サタデー・ナイト・フィーバーのレビュー・感想・評価
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作られた「サタデーナイト」に隠れた、主人公の本心。
○作品全体
有名タイトルだし、アマプラの配信終わりそうだし見てみるか…と、かなりハードルを低くして見始めたのだけど、とても良かった。
もっとノリと勢いで物語を進める、悪い意味でアメリカナイズされた作品だと思った。主人公がクラブでヒロインと出会い、コメディチックにストーリーが進み、急に雲行きが怪しくなって物語に山場を作った後、ヒロインと結ばれて大団円のハッピーエンド…みたいな。
ふたを開けてみるとまったくそんなことはなくて、サタデーナイトの明るさと、それ以外の日に落とされた影のコントラストが素晴らしい作品だった。
終盤、ヒロインのステファニーが主人公・トニーへ話した「誰もが誰かに荷物を預けてる」という言葉が印象に残った。主人公・トニーは自然と「預けられる側」になってしまう人物だ。不良グループでは頼られ、ステファニーの自尊心を保つための相手役になっている。どれも意図的にそうしているわけではなくて、トニーという人物が自然とその役割に収まっていて、それぞれの負の感情を「預けられている」という見せ方が巧い。
そんなトニーにとって致命的な「預けられる」役割が三つある。それは父母から見た息子2人の「出来が悪い方」という役割、心の底からやりたいと思っているわけではない工具店で「長く続けてくれる若手」という役割、そして地元のダンスホールで「主役で居続けること」という役割だ。わかりやすくマイナスな役割もあれば一見プラスに感じる役割もあるが、どれもがトニーをブルックリンという街へ閉じ込める役割で、「この街で私たちを支え続けろ」という負の感情を預けられている。
個人的に心に刺さったのは工具店でのトニーだ。トニーはダンスの練習のための休みを貰えなかったことに腹を立て、工具店を辞めようとしていた。衝動的に辞める、という見方をすればマイナスなイメージだけど、この場面はトニーの自己実現という意味でとても前向きな場面だ。しかし再び店に戻ってくると店長はトニーを歓待する。それと同時に長年勤めているスタッフの話をするわけだが、このシーンの「トニーに何者にもなれずここで働き続ける恐怖の未来」をかすかに見せる塩梅が巧いし、店長が間接的に「お前はどうせここで働き続ける」と言っているようにも見えて、「何者にもなれない恐怖」の匂わせ方が絶妙だった。
そんなトニーも自分自身に荷物を預けている部分もある。「サタデーナイト」だ。何者にもなれず、ダメな自分を唯一許せる時間であるサタデーナイトは、逆に考えるとそれ以外の時間の存在をそのままにしていいと納得させてしまっている。そうやって諦めてしまっているトニーに、周りの人はどんどん付け込んで「預けていく」わけだ。
これに対比する存在として兄がいた。兄は神父として不特定多数の人間から負の感情を「預けられる」。そこから逃れ街へ戻ってきたが、そこでも兄は元神父であることが知られて、トニーの仲間から負の感情を押し付けられる。同じ轍を踏みかける兄は街から出ていき、預けられる側から逃れることができた。仕方ないと諦めたトニーと、父母の期待すら裏切って一歩踏み出した兄の対比は、短いシーンだったが効果的だったように思う。兄が餞別として置いて行った神父の制服も、暗にトニーが周りの人間にとっての神父のような「預けられる」役割であることを示していた。
コンテストの結果によって「サタデーナイト」の自分が、周りにとっても自分にとっても都合のいい存在なだけであることに気づくトニー。ステファニーに都合の良い女という役割を安易に押し付けようとするが拒否され、友人という対等な存在になることを決意して物語が終わる。ステファニーと恋人になる、というような安直なラストにしていないところが素晴らしい。まるで「物語はハッピーエンドであれ」という視聴者の一方的な感情を預かることにNOを突きつけているようなラストだ。
「サタデーナイト」のようなわかりやすく作られた明るさではなく、自分で掴み取る明るさを目指す本作。サタデーナイトの明るさと、それ以外の時間に落ちるトニーへの影が非常に印象的なコントラストになっていて、とても見応えのある作品だった。
○カメラワークとか
・ダンスシーンでステファニーと手を取り合って回る時に回り込みとか主観カットを使っていたのが印象に残った。ありきたりといえばそうなんだけど、あまりカメラを動かさない本作だとインパクトがある。
