一次大戦で戦友同士で手心を加えていた警察署長もみんな仲直りして、めでたしめでたしの巻です
監督はゲオルク・ヴィルヘルム・パープストという人
トーキー以前にドイツでは大物監督だったそうです
若い頃3年だけ米国にいた経験があるそうです
独米合作といっても、資金だけのようでスタッフはどうもみんなドイツ人の名前です
舞台劇ではだせないスケールの大騒動を映像で見せて、女優が音楽付きで唄う
舞台劇の限界とサイレント映画の限界をトーキーならこうして軽々と乗り越えられるという模範回答を出した作品です
そんな理屈はさておき、大いに楽しめる作品です
貧民街を舞台にした、生命力溢れた楽しいオペレッタ映画
ロンドンのソーホー街を舞台にした、ブレヒト台本のクルト・ヴァイル音楽でG・W・パプスト監督の楽しいオペレッタ映画。ギャングの親分の主人公メッキー・メッサーが、勢力争いで敵視し合う乞食の親分ビーチャムのひとり娘ポリーに一目惚れすることから物語が始まる。そこにメッキーの戦友付き合いからの親友で警察署長のブラウンが加わり、次から次へと話が展開していく。下級市民の機知と度胸が貧民街の暗鬱さを払い除けて、強かな生命力に溢れたおとぎ話風な世界観が面白い。聖十字架祭とそれを妨害する乞食の群衆の対比にある、社会批評の深刻さも併せ持つが、ヴァイルの音楽の楽しさが上回る。ドイツ映画の美点が詰まった傑作。
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