生きる(1952)のレビュー・感想・評価
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残りの力で
昔は告知しなかったのか。
患者の一人から聞いた顛末が自分の症状と合い、ビクビクしつつ受診したら
あの男の言った通りに話が進む。
医者もなんと言うか、患者のことを
考えてないようにとれる。考えていないのだ。
今と昔と患者にとってどちらがいいのだろう。
病名と進行状況、患者本人によるのか。
とにかく渡辺さんは自身の病名並びに余命も
確信した。
戦後数年経った日本、喧騒著しい。
自宅の2階には光男夫婦が同居している。
昔だからといって親を敬う雰囲気は皆無。
自分たち二人の生活の為に
父親渡辺さんの持ち金を算段する
あけすけな光男夫婦の会話、
ここに自分の居場所は無い。
二階から呼ばれて内心うれしく思い階段を
上がりかけたら、戸締まり頼むと、だけ。
床の間の小さな仏壇を開けて亡き妻の顔を
拝み亡くなった当時を思い出す。
兄が再婚を勧めるもまだ幼かった光男を
一人で育てて来た。
野球の試合、盲腸の手術、出征、など
思い出が浮かんで懐かしむ。
顔が見たくなりまた階段を上がりかけたら
電気が消され、しかたなく下りて来る。
布団を敷いて目覚ましをかけて寝る用意をして
いたら堪らなくなり、布団の中でむせび泣く。
あんなに可愛がったのに、
なついて来ていたのに、と。
職場の人間が、5日間無断欠勤の様子を心配して訪ねて来る。応対した家政婦は、毎日出勤して行っている旨話す。
驚く光男夫婦、伯父たちにも相談。
飲み屋で知り合った睡眠薬を欲しがる男と
一緒に無茶して一思いに死んでやれと
酒を飲みに来た。
今まで自分の金で酒を飲んだことがないって。
宴会や奢りばかり?
自身では呑みに行ったことがない、
それだけ節約して来たのか。
苦悩に満ちた様子で喉から絞り出すように
話す様には哀愁が漂う。
払拭するかのように、頭を切り替える。
何十年もかかって貯めた5万円を
下ろして所持している。
どう使おうか、わからない。
新しい帽子やパチンコ、、バー、ダンスホール
煌びやかな世界など遊興費に使ってみたが、
何をしても満足できない自分。
ピアノ奏者が客にリクエストを募ると、
「いのち短し、して。」と声を振り絞り叫ぶ。
「『ゴンドラの唄』ですか?」と確認。
渡辺さんは、独唱するのである。
大きな目はウルウルしている。
♪命短し〜♪
♪明日という日のないものを〜♪
♪今日はふたたび来ぬものを〜♪
ギクッ❣️
ストリップでの渡辺さんの新鮮な驚き、可愛い❤️
ダンスホール超満員❗️ぎゅうぎゅう詰め。
ホールを出て歩く渡辺さんの表情、
暗く暗く陰鬱な、連れの男も一歩引く表情。
家近くで女性部下に出くわす。
ただ忙しくて退屈な市役所の仕事を辞めて
職場をかわるので退職届を受理してもらいに
来た、と。家まで来る?
渡辺さんが帰って来た、若い女性と一緒に⁉️
女性部下からあだ名を告げられ、
穏やかな渡辺さんだから顔には出さなかったが
人のあだ名はおもしろく笑えるが‥‥。
色々廻りストッキングをプレゼントした。
付き合ってもらったお礼のつもりか。
パチンコ、スケート、映画。
鍋の席で、
ミイラのように働いて来たのに、
息子はその意を介してくれないとグチる
渡辺さん。
女性から、
「実は息子さんが一番好きなくせに。」
と指摘され躊躇しながら顔が一瞬ほころぶ。
渡辺さんは普通のいい父親だった。
やはり、光男に身体のことを相談しようか。
家で光男の心ない言葉に唖然とする渡辺さん。
5万円使わせられた、とか、
財産分与とか、あんた呼ばわりとか、
妻が可哀想、とか。(どこが?)
