ゴッドファーザーPARTIIのレビュー・感想・評価
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理想とは真逆へ進んだ先に辿りついた孤独。
○作品全体 『ゴッドファーザー』では、ヴィトーとマイケルの価値観が対比的描かれていた。「ファミリー」と「家族」を包み込むヴィトーと、それぞれを切り離して考えるマイケル。『ゴッドファーザーPARTII』では、対比的ではあるものの、マイケルが理想とするヴィトーの価値観への羨望、そしてその理想とは真逆に進んでいかざるをえないマイケルの苦悩が描かれていた。 本作も冒頭の初聖体式のシーンからして、ヴィトーとマイケルそれぞれのゴッドファーザー像が対比的に映る。同じ祝い事の場ではあるものの、ヴィトーを頼ってやってくる人々と、マイケルとの損得のためにその場に仕方なくやってくる人々。マイケルが努力をして築き上げた関係性ではあるのだろうが、そこにはトラブルの火種が大量に埋まっている。その後起こるマイケル邸襲撃はそれが表面化しただけに過ぎない。ヴィトーの火種を未然に回避するような立ち回りとは明確に異なるゴッドファーザーだ。 作品の中心に置かれたロスとの駆引きにおいてもマイケルが優位に立つ場面は度々あるが、「裏切り」という言葉が表裏一体となっている。シビアな状況でマイケルの心の支えになっていたのが「家族」だったわけだが、中盤からはその「家族」からも裏切りを受けることになる。マイケルを孤独に拍車をかける「フレドの裏切り」は「ファミリー」と「家族」を切り離して考えてきたマイケルの行動が仇となった場面だ。マイケルは「ファミリー」としての能力に欠けたフレドを閑職に追いやったことで、「家族」であるフレドの存在と一体であることを忘れてしまっている。それはフレドからすればマイケルが自身をないがしろにしていると考えてしかるべきだ。強い組織を作ろうとするがために、自分のウィークポイントを自分自身で傷つけている。 ヴィトーのやり方だったら上手く行ったことが、マイケルのやり方では上手く行かない。それが強調された「裏切り」の描写だった。 ヴィトーの若かりし頃の物語を挿入する構成もすごく上手い。上述の対比に加えて、『ゴッドファーザー』では「若きカリスマゴッドファーザー」として描かれたマイケルが、本作ではヴィトーの物語によって「不幸の底へ転落していくゴッドファーザー」として映る。ラストカットの孤独となったマイケルの表情は一気に年老いたように見え、『ゴッドファーザー』のときにあった若さはなくなってしまった。 「ファミリー」と「家族」、それぞれが手の中にあったはずなのに、全てが抜け落ちたマイケルのラスト。マイケル自身が選んだはずだが、そうせざるをえなかった部分もあり、「ままならなさ」が絶妙だった。 ○カメラワークとか ・終盤のヴィトーの誕生日のシーン。マイケル以外の兄弟皆ヴィトーのもとへ行ってしまったあとの、遠くから聞こえる声とマイケルの孤立を映す演出が上手い。ヴィトー役のマーロン・ブランドの出演が叶わなかった苦肉の策だというが、この寂寥感が素晴らしい。 ○その他 ・個人的に一番つらいシーンは、マイケルがトムを疑うところ。あれだけ信頼していた兄弟であったはずなのに、マイケルは「ファミリー」であり「兄弟」のトムすらも手放してしまうのか、ととても悲しくなった。 ・以前見たとき、ヴィトー編はちょっとイマイチとか思ってたけど、今回はむしろマイケル編よりも良いと思えた。舞台の作り込みが素晴らしい。 ・ヴィトーが友人と舞台を見ているとき、役者が「マンマ・ミーア」って言うんだけど、ここを見るたびに「ほんとにマンマ・ミーアっていうんだ…」って思う。
ヴィトー編とマイケル編、1本で2本分の映画を楽しめた感じでお得
