劇場公開日 1975年4月26日

「理想とは真逆へ進んだ先に辿りついた孤独。」ゴッドファーザーPARTII すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0理想とは真逆へ進んだ先に辿りついた孤独。

2023年2月18日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

○作品全体
『ゴッドファーザー』では、ヴィトーとマイケルの価値観が対比的描かれていた。「ファミリー」と「家族」を包み込むヴィトーと、それぞれを切り離して考えるマイケル。『ゴッドファーザーPARTII』では、対比的ではあるものの、マイケルが理想とするヴィトーの価値観への羨望、そしてその理想とは真逆に進んでいかざるをえないマイケルの苦悩が描かれていた。

本作も冒頭の初聖体式のシーンからして、ヴィトーとマイケルそれぞれのゴッドファーザー像が対比的に映る。同じ祝い事の場ではあるものの、ヴィトーを頼ってやってくる人々と、マイケルとの損得のためにその場に仕方なくやってくる人々。マイケルが努力をして築き上げた関係性ではあるのだろうが、そこにはトラブルの火種が大量に埋まっている。その後起こるマイケル邸襲撃はそれが表面化しただけに過ぎない。ヴィトーの火種を未然に回避するような立ち回りとは明確に異なるゴッドファーザーだ。

作品の中心に置かれたロスとの駆引きにおいてもマイケルが優位に立つ場面は度々あるが、「裏切り」という言葉が表裏一体となっている。シビアな状況でマイケルの心の支えになっていたのが「家族」だったわけだが、中盤からはその「家族」からも裏切りを受けることになる。マイケルを孤独に拍車をかける「フレドの裏切り」は「ファミリー」と「家族」を切り離して考えてきたマイケルの行動が仇となった場面だ。マイケルは「ファミリー」としての能力に欠けたフレドを閑職に追いやったことで、「家族」であるフレドの存在と一体であることを忘れてしまっている。それはフレドからすればマイケルが自身をないがしろにしていると考えてしかるべきだ。強い組織を作ろうとするがために、自分のウィークポイントを自分自身で傷つけている。
ヴィトーのやり方だったら上手く行ったことが、マイケルのやり方では上手く行かない。それが強調された「裏切り」の描写だった。

ヴィトーの若かりし頃の物語を挿入する構成もすごく上手い。上述の対比に加えて、『ゴッドファーザー』では「若きカリスマゴッドファーザー」として描かれたマイケルが、本作ではヴィトーの物語によって「不幸の底へ転落していくゴッドファーザー」として映る。ラストカットの孤独となったマイケルの表情は一気に年老いたように見え、『ゴッドファーザー』のときにあった若さはなくなってしまった。

「ファミリー」と「家族」、それぞれが手の中にあったはずなのに、全てが抜け落ちたマイケルのラスト。マイケル自身が選んだはずだが、そうせざるをえなかった部分もあり、「ままならなさ」が絶妙だった。

○カメラワークとか
・終盤のヴィトーの誕生日のシーン。マイケル以外の兄弟皆ヴィトーのもとへ行ってしまったあとの、遠くから聞こえる声とマイケルの孤立を映す演出が上手い。ヴィトー役のマーロン・ブランドの出演が叶わなかった苦肉の策だというが、この寂寥感が素晴らしい。

○その他
・個人的に一番つらいシーンは、マイケルがトムを疑うところ。あれだけ信頼していた兄弟であったはずなのに、マイケルは「ファミリー」であり「兄弟」のトムすらも手放してしまうのか、ととても悲しくなった。
・以前見たとき、ヴィトー編はちょっとイマイチとか思ってたけど、今回はむしろマイケル編よりも良いと思えた。舞台の作り込みが素晴らしい。
・ヴィトーが友人と舞台を見ているとき、役者が「マンマ・ミーア」って言うんだけど、ここを見るたびに「ほんとにマンマ・ミーアっていうんだ…」って思う。

すっかん