渡辺さんの驚愕した表情❗️
きっと一人で育てて来た光男と
今目の前で話す男とは
別人であると思ったに違いない。
役所では渡辺さんへの馬鹿にした噂や憶測。
しかし、
当人にとっては今までにないほど真剣であった。
女性部下も辛辣❗️
新しい職場に行き、
渡辺さんオドオドしながら誘うと、
「でも、今夜だけよ。」やっと付き合ってくれた。
喫茶店でたらふく食べ、
ご馳走に飽きたら、キツい言葉浴びせる女性。
渡辺さんのビックリまなこ。
職場にも家にも居場所は無い。
もがいても暴れても、
息子はどこか遠くにいる。
そんな気持ちになってしまった自分なんだ。
君(女性)はワシに親身になってくれるし、
活気がある。なぜ活気があるか知りたい。
それを知らなけれは、死ねない。
目に涙を溜めて訴える渡辺さん。
やる気になれる、ワシにも何かできるように
教えてほしい、と懇願。
ウサギ🐰のおもちゃ🐇可愛い💕
こんな物作っていても楽しいわよ。
目を潤ませ俯き考え込む渡辺さん、
(この時の音楽)
🎼ハッピー、バースデー♪
しばらくしてハッと目覚めたかのような表情。
遅くはない、遅くはない、
自分にもできる、自分にも何かできる
やる気になればできる。
渡辺さん久しぶりに出勤して、
諸々の事案について
市民課が主体にならんとと行動に移す。
実地調査し始めて5ヶ月、
渡辺さんは亡くなってしまった。
家での葬儀通夜の席、
助役に会いに押しかける記者たち。
助役と記者との攻防。
記者、
渡辺さんが真の功労者だ。
プロモーターだ。
地域の人皆言っていた。
渡辺さん、無視されていた。
公園で亡くなっていた。
あれは、市の上層部に対する無言の抗議❗️
ではないか、という噂が持ち上がっている。
助役、
凍死でもなく自死でもない。
渡辺さんには持病があり胃がんの内出血で。
引く記者たち。皆鎮痛な面持ちで帰った。
助役、やってられないよ、とグチャグチャ言う。 イヤな上司❗️
土木部長、助役にゴマスリ。
イヤなヤツ❗️
黒江町の婦人たちが焼香に来る。婦人たちは亡くなった渡辺さんが公園作りの功労者であることを知っている為、成し遂げてくれた功績を感謝しつつ今はいない現実にすすり泣く。
この婦人たちの様子に、
驚き顔を見合わせる光男と妻。
顔を上げられない助役たち。
伯母が促し伯父、伯母、光男、妻総出で、
婦人たちを送り出す。
居心地の悪そうな助役たちが帰り、
部下たちが車座に座り、
忌憚のない話が始まる。
役所には縄張りがあるんだ。
渡辺さん変わったな。5ヶ月前から変わった。
自分の死期を知っていたのだろうか。
雨が降り、水がはけない地面で衛生面から
付近の住民から苦情が出ていた土地。
その地に土を入れ児童公園にとの陳情。
市役所の数ある課を廻って廻って、
許可を得たり印を貰ったり連絡して貰ったり、
たくさんの過程を経る為に
誰にでも頭を下げて、下の者にまで頭を下げて来るから気の毒になってしまった。
渡辺さん必死❗️やっとの粘り勝ち❗️
究極は、アレだなぁ。
陳情団連れて来て助役室に入り楯突く
凛々しい姿。
しかし、渡辺さんが頼みに来ても、
「見送れ。」と言い捨て雑談に戻る助役。
渡辺さんの苦しそうな表情。
世の中闇で、渡辺さんは
仕事だけで身体を支えているみたいだった。
歩くのがやっとの渡辺さん。
現場で渡辺さんが倒れると婦人たちが、
助けに走り甲斐甲斐しく世話をする。
水を飲んだ時の表情、
工事を見る顔、
子か孫を見る眼差しだった。
当たり前。あの公園を作ったのは渡辺さん。
またこんなことも、
歓楽街を作りたい反対派に脅されるも、
怯まずに意思を通した。
反対派、おとなしく帰ったなぁ。
胃がんを知っていたと思えるフシがある。
あまりの各課の仕打ちに憤慨する係長に、
「人を憎んでなんかいられない、そんな暇はない。」
また違う人は、
「夕焼け美しい。ワシには(ゆっくりと眺める)そんな暇は無い。」
と言ってたな。
皆で役所の愚痴のオンパレード。
役所とは何もしてはいけないところだなぁ。
何も報われないなぁ。
渡辺さんの手柄を横取りした、‥‥
