サムライ(1967)のレビュー・感想・評価
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アラン・ドロンの孤高の存在感とメルヴィルの創造性が融合した一作
本作において、“サムライ”と直接結びつくのは冒頭に掲げられた文言だけで、あとは殺し屋の日常が淡々と描かれていくのみ。おそらく監督は、この孤独な生き様や、何事にも特殊なこだわりを持った生活様式を、サムライのそれと重ね合わせたかったのだろう。
見所なのは、冒頭のシーン。雨の音が絶え間無く続く中、クレジットを映し終えると、ほぼ不動に近かった室内が急にボワンボワンと膨張と収縮を始める。これはカメラを後退させてはズームしたり、ストップ・モーションを加えたりする操作の産物らしいが、この場面を通じて「すべてが動き、同時にすべてがそこにとどまったまま」という象徴的な状況を描きたかったそうだ。
主人公は決して刀を振り回したりしないが、かくも精神性の部分で、サムライにも似た特殊な境地を表現しようとする。何者にも束縛されず、自由に創造性を羽ばたかせる。そんなメルヴィルの研ぎ澄まされた流儀がとても粋な一作だ。
アラン・ドロンが暗い暗い、中折れ帽とトレンチコートを身にまとう一匹...
映画鑑賞の原点
1968年7月14日、私は「サムライ」を観た。
近所の名画座で「サムライ」「続夕陽のガンマン」「007は二度死ぬ」の3本立てであった。他の2本も楽しめたが、何と言っても私の心を捉えたのは「サムライ」である。
淡いブルーの色調に抑えたアンリ・ドカエのカメラ。フランソワ・ド・ルーベの音楽。派手に流れないジャン・ピエール・メルビルの演出。アラン・ドロンの演じたストイックな一匹狼の殺し屋に魅せられてしまい、ラストシーンでは思わず涙が出てしまった。
映画とは素晴らしい物だと思い、少しでも多くの素晴らしい映画と出逢うために映画館通いが始まった。
最初は名画座ばかりだったが、そのうちロードショーへも行くようになり試写会へも応募するようになった。観た映画をノートに記し、映画雑誌を読み、スタッフやキャストも気にするようになった。初めのうちは洋画オンリーであったが、黒澤明の「七人の侍」を観てからは邦画へも目を向けるようになった。いつしか映画を観る事が生活の一部になった。
この映画は、私の映画鑑賞の原点である。
あの日流した涙は何だったのか。その答えとの出逢いを求めて、私は今日も映画館の暗闇の中へと出かけて行くのである。
1968. 7.14 東十条オデオン座(併映 続夕陽のガンマン、007は二度死ぬ)
1968. 7.16 赤羽オデオン座(併映 続夕陽のガンマン)
1970. 7.25 シネマ新宿
1970. 9. 6 テアトル新宿(併映 泥棒を消せ、華麗なる賭け)
1971. 2. 7 テアトル新宿(併映 さらば友よ)
1971. 6.27 テアトル新宿(併映 冒険者たち)
1971.10.22 テアトル新宿(併映 さすらいの狼)
1973. 4. 9 池袋文芸座
1973. 7. 7 テアトル新宿(併映 さらば友よ、リスボン特急)
追記:1990年代以前の鑑賞日の設定は出来ませんでした。
追記2:映画の冒頭「ジャングルの中の虎に似てサムライの孤独ほど深く、厳しいものはない−武士道-」という字幕が入ります。
これは武士道が出展ではなく、ジャン・ピエール・メルビルが考えたものだと、本人がインタビューで語っています。
孤独が深く、厳しいものとしてのサムライだと言う事でしょう。
追記3(2024.7.29NHK-BS 字幕・大城哲郎⇒追記2の翻訳のニュアンスが若干違う)
・当時アラン・ドロン夫人だったナタリー・ドロンは本作が映画デビュー。
・ナタリー・ドロンの部屋を訪ねて来る記憶力のいい男はミシェル・ボワロン監督。