ヴィトー編とマイケル編、1本で2本分の映画を楽しめた感じでお得。しかもどちらのパートも面白い。
前作よりもファミリー内と家庭環境に悩まさられ苦悩するマイケル。台詞は少ないけど、視線や表情だけで感情を表現するアルパチーノの演技はすごかった。
「母が死ぬまではアイツに手を出すな」マイケルがフレド殺しを決心して、アルに放った台詞にぞっとする。いくら兄弟といえど裏切りは絶対に許さないマイケルの徹底っぷりは狂気を感じる。大物が釣れるまじない中に射殺...釣りを楽しみにしてたアンソニーがかわいそう。
「息子を中絶したわ」ケイがマイケルに放った台詞も怖い。血を絶やすためとはいえ実の息子を殺すのはどんなに辛かっただろう。それを聞いてだんだんと怒りが込み上げてくるマイケルの顔も恐ろしい。
ヴィトー編でのファミリー勢揃いしてるところを見ると、裏切りなどで減った現代パートと比べちゃって切なくなる。ファザーの誕生日祝いで1人食卓に残るマイケルで締めるのも後味いいのか悪いのか分からない。あれは結局最後はマイケルだけがファミリーで生き残ることを示唆しているのだろうか。
実によく練られた脚本。
ヤクザ映画を好まない家内が前作を観て面白いと言っていたので続編も一緒に観てみた(僕は再見)。まだ新人レベルだったデニーロがこの作品でアカデミー賞助演男優賞を取りスターダムに駆け上がった作品だが、既に大物の風格がある演技。マイケルの苦悩が描かれている、全体的に暗い作品だが、実にストーリーがよく練られている。
マフィアものが苦手なので、ずっと後回しにしていた名画をついに映画館...
マフィアものが苦手なので、ずっと後回しにしていた名画をついに映画館で鑑賞。1作目にも劣らないスキのない作りは、流石でした。パチーノもデ・ニーロも良かった。アカデミー賞作品賞、監督賞(コッポラ)、助演男優賞(デ・ニーロ)、脚色賞(コッポラとマリオ・プーゾ)、作曲(ニーノ・ロータ)、美術賞、計6部門を受賞。
父と子の対比
人を引き寄せる人、人が離れて行く人、このハッキリとした対比がどこか切なく感じた。 器の大きさなのか、義理と人情なのか。 マイケルのシーンで、こんな時ヴィトーだったら、どうしてたんだろ?とか思っちゃうあたりがヴィトーがゴッドファーザーたる所以かな。
マイケルの組織のボスとしての苦悩が見どころ
前作でコルレオーネファミリーのボスとなったマイケルが、本格的に組織のボスとして活躍していくストーリー。また、父ヴィトーのファミリー創設までのストーリーも出てくる。 今作は、前作と比較してマイケルのボスとしての苦悩が描かれている点が見どころだ。交渉相手から圧をかけられながらも冷静に対応する姿や、自分の決断が組織の存続に大きく影響していく立場の重圧、そして彼のマフィアとしての活動についていけなくなった妻のケイに離婚を言い渡されるなど、彼の感じるプレッシャーやストレスは相当なものだろう。彼はボスとしてのあり方に悩み、母親に相談をしていたほどだ。そう考えると、組織で高い地位に居る方ほど、彼に強い共感を覚えるだろうと思いながら観ていた。 前作以上に難しい内容だったので、あらすじを読んだ上でもう一度観たいと思う。
マフィアのボスになり、 堅気の世界に移行し平和を望むマイケルだが、...
マフィアのボスになり、 堅気の世界に移行し平和を望むマイケルだが、 トップになればなったで、 組織としてのファミリー、 またマイケル自身のファミリー、 奥さんと子供達との暮らしの葛藤 があるものなんだな。 無能な兄からの嫉妬もしんどいし。 マイケルのシーンから、 父親のヴィトー・コルレオーネへの場面の切り替えが、 見ていてうまくついていけなかった。 あとは作品として長いので、 今の自分は集中力が低いので、 映画を見る気持ちを継続させるのがしんどかった。
二つの物語が、交互に展開するため、前のストーリーを良く覚えていない...