助役とはっきり言え❗️
お巡りさんが焼香に来た、
渡辺さんの帽子も届けて。
今までの職員たちの会話を聞いていた
光男の後悔の顔。
警察官は言う。雪の中だったが。
「あんまり楽しそうだったし、
しみじみと歌を歌ってられたから
邪魔しては悪いと思って。
帰るよう言わなかったんだ。💦」
気にするな、と帰ってもらう。
渡辺さん、
雪☃️降る中
ブランコに乗って、
♪命短し〜って
❤️心の中は満足、多分顔ニコニコ❣️
だったと想像する。
光男、帽子持って父が遺してくれた通帳書類も
持って何を思うのだろう。
しかし、市役所はいつもの日常。
愕然とする新人職員。
そして公園を見る、
上に上がろうとすれば何もしてはいけないのだ
。生きているのか死んでいるのかわからなくてもただただ日々を過ごすのだ。
それが市役所の仕事だ。
トボトボ帰る新入職員。
そりゃ既視感あるわな
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市役所の課長が、無気力で無為な人生を送ってた。
そんなある日、胃がんであることが発覚する。
しばし会社を休み、元部下の女の子と親しくなった。
その子は役所をやめて製造業につき、生き甲斐を感じてた。
その影響で、課長は職場復帰後、公園の建設に尽力する。
主婦が役所に提案し、たらい回しにされてた案件だった。
なお尽力する場面は直接は描かれず、課長はガンで死ぬ。
その後に関係者が思い出して語るような形で描写される。
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古過ぎる映画は見にくいな。どうも音声のバランスが悪い。
よく聞こえないので、TVの音量を大きくせざるを得ない。
すると大声やBGMが異常にうるさく、結構ストレスになる。
見始めて10分、何この既視感?って思ったんよな。
これ、去年映画館で見て、寝てもた同名映画と同じやん。
あれはこの作品をもとに、作られた海外作品やったんやな。
今回は寝ることはなかったが、やっぱりよく分からんかった。
っていうか音の問題があってあまり集中できてなかった感じ。
個人的には「噛み合わず」、
個人的には「そこまでいいものだったかなあ」と。
古い映画ということもあり、全体的にセリフの音声がくぐもって低かったりボソボソ話してたり、声が割れてるかんじもあって聞こえづらかった、というか、8割くらい聞きとれなかった。
音量をあげればいきなり怒鳴り声になったり騒音になったり、小さくすればそんなボソボソなかんじで、見にくかった。
それでも高い評価のこの映画、なんとかがんばって見てみた。
中盤までの騒がしいくだりとか女性とのデートの部分も、話はわからんではないけど「んー、それでどーなるの?、残りの人生で盛り上がっていくんじゃないの?」って変に自分が期待してたからか、中だるみはしちゃったかな。。。
後半までそんなかんじで、いよいよ開き直って割り切って残りの人生を、と思いきや、そこで亡くなってしまいあれやこれやという回想の展開。
「あー、そういうことか」と思うも、あとは男連中が事後談義だけで「その顛末」を聞かされるかんじだったから、気持ちも入り込めないまま、その本人は亡くなってるし、で、なんか自分と噛み合わなかった。
終盤は、その事後談義も男連中の酔っ払いながらの侃侃諤諤の議論の流れ。
そのよさはわからんでもない、まだ話がわかるだけよかった、でも、正直、「そこまでいい」とは思えなかった。
ところで、その主人公の人が時に本田圭佑にも見えたり。
やっぱり名作
以前DVDで観て、今日NHKの地上波で放映していたので観ましたがやっぱりいいですね。
お葬式のシーンは『北の国から』の、杵次(大友柳太朗)のお葬式のシーンの参考にしたのかな?的な、黒澤監督の映画は世界中の映画監督のお手本になっていて本当に上手いと思います。
こうして、日本型村社会がアメリカンドリームを謳歌し始める
民主主義に於いて行政は、国民の為に存在する。
1952年に『20年間男やもめ』って事は、