・ナタリー・ドロンは、この後ミシェル・ボワロン監督の「個人教授」に出演して日本で人気が出る。
【笑顔無き、自身の殺しの流儀を変えない孤高の殺し屋を演じたアラン・ドロンのスタイリッシュな魅力炸裂作品。】
■恋人ジャーヌ(ナタリー・ドロン)にアリバイを頼み仕事に出掛けていく殺し屋・ジェフ。(アラン・ドロン)クラブの経営者を殺害し、現場を後にしようとしたその時、黒人歌手・バレリー(カティ・ロジェ)に顔を見られてしまう。
だが警察で行われた面通しで、なぜかバレリーはジェフが犯人であることを否定する。
◆感想
・灰色がかった硬質な映像と、最小限の音楽。そして、ニヒルなまでに、自身の殺しの流儀を変えない孤高の殺し屋ジェフを演じたアラン・ドロンが、格好良すぎる。
ー トレンチコートに、帽子。長身痩躯なアラン・ドロンの姿が印象的である。-
・資料によると、ジャン・ピエール・メルヴィル監督は、日本の侍をイメージしてジェフのスタイルを考えたそうである。
<抑制したトーンの中、警察に追われるジェフが地下鉄を巧みに使うシーンや、バレリーが演奏するバーに現れた時に、彼の拳銃には銃弾が入っていなかった所など、作品全体が醸し出す雰囲気が、格好良すぎる作品である。>
ジャングルの中の虎に似てサムライの孤独ほど深く、厳しいものはない‼️
アラン・ドロン扮するジェフ・コステロ‼️彼こそサムライである‼️目深にかぶったソフト帽、襟を立てたトレンチコートが虚無感を漂わせて何ともカッコいい‼️サムライですね‼️「武士道」の厳しいルールを自分に課しながら生きている彼は、常に深く熟考し、引っ切りなしに煙草を吸い、部屋の中でも決して帽子を脱がないような男‼️サムライですね‼️ジェフは孤独で無口で、暗い部屋に一人暮らし、小鳥一羽を同居人としている‼️サムライですね‼️常に死と対決しながら冷静に行動し、裏切られることはあっても裏切ることはなく、殆ど表情を変えず、落ち着いて相手を射殺するが冷酷ではない‼️サムライですね‼️わが道は死ぬことと知っている‼️本物のサムライですね‼️カラーなのにまるでモノクロ画面のような渋い色彩設計、セリフではなくジェフの行動のみで物語を語るジャン=ピエール・メルヴィル監督のスタイリッシュな演出‼️彼もまたサムライですね‼️他人を一切寄せ付けず、己のスタイルを貫き通して死んでいく殺し屋を、日本の侍のイメージとダブらせるなんて、フツー思いつかない‼️天才ですね‼️線路にかかった陸橋の上で、ジェフが金髪の男に襲撃されるシーンは何度観ても息を呑む素晴らしさ‼️サイコーのフィルムノワールの一本ですね‼️
かっこよさがかっこよさであった時代
アラン・ドロンの孤独な殺し屋
1967年(仏/伊)監督:ジャン=ピエール・メルヴィル
孤独な殺し屋のアラン・ドロン。
ソフト帽にベージュのトレンチコート。
着こなしが完璧な上にその姿・お顔の美しいこと。
アラン・ドロンを堪能する映画でした。
ジェフ・コステロ(アラン・ドロン)は金で人殺しを請け負う孤独な殺し屋。
題名は「サムライ」ですが、誤解が海外にはあるようです。
サムライ(武士)は組織(主君とか藩に属する職業で、大義のためには命を捨てて戦うけれど、
殺し屋ではない。特に孤独な訳でもない・・・)
ジェフはナイトクラブで《殺しの仕事》を果たして部屋を出る時、黒人のピアニストに
顔を目撃されてしまいます。
面通しでピアニスト(カティ・ロジェ)は嘘をつき、ジェフをかばう。
事前にコールガールのジャーヌ(ナタリー・ドロン)に、アリバイ工作を頼んでいたジェフ。
一旦釈放されたものの。
主任警部(フランソワ・ペリエ)は、犯人はジェフに違いないと確信して、
包囲網を引いて行く。
メトロの追っかけっこ=逃亡劇は、スリルがあります。
マンツーマンで警察官がマークする中、彼らを巻くジェフのカッコ良さ!!