○その他
・ありきたりといえばありきたりだけど、橋のモチーフもドンピシャだったな。ブルックリンに縛られたトニーを解放する手段である橋だが、なかなかそれを渡りきることはできない。そして橋に期待を募らせるトニー。トニーは学のない人物として描かれるが、橋について話すときだけは博識な人物のようになる。それだけトニーの中に募った想いがある、ということだろう。
・トニーを慕う女・アネットのただの悪ではない悪役っぷりが良かった。一見トニーに尽くす良い女っぽいんだけど、自分の都合のいいようにトニーを扱っているのがポツリポツリ顕在化しているっていう。トニーはまだ結婚とか考えてないのに強引にそっちへ持って行こうとする行動とか。トニーが最後までアネットに優しくないのも良かった。この作品にとってトニーを街の住人にしてしまう人って、極論「悪」なんだ。トニーはこのままでは不本意に街の住人になってしまうことを理解していながら諦めている節もあるんだけど、それは本心じゃない。その本心の部分をなんとか剥き出しにさせたいっていうのがこの作品にはあって、それを妨害する人間は悪だ。普通に生きていたら諦めてしまう本心を、どうにか諦めさせないようにもがく本作は、自分の中にかなりズシっと刺さった。
・ダンスは今見ると正直、古臭くてダサい。ダサいけど、楽しい。
・ジョントラボルタ、かっこよくキマってる姿よりも若々しく戸惑ったり、優しく微笑んでる姿の方がとても良かった。
音楽とダンス、それと現実
思ってたより重い
名曲がたくさん。 映画は初めての鑑賞だったけど、曲も踊りもどこかで...
0158 みんなトラボルタになりたかった
1978年公開
ま、ワタシはステップすら踏めなかったけどな。
ただビージーズの音楽にはハマった。
「小さな恋のメロディ」調から180度変換。
オープニングタイトルと被るスティンアライブ最高。
トラボルタは18歳年上のダイアナ・ハイランドと
付き合っている最中「この映画を降りたい」とするも
彼女に励まされ今日に至る。
ダイアナは病気に侵されていたんですけどね。
70点
トラボルタの人生
かつてディスコダンスに憧れていた中学生の頃、映画館に見に行った懐かしの映画。
facebookに流れて来たトラボルタの恋愛ストーリーを見て、トラボルタという人に興味が湧いて、再び見てみたくなった。
あらためて観ると
やはりトラボルタの踊りはとても魅力的である。
70年代ディスコダンス教室があったら通いたいと思ったくらい(笑)
トラボルタと仲間たちはイタリア系なのだろうか。
プエルトリコ人を馬鹿にして敵対しているが、最後のコンテストでは、そのプエルトリコのカップルに実力で負けたと悟った彼は、八百長が行われている理不尽さに腹を立て、あっさり負けを認め優勝金を彼らに渡してしまう。
金融グローバリスト達が席巻しつつあるマンハッタンと、それに憧れ、底辺から這い上がる為に身体を使う事を余儀なくされる相手役の女性。
社会の矛盾を突きつけられることで、自分が更に弱い者を虐めていたことに気づき、トラボルタが真っ当に生きたいと願うところで物語は終わる。
果たして彼らのその後の人生は、どうなったのだろう。
現実には貧富の差が限りなく広がり、腐敗しきったアメリカや世界。
ダンスの素晴らしさと共に、今観る人にはそこも突きつけられている。
トラボルタは、この映画の役のようにピュアな人なんだろうと思われる彼の現実のラブストーリーも知ってほしい。
若者映画
適当に踊るの見てりゃいいんだろうくらいの気持ちで見ました。すみません。
だけど、絵も音も演者も洒落てる。それを楽しむだけで何ら問題ない映画。一番わかりやすいとこ挙げて恐縮ですが、「You should be dancing」で踊り狂うトラボルタ、それだけで全部が語れてしまうような。
実は裏側が暗い、ってのももちろんその通りなんだけど、若者って大体裏側は暗いからなぁ。鬱屈してて、育ちも悪くて、行き場がなくて。だから踊るんでしょ。それは特に変わったことじゃない。どことなくタクシードライバーみがあるなと思ったら一年違いなんですね、ってくらい。デニーロに比べりゃかわいい。やっぱりこの映画の引力の中心は煌びやかなトラボルタなんだと思う。
ってくらいですかね。嗜んだ、という感じでしょうか笑。こんな感じの時もある。
想像とは違い、かなりの“呪い”映画かつ、『射精責任』映画だった。こ...