1932年から役人をやっている事になる。つまり、戦前から役人をやっていた訳で、行政の機関の一員と言うよりも、官僚なのではないだろうか?もっとも、地方公務員は官僚とは言わない。しかし、映画の中ではこの人物の詳細は説明されていない。従って、戦後民主主義が謳歌され始めた時期の官僚に対してのアイロニーな出鱈目なお話と思うべきだ。
この主人公の心の動きを見ても、奇々怪々でわけわからない。亡父曰く。『貧困層はこんな生活感持っていなかった』付け加えて『役人はアプレガールとは遊ばないぞ』って怒っていた。
僕が知る限り、役人は威張っていた。それがDNAと化して、日本型の終身雇用までも否定される原因になってしまう。
『たとえ役人と言えど、能力を発揮しなければ駄目だ』ってね。
そして、それが民間会社に゙伝承し、能力主義が育つ。
よくよく考えてみれば、自分の命を犠牲にしてつまらない公園を作ったに過ぎない。
って考えたら、ブラック企業の『さきがけ』に見えるが。
因みに、小田切ミキさん演じる娘さんは我が亡父と同い年で、アプレガールではない。
日本にとって近代とは何か
システム的近代社会においてロボット化した人間が、死に際して個としての生命を初めて?あらためて?生き始める。大正から戦後を生きた人間の個人史であるが、この主人公は日本の近代化の歴史を象徴する存在でもある。
葬儀の場面で各人が回顧し、無口で謎の人物であった主人公が、一人の人間として像を結んでいくのが印象的。生と死がせめぎ合ううねりのような構造である。
胃のレントゲン写真から始まるのがよい。これにみんなー胃の持ち主も翻弄され世界が転がっていく。
音楽の使い方が面白い。『命短し恋せよ乙女』もそうだが、『ハッピーバースデー』がぐっと来る。直接的といえば直接的なのだが。
一人の男を「聖域」に導く驚愕の二部構成
雪の降る中、ブランコをこぐ志村喬があまりに有名な作品で、むしろ観る前までこのイメージ以外の内容を知らないくらいでした。
胃がんを宣告されて絶望していた男が、最期の最期に自分のやるべき使命として「公園を作る」ことを定めて奮起する単純な話でしたが、その物語の構成には心底あっけにとられ「この監督、天才では…?」となりました(天才です)。
死をテーマにした作品ですが、全体的な流れは妙にコミカル。
主人公の渡邊勘治が胃がんと宣告されるとこからして可笑しいですからね。まず待合室で他の患者が「胃がんは直接宣告されない。軽い胃潰瘍ですなと医者が言ったら間違いなく胃がん」と話すのを聞き、実際に医者がその患者と全く同じことを言って胃がんだと確信する流れは悲劇というよりは喜劇です。 そもそも冒頭から描かれるお役所仕事の様子なんかも、極端に積まれた書類やたらい回しのテンポの良さからコントじみてすらいます。
息子夫婦からも邪険にされるような状況で、志村喬の縮こまった背中や表情にこそ悲哀が溢れていますが、こうした笑いを交えているため必要以上に哀しい気持ちにはなりません。
むしろ、飲み屋で知り合った作家や部下の女の子に色々と遊び方を教わっていく姿はハッチャケてますし、同時に渡邊という男がこれまでどれだけ不器用に生きて流されてきたのかがハッキリしてきます。
そして、お役所仕事に飽き飽きして、おもちゃを作る会社に転職した元部下の女の子の「何かを作ってみれば」という何気ない一言で、渡邊は「死ぬ前に市民のために公園を作る」という天啓を得て、ハッピーバースデーの歌に導かれて奮起する。このハッピーバースデーの曲は渡邊が第二の生を『生きる』ことを決意した象徴としてわかりやすくユニーク。
客の皆が急にちょうど良いタイミングで歌いだすので、ミュージカルめいた幻想的な雰囲気さえありますが、全く関係ない他の学生の誕生日を祝うための歌だと判明する種明かしも茶目っ気があります。
なので、これからの後半はいよいよ渡邊が公園作りに邁進していく姿が感動的に描かれるんだろうなァ!とワクワクしていましたが、いきなり渡邊の遺影が映るので度肝を抜かれます。えっ…バッサリカット…!?まだ1時間もあるのに!?