ジェフが車を盗む手口。
鍵束がネックレスのようです。
一個一個試して即、エンジンが掛かりスタート!!
盗んだ車を仲間のアジトに持ち込んでプレートを変えて、ついでに銃を受け取る。
と、かなり周到な仕事ぶり。
孤独なサムライの心を慰めてくれるのは毛色の悪い、声も悪いカナリアだけ。
この映画、カラーなのにほとんど色味がないです。
肌の色と車のライトが目立つくらいで、ほぼ無彩色。
会話も少なく、心の繋がりを断つジェフだけがポッカリと浮かび上がります。
しかし殺し屋の嗅覚は鋭い。
部屋に押し入ってきた殺し屋。
ジェフの首に銃を押しつける。
ジェフの目つきが瞬時に殺気立ちます。
目の前に肉塊をぶら下げられたドーベルマンのように、素早く襲いかかるジェフ。
流石の凄腕だ!
この暴力=心底プロの殺し屋だと知ります。
ラストの展開は、覚悟を決めたのでしょうか?
孤独な男は最後まで、1人ぽっち・・・でした。
一匹狼の殺し屋の運命
フィルムノワールとはこれのことだと思います
冒頭に武士道の一節が出てくる。よく判らないが新渡戸稲造のだと思う。
外国人は、孤独と侍を結びつけて捉えている。日本での侍の位置付けとは少し異なっている──と思う。
日本で侍が描かれるとき、それは七人の侍のごとく多様だが、孤独のエレメントよりは、概して、秩序を重んじ義理がたく豪胆に描かれる。平生は穏健で、理想は久蔵の宮口精二の感じ。
日本人が侍のイメージを孤独とつなげないのは、おそらくメディアに孤独な男の話が少ないから──でもあるだろう。ふつう、しゃべらない男の映画なんて作ろうと思わない。
転じて、それをやっている映画には自負があるに違いない。フォレストウィテカーのゴーストドッグ、ジョージクルーニーのThe American、ライアンゴズリングのドライブ、フレッドジンネマンのジャッカルの日。孤独で寡黙な一匹狼──それらの基点となる映画がメルヴィルのサムライだと思う。
フィルムノワールという定義があり、それをよく判ってはいないが、個人的には、とても狭義な枠と捉えている。
私見としては、幸福、饒舌、陽気、人情、楽観などの属性を持った人間がひとりも出てこない映画で、何事にも動じない男が自律や掟に副って生きている。
かれは幸福にならないが、不幸にもならない。なぜなら悲劇臭を出さないのがフィルムノワールだからだ。死のうが生きようが、たんなるファクトとして置かれる。
哀感は多少あってもいいが、訴えるのはだめ。仲間や相棒はいいが、仲良しはだめ。女はいいが、情愛はだめ。ミッションを成し遂げるのはいいが、無償はだめ。生き残るのはいいが、ハッピーエンドはだめ。──それが私的認識のなかのフィルムノワールである。
すると誰もが聞いたことがあるこの定義が、ほとんど数作に絞られてしまう。本編はその筆頭だと思う。かえりみて、外国人の定義によって侍を教わったところは大きい。
アラン・ドロンがカッコ良すぎる。警察と依頼人、双方から追われる孤独...