夢に浸りたかった青年の物語
古典的名作ながら実は今回が初見。
めーちゃくちゃ面白かったです。
まずはアバンからぐっと掴まれます。若き日のジョン・トラボルタが魅力的すぎる。立ち姿、スタイル、歩き方、ダンス、何をとっても決まっていて美しいし。
ノリノリで歩いたりダンスする姿を見ていると自然とこちらも体が動いてしまいます。
そして芝居もめちゃくちゃ上手い。
言葉にならない繊細で寂しそうな表情や、ディスコに入る時の溢れんばかりの高揚感溢れる笑顔。
彼の素晴らしい演技があるからこそ、見ているこっちも魅力的なディスコの世界にぐいぐい引き込まれていきます。
ストーリーも良い。しみました。
同じ70年代のロッキーやタクシードライバーのような、あの時代特有のうら寂しい感じがフィルムに滲み出ていて非常にダーク。だからこそ、この現実から抜け出して煌びやかなディスコの世界へ羽ばたきたい主人公の気持ちも痛いほど分かってしまいます。
治安の悪い暗い路地とミラーボールが光り輝くディスコとの対比は、この時代の若者、そしてアメリカが抱えていた内面性を見事に体現しています。
その精神の2面性は現代から見ても強く共感できるものでした。
それと面白かったのは、作品内世界でも様々な映画やスターが取り上げられていた点。
ロッキー
2001年宇宙の旅
ブルース・リー
ワンダーウーマン
主人公の内面性や自由、女性への憧れを体現したこれらの作品群も主人公のリアルなディテールに一役買っています。
ジョン・トラボルタと70年代映画、どちらも更に好きになれる素敵な映画でした。
様々な分野で名を馳せたティーンムービー
トラボルタの大出世作、そしてビージーズの再生とディスコブームの火付け.
映画と共にサントラの大ヒット等、様々な分野で名を馳せたティーンムービー。
少し前ビージーズの映画観たからか、無性に観たくなりました。
オープニングの「ステインアライヴ」をバックに街を闊歩しているシーン、やっぱり最高に格好良いです。
それと今見ると、橋を挟んだブルックリンとニューヨークという、格差と都心への憧れもちゃんとベースとして描かれていました。
そんな鬱屈とした街で力を持て余している若者達が、週末のディスコで踊り明かすのが唯一の楽しみ。
そんな中でもトニーは仕事もしている、趣味のダンスにも真剣で女の子にも軽くない。以外にもストイックでちゃんと夢を持っているのが良いんですね。
ダンス自体も頑張っていて、ディスコハウスでのソロタイムシーンなんて今でもすごい格好良いですよ。
そんな頑張っている彼もディスコ大会の優勝をきっかけに、どんどん崩れてしまう。
そしてやっと気づく自分の立っている場所、そして贖罪の後に差し込む光。
青年の成長を感じる、見事なエンディングでした。
やっぱり良いですね。
こんな話だったんだ。
過去作としてタイトルはよく知ってたけど、初めて見ました。
思ってたのと違って、若者の自立と成長の話でしたね。
ダンスがクライマックスになるかと思いきや、そこでは消化不良で、その後の気持ちの変遷がラストというのは、今の映画ならまずないかも。エンタメよりのものは特に。
裸婦が出てきたり、女優の乳首が見えてたり、
カーセックスしてたりと、今見るとかなりぶっ飛んだ内容なのも昔の映画という感じか?
