叫びとささやきのレビュー・感想・評価
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ベルイマンの中でいちばん好き
今のところ、ではあるが。
強烈な色彩、赤、赤、赤
そして姉妹たちの関係性
素晴らしいラストシーン
「人生とは」を語った映画
にしても、リブ・ウルマン最高。
映るだけでどきどきしちゃうくらいに。
目の奥まで美しい。
もっと見たい。
暗転ではなく赤転する画面。赤で統一されたインテリア。“叫び”は本音で“囁き”はその場しのぎ?“そして“沈黙”は宇宙の、世界の、人生の、人間の実相?
①ついに観たぞ、『叫びとささやき』!って感じ。②ベルイマンの全作品を観ているわけではないが、ベルイマンは人間というものに期待していないように思う。かといって失望したり絶望しているという意味ではないですけど。個人的には、失望されたり絶望されると寂しいが、あまり期待されるとなあ、と思う方だか話が逸れましたね。③いくら親子でも分かり合えないところがある。でも仕方ないもん。違う個人だから。だから結局全て呑み込んで今まで通り付き合っていくしかない。ベルイマンの『秋のソナタ』はそんなメッセージを発した映画だったと思う(リヴ・ウルマンの演技は凄かった)。この映画でも同じ人間観が観てとれる。④ラストから遡ろると、マリーナからアンナに渡されたアグネスの日記の9月13日には『』
赤が強烈な印象を作り出すがキツイ。 三姉妹の愛憎は息が詰まりそう。...
赤が強烈な印象を作り出すがキツイ。
三姉妹の愛憎は息が詰まりそう。虚構と実像を織り混ぜながら人間の醜さを描いているように感じた。慈母のようなアンナの存在だけがこの映画の中の救いだが、重くのしかかってくるような作品だった。
ベルイマン
がんで死んだはずのアングネス。やってきた姉カーリンと妹マリーアのことが心配なので、死しても2人をベッドに呼ぶ。
3姉妹それぞれの回想シーンが展開するけど、顔が似ているため混乱しそうにもなる。性格の違いを見事に表現した脚本は素晴らしい出来。現実と過去を繋ぐ赤い画面のフェードイン&アウトが上流階級の闇を表現しているようで感情を揺さぶられる。3姉妹と使用人アンナそれぞれのクロースアップは陰影が強調されていて、喪服の黒、壁の赤が不気味なコントラストを保っていた。そして、安らぎを覚える白。アンナが胸元を露に死にゆくアングネスに母親のような態度で寄り添う光景が印象に残る。
医者との浮気が原因で自殺する夫というエピソードもあったけど、彼女たちの欲望に渦巻く世界も聖なるアンナによって浄化されるような。終盤には心霊的な怖さもあったが・・・
映像美
娯楽映画ではなく映像芸術として眺めると
逆に深層心理が浮かび上がってくる
アップの表情にものの見事に…
台詞はいらない
財産と美貌は与えられたのに
母親からスキンシップな愛を与えられず
大人になってから苦しむ三姉妹
全員かわいそう…
子供を失って仕えてきたメイドもかわいそう
誰しもどこかにサディスティックな性癖を隠し持っていることに気付かされるのでは?
日常だけを生きてちゃダメよ
この日常が真理だなんてバカバカしい
もっと映画を心底楽しもう❣️
どうしようもない孤独からの救い
良く分からないところが多かった。特に3姉妹の長女、カーリンの存在が。
彼女は妹マリアに触られることに拒否反応を示すが、それは何故?激しく罵り、すぐに自己嫌悪に陥り謝る。精神分裂症ということ?ガラスで陰部を傷つけ、その際の血を口元に塗りつけるのは、夫への拒否反応が昂じたため?ベルイマンの母と同じ名前だが、心の底では愛を求めてでも自業自得で得られない、こういうヒトだったということか?
一方、三女のマリアは分かりやすい、表面的愛想はとても良いが、貞操観念無く、自己愛の強い女性のイメージ。いざ土壇場になると、死んだはずの次女アグネスに抱きつかれたら激しく拒否した様に、長女も含めて他人には本質的に冷たい。彼女と医師のやり取りは、ベルイマンとマリア演じる監督の愛人だったというリブウルマンとの実像を反映か、何だか現実と非現実が交錯していて、映画芸術に全てを捧げる?ベルイマンの恐ろしさを感ずる。
次女アグネスは勿論殉教した聖アグネスのイメージ。最後にあった様に、ささやかな肉親ととの触れ合いを至福と感じられる、神的な存在で、命無くしたが、この物語の救いでもあるし、美しく映像化もされている。
そして、召使いのアンナは、レオナルドダビンチの聖アンナ、即ちマリアの母で、マリアを膝の上に抱くイメージか。
物語全体としては長女や三女の姿に見える人間の孤独の凄まじさが、アンナとアグネス、神の存在により部分的に、映像的にも救われるという物語か。好きなタイプの映画だとは言えないが、時計やミニチャアの家族家の映像、時を刻む音、死に向かうカウントダウン?、文学的にも映像的にも音的にも、良くも悪くもある人間性の深いものは感じさせられた。
真っ赤にイメージした女性の魂を探求した不協和音の家族劇
1974年に公開され、その年のベストテンではフェリーニの「アマルコルド」と首位を競った作品だったが、この二作品に優劣を付けることは殆ど意味がない。どちらも世界的巨匠であり、スウェーデンとイタリアの国柄の違いや対照的な表現法を極めた作家の完成度高い作品だからだ。これはもう、観る者の好き嫌いに頼るしかないだろう。
人間を凝視した厳しさで言えば、ベルイマンの演出には揺るぎが無く、フェリーニは表面に出さない。人間の陽性を開放的に捉えるフェリーニに対して、ベルイマンは人間の陰性を深層から捉えようとする。讃歌に酔うか、探求に苦悩するか、映画もこの振幅の広がりを持つまでになったとは素晴らしいことではないか。私的には、「アマルコルド」が分かり易く好きだし、ベルイマン作品では「野いちご」の感動には及ばない。苦しみだけの映画に対する耐性もないし、人生経験と知力も未熟だからだ。
この物語に救いがない訳ではない。子宮癌に苦しむアグネスと彼女を看護する召使アンナとの関係は、実の親子以上の異様さを窺わせるが両者の信頼は厚い。ただ、主人公の三姉妹の家族の絆は蝕まれて、修復の施しようがないところまで行っている。姉妹間の嫉妬からなのか、憎悪と拒絶の関係性に良心の呵責も見えない。孤立した姿は、人間の醜さを露呈する。また彼女らの愛欲も満たされず醜い。唯一血の繋がりを持たないアグネスとアンナの関係も、一方が弱者であると考えると、このベルイマンの女性の業の暴露は恐ろしい。長女カーリン、三女マリアの夫たちも、他人に関与しない無慈悲な男たちである。映画は、各登場人物の顔の表情のアップでほぼ通して、懊悩の感情、其々の孤独、虚無感に包まれた生活空間をイメージ化し、真っ赤なフェイドアウト(溶暗)のカット繋ぎで構成されている。女性の魂の色を象徴化した色彩設計の演出美。その拘りの独善的な作家性が、凄い。音楽の使い方も素晴らしい。近寄りがたいほどの、ある親族の不協和音を映像化した女性暴露映画。
1976年 9月22日 池袋文芸坐
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