ここからの第二部は、渡邊の通夜で上司や部下に家族が故人の思い出や急に公園作りに邁進した理由を好き勝手に推測して語っていく形になっているのです。
渡邊の最期の仕事を勝手に自分の手柄にしたり、渡邊の行動自体を腐す上司は腹立たしいし、そんな上司たちを黙らせる市民たちの感謝の焼香は感動的。 渡邊不在の状況の中、会話劇だけで残りの1時間をダラダラせずまとめていく脚本の秀逸さにやはり唸らせられます。
ハッピーバースデーからの死というこの思い切った二部構成だけでも面白いんですけど、ハッピーバースデー後の渡邊の描写をバッサリ切ったことで、死に臨む渡邊の心境が全くわからなくなってしまったことが凄いんですよね。
彼がどのような気持ちで周囲の反発やヤクザからの脅しにも屈せず公園を作り遂げたのかは、親族や部下たちの推測でしか語られません。
一応、渡邊の机の中にだいぶ昔に書いたであろう改革案の書類がみられる辺り、若い時は革新的だったけど、お役所仕事に流されて「ミイラ」になってしまったことは示唆されていましたが、それでも何故急に公園作りを思い立ったかは不透明なままなのです。
元部下の女の子の発言は間違いなく動機の一つではあります。しかし、肝心の彼女はこの通夜には参加していないのです。よしんば、参加していたとしてもただの元上司と部下の関係でしかない以上、彼女にだって渡邊の気持ちなんてわかるわけがないという。
渡邊があの発言後にどのように気持ちを変え、公園作りに生きる意味を見出したのかは、観客の目線からしても完璧にはわかりません。
この敢えて伏せる作りで、物語のラストまで興味を持続させ、そして明かされないまま終わることで渡邊勘治という男の人生は「聖域」そのものとなるのです。
部下たちは渡邊の最期を「生きながら死ぬより、死に臨んで生きることを全うすることが重要だ」と解釈し、奮起を促します。
しかし、仕事に戻った翌日には既にお役所仕事に流されていて、実践できないまま終わってしまう。死に臨んだ人間の気持ちなんて、結局自分も死に臨まなきゃわからないのです。
巨匠黒澤のこの不器用な人間を賛歌するシニカルな目線に、やはり最後まで「ぐぬぬ」と唸ってしまいました。
戦後5~6年で、誰もが生き生きと生きていけるものなのか?
