活きるのレビュー・感想・評価
全14件を表示
サバイバル
動物的サバイバル生活のようだだと思った。動物たちは傍から見ると優雅に生きてるようにも見える。が、実際には サバイバルで毎日死と向かいあって生きている。彼らが生きることがそんなに難しいかと言ったら、若いうちは 特にそうでもないかもしれない。 何とか生き、生き残り、そして 子孫を残していく・・ここの人間もそうだ。・・ということが この映画では描かれていると思った。・・・中国人は・・ という話を聞くが この映画では全くそれを感じない。日本人や欧米人と全く同じ感性を持った人々だ。 ただ 与えられた状況にアジャストして生きる・・ そのアジャスト力と生き延びようという生命力が現代の日本の若者よりも強いように感じた。日本の若者たちよ、私の思い込みであることを祈る。 映画として特筆すべきなのはカメラが凄い。 このカメラマンは日本の著名なカメラマンよりもさらにいいと思った。 何を撮ってもうまい。 静止画像でなく動いてる画像を撮るのもうまい。そして使ってるレンズがとても良くて味わいのある映像が撮れている。 もし この 映画が現代のレンズ とデジタルカメラで撮影されていたら このような情緒感は出なかっただろう。 もっとドキュメンタリー みたいな作品になってしまっていたはずだ。映画監督よ、映画は フィルムで撮れ。
壮大な人生大河ドラマ
1940年代から60年代の中国の政治的混乱を伴う激動の中で、生と死を乗り越え生きた家族のドラマだった。辛い時代や出来事の中でも根強く生き抜く庶民の生活、家族愛、人々の繋がり、一つ一つが心に染みる。
良い
覇王別姫について中国人相手に語っていたとき、「覇王別姫が好きなら同じ時代を描いた中国映画で好きそうなのがあるよ」とお勧めしてもらったのがコレ。 覇王別姫で憎まれ役やった2人が主役やった事にまずびっくりした。全然雰囲気違う!(当たり前だが) コンリーが駄目夫相手に苦労する話かと思ったら、駄目夫はわりと初期段階で改心したので安心。 今までとは違う極貧生活や、押し寄せる戦争と革命の波にも耐え、家族が身を寄せ合って慎ましく暮らす中で感じる小さな幸せと、突然訪れる不幸。 ただ、その人生を見せてもらうだけ。説教くさくないのがすごく良い。終わり方もあっさりとしていて良い。時代背景についても政治的メッセージが強すぎなくて、あくまでも庶民の暮らしの中で感じるレベル。 影絵の美しさがまた良かったな。文革が壊した古き良き中国の繊細な美しさが、淡いライトの光の中で揺らぐ様が綺麗やった。
【1940年代から60年代の激動の中国の中で、逞しく活きた家族を描いた作品。チャン・イーモウ監督が絶妙に検閲に掛からない様に近代中国の姿を描いた作品でもある。】
■1940年代の中国。
資産家のフークイは博打に明け暮れた揚げ句、借金で全財産を失い、妻チアチェン(コン・リー)も子供も家を出て行ってしまう。
全てを失ったフークイは生業である影絵芝居の巡業中、中国の内戦に巻き込まれやっとの思いで家へ戻るが、母は亡く、娘は口が利けなくなっていた。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・近代中国の政治的な変遷を見事に織り込んだ作品である。
・1940年代のフークイは、毎日朝まで博打の日々を送っているが、博打相手の龍二に家や財産を全て奪われ、身重の妻チアチェンにも去られてしまう。
ー だが、チアチェンは子を産んだ後、零落したフークイの元に戻り、皮肉な事に龍二は、中国共産党を築いた毛沢東により、”資産家”として処刑されるのである。
この辺りの描き方は、充分に中国共産党への批判を暗喩しているのであるが、チャン・イーモウは絶妙な脚色でそれを前面に出さないのである。-
・1950年代。
戦時を共にした(共産党VS国民党)の相棒の春生が区長となるも、フークイとチアチェンとの大切な一人息子有慶を、誤って轢き殺してしまう。