脚本も、なかなか行き当たりばったりな内容で、何もかも解決しないけど、これでも当時は良かったんかなという意味ですごいなとも思う。神父を辞めた兄貴や、主人公の友達に輪姦される主人公に片想いな女の子、自殺した友達、全てが放置。主人公の成長だけ描かれる。
すごく面白いとは言えないけど、見応えはある。
選曲が良い
これはダンス映画にあらず
能天気なダンス映画かと思っていたら、
イタリア系移民とか、性的なエグいシーンとか、宗教的なこととか、いろいろ重たい内容が詰まっていた。主人公のお兄さん、何かやらかしそうな危険な目をしていて気になっていたのだけど、やらかしたのはそっちかー、みたいな。
そしてなんなんだ、あのダンス。主人公の振り付けといい、相手の女性の身体の硬さといい、あれは、笑うシーンなのだろうか、と思いながらも見入ってしまった。そんな映画だった。
ウォルター・マーフィーの『運命76』懐かしい。デオダートだと思っていた。
『スティングアライブ』で始まって、『愛はきらめきの中に』で終わる。そしてエンドロール中に『スティングアライブ』に戻る。アメリカはまだ夜明けを迎えていないって事か?朝日にワールドトレードセンターの影が浮かぶ。
古くからのビー・ジーズファンとしては、ディスコミュージックのビー・ジーズはあまり好きではなかった。やっぱり、『ラブサムバディ』だし『マサチューセッツ』だし『メロディーフェア』が僕の青春歌だった。
だから、この映画が封切られた時、僕は20歳で『どストライクな映画』だったが、あまり好きになれなかった。『何がかっこいいんだ?』って思っていた。そして、今日二度目の鑑賞だが、その思いは変わらない。アメリカのモラトリアムなバカ青年って思う。主人公は自分が変わらないで『人のせい』にする。カッコ悪い。どこから見ても、プエルトリコ人のダンスのほうが凄いし、黒人のペアにも負けている。
そして、八十年代のディスコは黒人に制覇される。『燃えよドラゴン』『ロッキー』『セルピコ』『ファラ・フォーセットメジャーズ』なんて一瞬で消える。
と言いつつ、僕の青春時代だし、デスコテックにも何回か行ったので。
今見たらダンスだけじゃない、立派な青春映画だった
映画冒頭でトニーの歩く足元から場面がスタートしたと記憶していたが、数十年ぶりに見直してみたら実際はブルックリンブリッジを挟むニューヨークの街並みからだった。
これがこの映画の象徴。
イーストリバーを越えた向こうに夢を馳す。
1977年公開当時のヒットはディスコムービー、ダンス映画としての受け入れ方が強かったが、今見れば明日を夢見る若者の青春映画という位置付けだ。
週給百数十ドルでペンキ店で働いて週末の夜にディスコに繰り出すのが唯一の楽しみであるトニー(ジョン・トラボルタ)。頼まれたペンキを買いに出ても靴を見たりシャツを取り置きしてもらったり、ピザを食べたり、女の子を口説いたりしてなかなか店に戻らない。店に戻れば30分以上も待たされた客がツノを生やして怒ってる。でも待たせたお詫びに、と10ドル割引いて100ドルちょっとでお譲りします、と。78ドルで卸したペンキに大いに色を付けるトニーはそれなりに口のたつ販売員に違いない。
家に帰れば神父になった兄を唯一の生き甲斐にして崇める母と半年も失業中でこの妻に頭の上がらない父がいる。
そんなブルックリンの決して裕福ではないカソリック教徒の一家に育った彼は、なのに、“お育ち”もよろしくない。
ハンバーガーを頬張りながら大きな声で喋る姿は見ていてちょいちょい不愉快だし、以降口を開けて食べる人を見るとこの映画のトラボルタのことを思い出した。
そんな彼を見下したように話すステファニー。
私とあなたは違うステージに立っている、決して交わらない。
そんな態度で接する彼女も元はブルックリンの貧しい家庭の出に違いない。
その差は何かといえば目標に向かって努力しているかいないか、だ。
「ハイソな自分」を演出するためにきょうはどんな有名人が会社にきたか、話をしたか、をこれ見よがしに語ってみせる。
そんなステファニーの痛々しく強がる姿は、70年代がまだ存分に男性優位社会だったことをうかがわせる。
トニーはステファニーのことを「お高く止まった鼻もちならない女」とだけ捉えてはいない。仲間うちにどんな女性かを聞かれて「それだけじゃない」と断定してることから彼にはステファニーの強がっているとこや弱い部分がわかっていたのだなぁ。
そして、このままでは自分も10年選手でペンキ屋勤務になっていくことが想像できた。昇給したってたかだか4ドル足らず。そんな生活変えたい、と願うようになる。自分も一人暮らしして悪い仲間とは縁を切って橋の向こう側に行くんだ!
トニーがブルックリン橋を2人で見上げてうっとりと語り「この橋のことなら何でも知ってる」というくだりは初見の時からやけに印象に残っていた。数字で語られると女は弱いよね。
そうしてステファニーもラストは友だちとしてトニーを受け容れる。2人で橋の向こう側の世界を目指して。
踊り明かした翌日の抜け殻のようなトニーがむくりと起き上がり股間に手を突っ込む。
故・淀川長治さんのラジオ名画劇場でこのシーンを取り上げて
「この男、起きたら不思議なことをしましたね、パンツの中に手を突っ込んでひと握り。何したんでしょう?位置を直したんでしょうかね、自分の。そういうところを見せてくるんです、このジョン・バダムという監督」
っていうようなことを言って淀川先生も着目してたのを思い出す(笑)。
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