最後の誘惑のレビュー・感想・評価
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極めて野心的な傑作映画であると思いますが、正しく本作を評価できるのは、日本のような異教徒の国だけなのかも知れません
敢えてクリスマスに鑑賞しました
同名の1951年発表の原作小説を映画化したものです
原作者はギリシャ人の小説家ニコス・カザンザキス
1964年公開のアンソニー・クイン主演のアカデミー賞3部門受賞映画「その男ゾルバ」の原作者でもあります
ギリシャは、キリスト教といってもギリシャ正教の国
「その男ゾルバ」はクレタ島が舞台ですが、その劇中でも英米とは全く違う宗教であるというのが、現地の人々の考え方でした
そして隣国トルコとは、それこそ数千年もの間支配したり、されたりの繰り返しの歴史です
宗教も1500年以上、イスラム教と対峙する最前線でした
なので原作者も欧米人とは少し違う考え方で、キリスト教を捉えているようです
日本人ならもっと違うでしょう
そもそも殆どの日本国民は異教徒です
ですから、本作の内容に衝撃も怒りも反発も感じることは無くて観ることができるのは当たり前なのです
普通の日本人からすれば、そういう解釈もあるのかというあくまでも知識としてのひとつの考察に過ぎないのです
それゆえに自分には、本作で描かれた解釈にこそ処刑前のイエスの言葉に納得性と整合性があり、腑に落ちるように感じました
神や教会への冒涜とも感じません
むしろ、神とイエスについて深く考えぬいた原作者の信仰の深さを感じます
スコセッシ監督に取ってはどうでしょうか?
映画監督になる前は、神父を目指していた程の信仰の篤い人ですから、原作の内容は彼に深い衝撃を与えたのだと思われます
反発と納得の狭間の葛藤を長い時間をかけて、自分の中で腹に収まった考え方なのだと思います
そして、この小説をなんとしても映画化したいと熱望したのです
それこそかって神父を目指していて、気がつけば映画監督になった自分が、本作こそ神に選ばれて映画化しなければならないという使命感に駆られた作品だろうと思えるのです
それが自分の信仰の深さの証になることだという監督の信念を感じるのです
本作は、当初「キング・オブ・コメディ」の次の作品として撮るつもりで準備を進めていたそうです
しかし、その最初の映画化の計画は、多くの反対にあい断念させられてしまったのでした
その代わりに監督が製作したのは、1985年の「アフターアワーズ」でした
その作品は、なんて自分は不運な男なのだという嘆きの映画のような作品でした
かろうじてラストシーンは、それでも仕事に向かう主人公で締めくくっていました
そこには、なにくそ!負けるものか、挫けてたまるか!という監督の意地のようなものが感じられました
ところが、そのヤケクソで作った「アフターアワーズ」がどういうわけか、カンヌ国際映画祭監督賞受賞をはじめ、数々の映画賞を受賞したりノミネートされてしまうのだから不思議なものです
もしその作品が映画賞をとれなくて、ろくにヒットもしなければ、一度映画化企画が潰れた本作が1988年公開作品として、また始動するなんてことはなかったでしょう
これこそ神のお導きということかもしれません
スコセッシ監督からすれば「奇跡」に見えたと思うのです
内容は1971年の映画版の「ジーザスクライスト・スーパースター」と似て、ユダに焦点が当たっています
その作品では、イスラエルの現地ロケでありながら、敢えて現代劇風の衣装なセットで撮ることで、普遍的な物語であろうとしていました
それに対して、本作ではできる限り当時をリアリティをもって再現していくこと追求する
そういう姿勢です
現代劇風にするという手法は、普遍的な作品を目指すという一方で、批判からの逃げであるともいえます
聖書に書かれていることを、具体的にみせるというのは批判を怖れることなく、自らの思うことを映像として全て具象化する挑戦的な製作方針であると思います
土地の風景、人々の姿形、当時の衣服、住居、市場
そんなものですら批判を受けてしまうでしょう
最新の研究成果にもとづいて出来る限り、新約聖書の時代正確に再現きたものであったとしても、それは教会に飾られている宗教画とはほど遠い姿なのですから
まして、教会の正式な解釈と違う内容をテーマにすえるとなれば相当な反発がまきおこるのは
目に見えています
それを百も承知で、スコセッシ監督は本作を作りあげたのです
見事な作品であると思います
傑作というべきだと思います
しかし欧米においては微妙な宗教的な軋轢があり、観客にも、批評する側にも、映画賞で評価する側にとっても、真正面から本作を賞賛しても、批判しても、なにかしら波風をたててしまうでしょうから、触らぬ神に祟りなしで、あえて論評しない、避けて通る状態になって居るように思えます
日本でも、本作のように真正面から宗教についての映画を撮ればどうなるか?容易に想像できると思います
ネットで大炎上間違いなしです
というか、撮ることすらできないでしょう
撮れるとすれば、宗教団体がスポンサーとしてその注文通りの映画だけだろうということも簡単に想像できます
だから本作は極めて野心的な傑作映画であると思いますが、正しく本作を評価できるのは、日本のような異教徒の国だけなのかも知れません
ナザレのイエス
キリストの知識もなければ宗教観や存在自体もアヤフヤで何を感じて如何やって観るべきなのか戸惑う。
裏切りのユダは救世主として全うすべき頑なな意志を持ち、その意志にすら揺らぎながらも神が与えた試練を全うするイエス・キリストの人間としての欲望から逃れられない、神である存在なのかも謎に思える。
レアな姿を披露するジョン・ルーリーの長髪で髭ボーボーな違和感、目立つ役柄のハリー・ディーン・スタントンの存在感、キリストを演じる説得力が抜群なウィレム・デフォー、キリストにダライ・ラマや江戸時代のキリシタンとスコセッシが描く崇高な映画三部作からの一作目となる本作って認識で宜しいかと??
イエスの人間性
個人評価:3.7
イエスの磔刑までの経緯を、同ジャンルの作品とは、違う視点で描かれている。
イエスは最初から、超越し悟りをひらいた存在ではなく、苦悩、葛藤、弱さを抱え、また間違いや後悔を繰り返し、最後の時に辿り着く。そして最後の死の瞬間にまで、生への執着、家族をもち寿命を全うしたいという、当たり前の欲求を持ち続けている。人間らしい根本的な誘惑は、イエスにも例外なく、最後まで立ちはだかる。
本作の冒頭に説かれている様に、まさにイエスは救世主と人間との狭間で葛藤していたという、独自の視点が興味深い。
既存の宗教観を覆す人間ドラマ
自分の意思に関係無く"神の子"に選ばれた人間イエス・キリストの苦悩と葛藤を新鮮な視点で描き出す。 既存の宗教観に衝撃的な視点を持ち込んだ問題作と言う評価以前に良くできた重厚な人間ドラマだ。
人間としての生き方と神の子としての使命に葛藤するイエス、イエスの教えに従い裏切り者としての使命を受け入れるユダ、神話的な聖書の世界をリアルなひとの質感を持って描いた良作である。
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