スタイリッシュさは確かに見事
評価の高いジャン=ピエール・メルヴィル監督作品。
観てみたが…
青灰色で統一された色彩やセリフ数の少なさ。そぎ落とされた作りに高い美意識を感じる。そしてドロンの美しさ。
わかる、わかるけども…
プロの殺し屋として工夫もなく顔見られたり、警察の雑な盗聴や尾行など「・・・」というシーンも多し。長い地下鉄シーンとか必要?
しかし唐突に来る銃の撃ち合いや狭い室内でのやりとり等は素晴らしい出来。ラストの幕引きもいい。
フランス映画らしさ(緊張感ある素晴らしいショットと割とどうでもいいシーンの混合)がある作品だなあという感想ですね。クールな犯罪映画の原点としては見事だと思いますが。
クールな佇まい
美しい作品
アランドロンの出演作を観てみたかったので視聴。
セリフも少なく、静かで洒落た作品でした。
足音や車のエンジン音等がとても美しく聞こえます。
寡黙で一匹狼な殺し屋の話です。
ストーリーとしては淡々としています。
私は感情移入できる作品の方が好きになりやすいので、その点では入り込めず、少し退屈に感じてしまうところもありました。
小鳥の役割が良かったですね。
アランドロンは格好いいよりも美しいという形容詞が似合うと個人的には思いました。少なくともこの作品では。
小鳥に餌あげてるだけで絵になるとは…
トレンチコートにハットの格好が元よりとても好きなので嬉しい限りです。
静かでハードボイルドな作品が観たいときにおすすめです。
「葉隠」を理解する 殺し屋
「マンハッタンの二人の男」達は、喋り過ぎていたが、(減らず口はアメリカ人に敵わない)
あれから メルヴィルのハードボイルドへの傾倒は
洗練され、無口な「サムライ」を完成させた
映像に対する センスは素晴らしく、アンリ・ドカエのカメラと共に、サムライの沈黙と行動を後押しする
フレンチ・ノワールの完成である
黒沢と三船のように、メルヴィルには ドロンが必要であっただろう
若くして家出をし、外人部隊に入ってしまった彼には、その美貌の他に 影と度胸があり(勘もよさそう) はまり役である
小道具の使い方も、秀逸
殺し屋としては、顔を見られた時点で 計算が狂い、結末は ある程度、織り込み済みか?
ドロンにそっくりな、ナタリーの映画初出演作
痺れた!フレンチフィルムノワールの金字塔
アランドロン32歳
正に男盛り、若さに渋みが加わって、いい男に磨きがかかりすぎなくらい
画面に映っているだけで
それだけで映画になっている
原題もサムライ
そのタイトルだけで、もう痺れる
冒頭の武士道からの一節で本作のテーマをいきなり宣言し、それを期待を遥かに上回るレベルで映画を堪能させてくれるのだ
まずアランドロンの主人公の造形
トレンチコートにグレーのハットは超有名だ
ボタンダウンのドレスシャツに細身の黒いネクタイ、黒に近い濃いグレーのスーツ
もうこれだけで降参だ
次に映像
実にスタイリッシュ、無駄がない
青みのかかったフィルターを使ったかのような色味が全体の雰囲気を支配する
そして演出
冒頭に見せる小鳥の鳴き声が大きな意味を持っているなど見せ方が小粋
無駄なセリフは皆無
最後に音楽
カッコいいたらありゃしない
映像がそのまま音楽に変化したかのようなマッチ具合だ
その他にも脇役陣、端役にいたるまで、見事な配役と演技
一部の隙もない傑作だ
アラン・ドロン絶好調
フランスのノワール映画で最盛期のアラン・ドロンに妻のナタリー・ドロン共演、監督はジャン・ピエール・メルヴィル。
アラン・ドロンは一匹狼の殺し屋で依頼された仕事をこなすが、依頼主が更に殺し屋を雇い狙ってくる。
一方、警察はアラン・ドロンのアリバイが完璧なため、疑いを抱き監視し始める。
とても丁寧に描いており、リアリズムあふれる。
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