昔の邦画によくあるのが男性の声によるナレーションだ。客観的な印象を与える全知の語り手のような、または観客が感情移入しないように茶化す狂言回しのようなそんな感じの話し方。映画冒頭にいきなり映し出される胃のレントゲン写真と共に流れるナレーションはそのどちらの役割も持っている。そして映画の途中で主人公は死んでしまって翌日の通夜場面。この構成は凄いと思った。通夜では遺族や市役所の役人達や「偉い」助役が主人公について語る。それは「藪の中」であり「羅生門」のようだ。何が真実かわからない。でも公園作ってくれ!のお母さん達、最後を見ていたお巡りさんが弔問に来ることで温かみを纏った真実が顔を出す。でも役所は変わらない。
「生きる Living」を見て黒澤版も見なくてはと思って見た。見て良かった。黒澤版では主人公がかなり若い頃に妻を亡くし再婚話も断り男手一つで(女中さんも居ただろうが)息子を育て(野球少年の息子、盲腸になった息子・・・可愛い)、そして息子の出征を見送る場面も描かれていた。敷き布団の下にズボンを置いて明日の為にしわ延ばしをする、そんな時代背景含めて父子の関係がよくわかった。一方で、部下の女性の再就職先がぬいぐるみを作る工場であることも大事な展開だと思った。何か具体的なこと、誰かをニコニコさせてあったかい気持ちにさせるような何かを作ることに思い至る。それ位大きな動機だから"Happy Birthday!"、志村喬は動き始める。
この黒澤版を見たからカズオ・イシグロの脚本はいいと思った。美しい春の中、希望と笑顔で未来へ向かう若い登場人物を設定してくれた。
おまけ
黒澤映画の常連含めて知ってる役者さんが沢山出ていた。一番びっくりしたのは左卜全、若い!あとわかったのは、木村功(良心的若い医師)、藤原釜足、千秋実、中村伸郎(助役)、加東大介(ヤクザ役!)、伊藤雄之助(小説家)、丹阿弥谷津子(バーのマダム)、菅井きん(公園作り陳情の一人でいつも赤ちゃんをおんぶしてる)、浦辺粂子(志村喬の兄嫁)。
【”人生の価値とは何か。”重くて深いテーマを、官僚主義の縦割り組織が蔓延る市民の願いを盥回しにする役人の愚かしさと、余命幾許もない自らの生き方を悔いた主人公の崇高な行動を対比させるように描いた作品。】
ー 30年間近く無欠勤で働いてきた市役所の市民課長・渡辺(志村喬)が、胃癌に侵されている事を知り、深い絶望と孤独を感じつつ、生命力溢れる元同僚の若き娘と出会った事から市民の為に暗渠埋め立てと公園建設に奔走する。ー
■数十年振りに鑑賞し、印象的なシーンを記す。<Caution! 内容に触れています。>
1.渡辺が2シーンで歌う”ゴンドラの唄”
・最初は、居酒屋で出会った作家志望の男に連れられて歓楽街を自暴自棄で回っている時にバーで自らリクエストし、涙を流しながら唄う姿。
・二度目は、完成した公園で雪降る中、ブランコに乗って満足げな表情で唄う、余りに有名なシーン。
■見事なる対比である。
2.元同僚の若き娘と出会った時に、涙を流しながら血を吐くように呟いた言葉。
”私は、30年市役所で何をしていたのか・・。”
3.渡辺の通夜で、公園建設を嘆願していた女性達が多数訪れ涙を流すシーンと、その姿を見て愚かしき助役たち上役が居なくなった後に、下級官吏の男達が交わす会話。
そして、徐々に明らかになる公園建設の為にそれまで死んだようにハンコを押す毎日を過ごしていた渡辺が、奔走する姿が描かれるシーン。
部署の壁を乗り越え、助役に嘆願し、ヤクザの脅しにもめげずに病んだ身体を押して働く姿。
4.渡辺が夕焼けを見て”30年振りに見た・・。美しい”と呟くシーン。
<今作は、トルストイの”イワン・イリッチの死”が底本であるが、黒沢明監督が、大幅に改編したヒューマンドラマである。
私事で恐縮であるが、就職が決まった際に父から”観ておきなさい。”と言われた映画であるが、当時”イワン・イリッチの死”を読んでいた事と、社会組織を知らなかったので申し訳ないが余り記憶に残っていなかった。
が、あれから幾星霜。