二つの物語が、交互に展開するため、前のストーリーを良く覚えていないと、全体のストーリーが分かりづらい。
1901年からのビトーのストーリーは、セピア色かかった映像で、ロバート・デニーロがイタリア語を堪能に操りながら、かすれ声でビトーがドンとしての歩みを始めるまでを演じきっている。臆せず、動ぜず。自分が恩義を感じたり、自分を頼ってきた者のためには、危険を顧みずに便宜を図ってやる。それが、ファミリーの鉄則のようだ。その土地のヤクザのファヌッチを殺す手口なんかは冷静で、とても初めてとは思えない。故郷のシチリアに家族と共に帰った時には、父、兄、母のかたきのドン・チッチオをナイフで切り裂いて殺し、復讐を遂げる。恩義は、忘れない。と共に、復讐も忘れないということだ。
1958年からのパートⅠに続く、マイケルの物語は、ニューヨークからネバダに本拠地を移し、賭博やホテル業で、力づくで拡張し、合法化を目指す物語。しかし、強引なやり方により、周囲のマフィアとの軋轢が激化していく。ハイマン・ロスは、ビジネスパートナーを装いながら、マイケルを二重三重の罠にハメてしまおうという老獪さが凄い。フランクの暗殺未遂を企て、マイケルに容疑がかかるようにする。老齢になるまで、生き残ってきたのは、裏の手口が巧妙だからだろう。マイケルは、ハイマン・ロスの腹心、ジョニー・オラとフレドとの間に面識があるにも関わらず、フレドが嘘をついて会ったことがないと言ったことから、フレドが裏切り者と確信し、自宅襲撃の首謀者がハイマン・ロスと確信する。ハイマン・ロスは、マイケルに、ラスベガスの創始者モー・グリーンを殺されたことに対する強い気持ちを口にする。それが、マイケルを殺そうとした動機なのだろう。マイケルは暗殺者を差し向け、ジョニー・オラを殺すが、ロスには失敗。帰国後、フランクが裁判の証言者に立つことになり、今までの悪事が暴露されるピンチに立つ。フランクの兄を呼び寄せて圧力をかけ、証言されないで済む。がしかし、一部始終を聴いていた、ケイは、家を出ていくことを決意。
フレドの裏切りが家族を危険に曝し、妻であるケイがお腹の子を堕胎し、妻が家を出ていくことになったマイケルの怒りはおさまらない。せっかく、家族のために組織の合法化を目指してきたのに、水の泡。感情的になったマイケルは、フレドを殺させ、ハイマン・ロスを暗殺させ、フランクには自殺をさせる。
ストーリーをなぞってみたが、改めて、相手を安心させておいて、裏では手をまわして裏切る、殺すという手口が徹底していることがわかる。自分がそういう世界に身を置いているということは、自分の周囲、家族にも、その影響が及ぶということ。家族に対しても安心できる人は、ほぼいない。マイケルがビジネスを含めて信頼しているのは、トム・ヘイゲンだけだ。時代が変わって、売春、麻薬が幅を利かせ、一般人をも巻き込み、巨額のマネーが動く世の中になってしまい、ファミリー以上に、損得や利益のためなら何でもする世の中になってしまった。ビトーの時代のように、上手く行かない理由がそこにあるのだろう。