ー この際の、チアチェンとフークイの春生に対する対応の違い。それはそうだろう。死を共にしたフークイと、大切に育ててきた息子を殺されたチアチェンとの違いは良く分かる。
・1960年代。
一人娘の、鳳霞(その前に熱病で、口が利けなくなっている)が無事、結婚し子供を授かるも分娩時に亡くなる。頼りにしていた反共産主義としてロクな食事を与えられていなかった王先生に饅頭に7個も与えるも、先生、食べ過ぎて死亡。
鳳霞も、出産後死亡。
ー 物凄いシニカルな展開である。チャン・イーモウの毛沢東への批判がビシバシ出ているシーンである。-
<今作は、毛沢東時代の中国で、政治状況の変遷に翻弄されつつ、必死に、たくましく生き抜こうとする家族の姿を描いた作品である。>
■映画を制作、公開しづらい国。それは、イラン、中国、最近ではロシアであろう。
・イラン アッバス・キアロスタミ監督が絶妙なる作品を創り出していた。
ジャヒール・パナヒ監督は”終生映画を作る事を禁じられたが”「これは映画ではない」を制作し、近年では「ある女優の不在」(秀作)を公開している。
・中国 チャン・イーモウ監督が、名作を多数公開している。最近作では「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」が良作である。制約がある中で多数の世界に映画を発信している姿には頭を垂れる。(本当に大変だと思う。)
・ロシア ・・・映画は公開されていない。
■映画はその国の文化度と比例すると、私は思っているのである。
ロシア政策の映画を観る日は、何時来るのであろうか・・。
サイコロ賭博で負け続け、実家の屋敷を失った福貴。 父親は怒りのあまりにショック死してしまう。 妻は愛想をつかし実家に戻る。 福貴は影絵人形芝居で食いつなぐ。
動画配信で映画「活きる」を見た。 劇場公開日:2002年3月23日 1994年製作/131分/中国 原題:活着/To live 葛优(福貴) 巩俐(家珍) 牛犇(村長) 郭涛(春生) 姜武(二喜) 倪大宏(龍二) 李連義(老全) 張艺谋監督 カンヌ映画祭審査員大賞、主演男優賞受賞。 福貴は地主の放蕩息子。 サイコロ賭博に夢中。 影絵人形芝居が好きで歌がプロ並みに上手い。 気が小さい。 家珍は福貴の妻。 夫の賭博狂いに悩まされており、静かな生活を望んでいる。 1940年代から1960年代までの福貴と家珍夫婦の日常を描く。 サイコロ賭博で負け続け、実家の屋敷を失った福貴。 父親は怒りのあまりにショック死してしまう。 妻は愛想をつかし実家に戻る。 福貴は影絵人形芝居で食いつなぐ。 1950年代には国民党軍と人民解放軍の内戦が勃発。 1960年代には文化大革命に人民たちは熱狂し、 資本家たちや学校の先生や医者たちは 人民から糾弾される存在となってしまう。 闇の部分が少なくない文化大革命だが、 政治的理由により、本国では放映が禁止されていた。 満足度は5点満点で4点☆☆☆☆です。
明るく、美しく、逞しい
心に刺さった。暗い時代の話だけど、登場人物が明るいので救いがある。 どんな時代でも、一般人はその中で楽しみを見出して逞しく生きることができるのだと思った。 そしてコン・リーが美しい。
イーモウ監督の傑作のひとつ
1940年代、1950年代、1960年代の中国の大きな変革の波に翻弄された、人間万事塞翁が馬のことわざのような人生を歩んだ一家族の物語で、イーモウ監督の傑作のひとつだ。ただ、二人の子供を失ってしまう展開は見ていて辛すぎる。
10年代ごとに波乱の時代に
このように10年、decade でこれだけ世の中が変わり、街の色合いが変わり、信じなければいけない従わなければいけないものが変わり、それでも人間としての信条、生きる道筋を通し生きて活かしてきた人たちの強さ。
なによやらコンリーが強く逞しく美しい。冒頭最悪な(いわゆる旧悪)優男風な夫も意外と筋が通っていて柔軟性がある気持ちが良い人物。
