劇場公開日 1975年4月26日

「【アメリカとは...】」ゴッドファーザーPARTII ジャパニーズ先住民さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0【アメリカとは...】

2025年2月18日
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Part1と2は単にマフィアの物語を超え、アメリカ社会そのものを描こうとした壮大な作品です。

イタリア系マフィアつまり、ビトーが築いた私的な護衛組織は、古くからある民族的な仲介役の延長にありますが、そこには強烈な権力と求心力が伴います。ビトーが仲介し、利益を得ることで周囲からの信頼と権力を築いていく一方、時代が進むにつれ、その権力の維持が目的化していくことによって生まれる悲劇が展開されます。

物語の中心であるマイケルは、ファミリーと家族の両方を守ろうとしながらも、徹底的に敵を排除し、利益を追求する冷徹さを選びます。しかし、その冷徹さゆえに孤独に陥り、最終的には「守ろうとしたすべて」を失う結果に至ります。仲間や家族を守るために戦うことが正当とされ、マイケルが敵を排除し続ける姿勢は、個人の意思ではなく「仕事」であると割り切る冷酷な資本主義の暗示にも重なります。この観点は「私情を排し、利益を最優先する」アメリカの象徴でもあります。

作品の舞台には、民族的な伝統と現代の価値観が交錯します。マイケルは、アメリカ社会に適応しようとしながらも、ファミリーの掟や価値観に引き戻されます。米軍を退役し、イタリア人でない女性と付き合う彼が、やがて伝統に縛られ、最終的にはファミリーに戻っていく姿は、民族の歴史や文化が世代を超えて継承される様子を描いています。その象徴的なカットやシーンは、ファミリーの「利益と尊厳」をアメリカ社会の偶像として映し出します。

Part2も、単に暴力や犯罪の世界を描いた作品ではなく、権力の本質や資本主義社会の冷酷さ、民族の文化的な束縛など、人間が持つ普遍的な苦悩と皮肉を映し出しています。それは、アメリカを象徴する「家族の名の下での利益追求」を通して、マフィアを越えたアメリカそのものの姿を表現しているのです。

ジャパニーズ先住民