「強烈な凄みを帯びている」裁かるゝジャンヌ asukari-yさんの映画レビュー(感想・評価)
強烈な凄みを帯びている
カール・テオドア・ドライヤーという映画監督をご存じだろうか?古い作品が好きな方なら一度は聞いたことがあるだろうか?一つのスタイルに囚われず常にその映画に合った手法を模索し、その映像センスは後世の多くの映画作家たちに影響を与えたとされる名監督。しかし日本での知名度が低い為か、なかなかお目にかかれないドライヤー作品だが、ありがたいことに現在までに3作品観る機会にありつけた。そしてその中で本作はまさに衝撃的な、今までに見たどの映画にもなかったものを見せつけられた。
ストーリーはジャンヌ・ダルクの裁判から火刑にいたるまでを描いている。これだけなら至って普通。しかし、本作は過去に遺されたジャンヌの裁判記録から脚本を起こしている。ここが違う。言い伝え、伝承といったものに頼らず、記録と言う“現実”からジャンヌという「人間」を描いている。つまり本作は人間ドラマである。しかもこのドラマ、
とてつもない“凄み”を帯びている。
三白眼を晒しながら絶望と恐怖を感じるも自己の信念を貫かんとするジャンヌという“一人の少女”、ジャンヌを悪魔の手先とせんとしたい教会から派遣された尋問官たちの多種多様な形相、ジャンヌを助けたいと思う凛とした修道士、裁判を外から見守る民衆・・・
なにひとつ作り物と感じる部分がない!!
仰角クローズアップが映す者の感情を観る者に対し直で伝え、そのアップの連続が緊張感を盛り上げ、異様な雰囲気を感じずにはいられない。それだけではない。間違いなく本作に出ている役者が巧い。全ての役者が巧すぎる。それが異様な雰囲気に説得力を付属させリアルに思わせてゆく。この映像、まさに本物のジャンヌの裁判を見ているかのよう・・・そしてそこから感じるジャンヌという人間。
国を想う一人の少女であったこと。
“聖女”としてドラマティックに描くのではなく、“一人の少女”としてリアルに描く。そして老骨な教会という「体制」の餌食になる様を瞬きせず映している。しかし教会の人間とて途中で「思い違いをしているのでは・・・?」と思うようなシーンが度々ある。しかし結果は変えない。その言葉すら漏れない。変えたら教会の威信にかかわるからか?自分の保身のためか?
それを伝えたかったのか。
ストーリーはジャンヌの裁判だが、それは過去に教会が行ってしまった過ち、「魔女裁判」を告発するかのようなものなのか。威信と保身のために弱きものを飲み込んだ過去の告発。だとしたら本作はある意味異端な映画なのかもしれない。しかし、それを描いたドライヤー監督の胆力はすごいものではないだろうか・・・。
徹底したリアリズム、それが本作の特徴であり、そこにドライヤー監督の演出が強烈な凄みとなってついてくる。
こんな映像、観たことがない!
本作はサイレント映画だが、観る機会があるならば強くお勧めしたい。これは個人的評価として「傑作」である。