ゴッド・ファーザーとして、周囲から頼られる存在から始まっているのだが、時間と共に、離別、裏切り、殺される等で、家族がバラバラになり、マイケルは孤立、孤独を深めていく。最後、マイケルが、1941年のビトーの誕生日の回想するシーンがそれを物語っている。ただ、この頃から、マイケルは、他の家族とは違って一人で事を進める傾向があったようにも見える。皆が父の誕生日を祝おうという時にも、父に内緒で軍隊を志望したこと、お祝いをしに部屋を皆が出ていった時も、一人部屋に残ることなどから透けてみえた。
※更に細かくみると、ラス・ベガスを作ったモー・グリーンやハイマン・ロスは、ユダヤ人であることがわかる。金中心、損得中心の社会は、ユダヤ的な社会だ。ユダヤ人の結束は固く、やり方も巧妙。ユダヤ人は、選民思想で、その経典「タルムード」によれば、ユダヤ人以外はゴイム(獣)らしいから、他の人種が麻薬、売春で身を滅ぼそうが、騙して金を巻き上げようが関係ないと聞く。パートⅡでは、裏社会を操るものとして、ユダヤ人が描かれている。ギーリー議員を買収し、政治家を操り、キューバというアメリカとは政治や法体制が異なる異国で、砂糖、果物、通信や交通、観光業でぼろ儲けしてきた様子も描かれている。その罠に嵌り、議会で追及されて、マスコミにリークされ危うく失脚するところになるのも、ユダヤ人の常套手段だろう。
フランシス・フォード・コッポラは、マフィアを描いたのではなく、アメリカという国そのものを描いたとインタビューで答えているのを聞いたことがある。そうなのだ。これこそが、アメリカの本質。アメリカ社会の闇を描いているという点で、弛緩がなく、意味がないシーンがないことからも、これこそが傑作というに相応しい映画だ。
父と息子
ヴィトーの人生とマイケルの人生が描かれるこの作品。どちらもファミリーを守りたいという思いは同じはずなのに、マイケルの行動は結果的にファミリーを傷つけてしまっている。ゴッドファーザーとなり冷酷な性格となったマイケルとカリスマ溢れ、誠実なヴィトーの対照的なカットが素晴らしい。 とても深いヒューマンドラマで視聴したあと何とも言えない余韻に浸かった作品
1より難しい
1に続き200分を超える超大作だが時間の長さは感じず引き込まれる。ただ1よりも登場人物も多くストーリーが難しく一度観ただけではなかなか理解できない。それでもマイケルの孤独と、裏切り者を容赦なく始末する冷徹さ、マフィアのドンとしての貫禄に魅入られる。
やはり兄さんか。がっかりだよ
映画史に残る名作である「ゴッドファーザー」とさらに優れた続編「ゴッドファーザーPARTⅡ」を比較して優劣をつける事は、我々映画ファンが一生をかけて解決しなければいけない議題ではないでしょうか。父ヴィトーコルレオーネが台頭する姿と、マイケル・コルレオーネが精神を病んでいく姿を交差させて描く物語構成。ヴィトーとマイケルを演じるデ・ニーロとパチーノの素晴らしい演技。デ・ニーロはアカデミー賞を獲りましたが、やはりパチーノの演技の方がどっちかと言われれば。そして少年ヴィトーが初めて自由の女神を目にするシーン、ヴィトーの最初の殺人、マイケルの邸宅への銃撃、家族の中で疎外された妻の面前でドアを閉めていくマイケルの理不尽さ、マイケルの兄フレドが湖で寂しげに始末されていくシーンなど、あまりにも美しくて、緻密で、地球上の全映画学校のコースに設けるべき名場面だと思います。
洋画の中で一番好きかもしれない。少なくとも一番見た洋画である。40...