賭博で財産を失なったことで腐ることなく真面目にそして中国革命の変化の中でも生き延びることができた、稀有な人生、変化する動乱の時代を乗り越えた夫婦。共に戦場で生死の別れ目を経験した春生や娘婿やその仕事仲間たち、文革で自己批判させられる地区長など、密告や激しい競争心、権力闘争の時代であったと思うかその中で生き延びようとする人たちの暖かさ、隣人家族愛、組織的ではない人間本来の互助や利他の気持ちがよく描かれている。凄惨な時代背景のなかソフトな描写ではあるが、内戦や大躍進や文革の不条理、滑稽さと残酷さを描きながらそれを凌駕する家族隣人愛、ペーソスの利いた中国現代史の中の性の記録として感動した。
強く、優しく、温かい
放蕩息子がすべてを失ってからが強い。 生きることを諦めない強さ。 何よりも命を大切にできる強さ。 今日よりも明日がよくなると信じ続けられる強さ。 春生が通帳をわたしに来るシーンがいちばん印象的だった。 現代人は、余計なものを着込みすぎてるのではないのか、と考えさせられる。 そして、コン・リーはこの頃が本当に綺麗……。
激動の中を活きる。
なんとクールな主役葛優(Ge You)と、この男優のことを思った。 麻雀で身上を潰してしまうだらしない賭博師もぴったりだし、趣味だという影絵芝居の歌も上手いし、辛辣な生き方も上手い。妻や子供への思いやる姿も天下一品だ。最初、この主役は薄気味悪いと感じて好感をもって見ていられなかったが、国民党と共産党が戦う中で人が違ったように成長していって、その後はたくましくクールだなあと思ってしまった。 勿論、妻役ゴンリーは当時の有名な女優だったし、こういう役がぴったりだ。この映画は2度目なので他の角度から見ることができた。最初は、内戦、日本の侵略、文革と政治な面に目が向いたが、文革の中で、生き残れなかった、影絵芝居を燃やす娘を見ている主人公の口惜しさがよくわかった。それに、影絵が入れてある箱だけをベッドの下に隠しておいたのもいいし、それが、孫の飼うひよこの檻になったのも、自分の大切にとっておいたものが、孫のために役立っていくのが微笑ましい。 主役は妻を含めての全てのもの失った時、初めて大切なものは何かに気が付いた。金は借りられなかった、趣味の影絵芝居がかれの功を成した。庶民に喜ばれ親しまれ自分の生き方を見つけ出した。そして、その話はただの影絵芝居だけでなく生き抜くために共産党によりになったりしたが、不幸にも、最後は封建社会をぶち破る共産党の餌食になった。 ある日のことだが、春生(主役の息子をあやまって死に導いたが、以前の戦友)が資本主義者というレッテルを貼られた。彼の妻は自殺、春生も死のうとしていた。自殺の前に、主役の家族に償い(全財産)を持ってきた。妻役ゴンリーは夫と春生との会話を聞きつけて、外に出てきて、中に入れと。息子の死で春生を長く許せなかった妻が、ここで、家に入れというが、この言葉が春生を許したと思う。思わず嗚咽。
コン・リー
40年代、資産家の息子だったフークイだったが、博打好きが災いして屋敷を取られてしまう。妻のチアチェンは愛想を尽かし家を出るが、息子が生まれたため戻ってくる。心を入れ替え、得意の影絵で巡業するフークイだったが、共産軍・国民党軍の内戦によって捕虜となり、家に戻ってこれたのは内戦が終わってから・・・その間、長女が高熱により口がきけなくなっていた。 博打でフークイの家を奪ったローアルが死刑となるなど、塞翁が馬のような話になるかと思っていたら、今度は長男に災難が降りかかる。一緒に巡業していた春生が車の事故で長男を撥ねてしまったのだ。長女が大人になり結婚し、幸せな家庭を築く・・・と思っていたら、出産の際に運悪く亡くなってしまう。箇条書きにすると、不運続きの一家といったイメージになるけど、生きる決意をしたのだから幸せはどこかにある!と、人間の力強さを感じるのです。博打好きの男が更生する様もさることながら、辛抱強く支え続けた妻のコン・リーがいい。
全14件を表示