洋画の中で一番好きかもしれない。少なくとも一番見た洋画である。40日間で40回見た。別にノルマにした訳でない。ちょっと見よう!と思ったら最後まで見てしまったのが、40日間続いただけである。 今日、一人で、つい見始めてまた最後まで見てしまった。もう何回見たか数えられない。この映画の悪い所は、ここでSTOPしようと思うポイントがない所だ。 見てないのならオススメします。 たぶん今後、映画と言うコンテンツが無くなる時 振り返っても、この映画を超える作品は生まれなかっただろうと思う。 かなりの人数が出てくるので 初めて見るなら相関図は必ず一読しないと 必ず取り残されてしまう。でも、取り残されても面白い映画ではある。でも相関図のカンニングペーパーがあると 「なるほど!」と必ず楽しく見れる。 202分は、一見、長い映画だと感じると思うが、これだけの人数が無駄なく絡み合うのである。見れば良くここまで圧縮できるなあと思う。 それから、マフィアの駆引きなので、ウソをつく、マイケルが言ったとしても本当ではない事がある。 上記が移民の父が、のし上がって行くNYの話 下記が息子がラスベガスでの話 父と息子の二人の人生がクロスカッティングされて2人の人生が描かれている。 息子の最大の敵、ハイマン・ロスとの対決(頭脳戦)は映画史に残る傑作である。 注意ポイント:フレドが キューバで 新年のパーティーでの セリフと マイケルの行動は 注意してください。(注意を促すカメラワークもカット割りもない。)そこでストーリーが大きく転換するので取り残されやすい。
記憶の中で燦然と輝く傑作映画
フランシス・フォード・コッポラ監督による1974年製作のアメリカ映画。
原題:The Godfather: Part II、配給:パラマウント映画=CIC。
おくばせながらPart IIIを見て、Part IIのことを思い出しレビューを記述。Part Iと違って、映画館で見てとても感動したのを覚えている。随分と昔、高校生の頃で何に感動したのだろうか?
激情型で敵に殺された長兄と違って、常に冷静・冷徹に判断を下す三男マイケル、アルパチーノが格好良かった。意志の弱さからか結果的に組織に害を与える次兄ジョン・カザール殺害指令を、冷酷に出すマイケル。同時に敵対する人間も排除するが、妻ダイアン・キートンにはその冷酷さのためか、愛想を尽かされ去られてしまう。家族が皆健在だった昔を想い出す、孤独なマイケル。
対照的に描かれる若き頃の父ロバート・デ・ニーロの姿が、ノスタルジックなシチリアやニューヨークの映像も伴い、何とも魅力的であった。穏やかながらドスが有る話し方も相まって、虜になってしまったのを覚えている。そして、哀調を帯びながら美しいニーノ・ロータの音楽。一介のイタリア系移民からニューヨークのドンにのし上がっていく姿、家族や仲間をとても大切にする姿勢に、現在との対比もあり、大きく心を動かされた。
当時はヤクザ映画の延長線上という感じで見ていた気もするが、今思うと特殊だがある部分では代表的とも思える米国人ファミリー(他国から遅れてやってきた移民ファミリー)の昔と現在を見事に描ききった大河ドラマということか。そしてファミリーの今昔という点では、多くの日本人も同じか。田舎で裕福な大家族の一員として穏やかに生きた父母、対照的に競争社会の都会で何とか小さな家族を作る自分たちの様に。
この映画をステップにハリウッドの中心メンバーとなっていく、アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロ、コッポラ監督の代表作という意味でも感慨を覚える。この映画を契機に、映画の面白さにのめり込んでいった。スクリーン誌だけで飽き足らず、キネ旬、更にシナリオまで定期購読していくことになる。自分の記憶の中で、今も燦然と輝く傑作映画である。
製作フランシス・フォード・コッポラ、原作マリオ・プーゾ、脚本フランシス・フォード・コッポラ 、マリオ・プーゾ。
撮影ゴードン・ウィリス、美術ディーン・タボウラリス、衣装セオドア・バン・ランクル、編集ピーター・ツィンナー、バリー・マルキン、リチャード・マークス、音楽ニーノ・ロータ、カーマイン・コッポラ。
出演 アル・パチーノ、ロバート・デュバル、ダイアン・キートン、ロバート・デ・ニーロ、タリア・シャイア、ジョン・カザール、マリアンナ・ヒル、マイケル・ヴィンセント・ガッツォー、G・D・スプラドリン、リチャード・ブライト、ハリー・ディーン・スタントン、
ダニー・アイエロ、ジェームズ・カーン。
人間ドラマの最高峰
個人的には ヴィトよりも、マイケルの方が善人なんではないかと思います。 「良心の呵責」に蝕まれるマイケルは善人 「表裏一体」表と裏を割り切れるヴィトは悪人 裏腹に 家族と離れていくマイケル 家族から愛されるヴィト 映画で起こる出来事の全てを自分の人生に重ねて考えてしまう。 人間ドラマの名作
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