私が仕事をする中で頻繁に言っている”個人の名を残す仕事ではなく、組織とそこで働く同僚のモチベ―ションを発展させる仕事をしよう。”という言葉がこの作品では見事に表現されており、父親の慧眼に感謝したい気持ちになった作品である。
渡辺を演じた、故志村喬さんが当時47歳であった事にも驚いたなあ。-
黒澤監督の真摯な問い掛けにある、人間の内に秘めた力を信じるヒューマンドラマの社会批評
”生きるとは、どういうことなのか”を、深く考えさせる正直な映画だった。道徳的生真面目さに姿勢を正す見学だったが、黒澤監督の真剣に取り組む映画表現の熱意がストレートに伝わり、観終わった時は程よい緊張感のある感動に包まれた。死ぬと分かったら、人はどのように変わるのかを問い詰めた先にある、生き甲斐と無常観の心の内を垣間見た神聖さがある。ストーリーも分かり易く、映画の中に自分を置き換えて物語を追っていた。重厚なドラマ作りと啓発を併せ持った黒澤監督の、日本映画のひとつの頂点を示す作品であることは間違いない。
主人公は勤勉な初老男性の典型的な日本人で、無遅刻無欠席の市役所勤続30年の真面目だけが取り柄の極平凡な人物像。反面どこか面白みのない人柄でもある。そんな主人公が退職を迎える時に、余命幾ばくも無い重度の胃がんに侵されていた人生の皮肉が物語の始まりになる。彼が務める市民課には部下が十人程机を並べるが、その仕事振りは何とも単純だ。事勿れ主義が蔓延る、悪い意味での日本人を象徴する無残な有り様が端的に描かれる。この主人公と対照的な若い女子事務員が、墓場のような職場を辞めていく。父親の退職金を当てにした打算的な息子夫婦の冷たさに落胆した主人公が、その若い女性の後を付いて行く。このところをユーモアたっぷりに描いた演出がいい。この展開が映画全体の感動の発端であり、ドラマの核になっている。生き甲斐について交わされる二人の会話のレストラン場面。階段を挟んで向こう側では女子高生たちの誕生日パーティーが楽しそうに開かれている。若い女性は、新しい職場の商品のウサギの玩具を取り出し、生き生きと語り掛ける。落胆から再起する主人公の覚醒の場面だ。
後半は、主人公の通夜の場面から回想形式で公園造設に粉骨砕身する仕事振りが説明される。このクライマックスには、市政のお役所仕事を批判した社会批評の告発があり、主人公ひとりの物語からより広大な視野に立った作者の主張が強固で見事。児童公園建設に力を注いだ主人公の功績の評価で揉める部下たちの大論争の中に、死ぬことが分かっていれば誰にだって出来たことだと言い切る者がいる。この居直りとも取れる偽善者の発言に、人間の愚かさが潜んでいるのではないだろうか。ラストシーンは、そんな人間が辿り着けない境地にいる主人公の心情を、雪の中の揺れるブランコの風景で描き終わる。『ゴンドラの唄』の哀切が、それを感動的な心象風景にする演出の巧みさ。
生きることの意義を真摯に広大に問い詰めた黒澤監督の力作にして、全編一貫した演出トーンと作劇によるヒューマンドラマの名作。日本人の持っている価値観と心理の長短の上に、逞しさを描けるのは黒澤監督の力量だけだ。特に後半の回想シーンの描写は素晴らしく、黒澤演出と志村喬の熱演が、通夜の論争場面を面白くさせながら主題を問い掛ける映画的な表情を創造していた。
1978年 12月2日 フィルムセンター
昨年の10月に黒澤明誕生110年記念のミュージカル「生きる」を鑑賞する機会を得ました。宮本亜門演出、市村正親主演の素晴らしい舞台に、改めて原作であるこの映画のストーリーの巧みさ、時代を超越したテーマの普遍的価値を痛感しました。舞台化しやすい題材であるのは予想しましたが、特にクライマックスの通夜シーンから雪降るブランコシーンの美しさは本当に見事でした。古い劇映画を現代に通用するミュージカルに翻案できるほど、この映画の価値は計り知れないと納得した観劇でした。
印象に残った「ゴンドラの唄」
いのち短し恋せよおとめ・・・で始まる「ゴンドラの唄」を、この映画で一番印象に残るブランコのシーンで主人公が歌うが、今回、数十年ぶりの再見で、このシーンのほかに2箇所で使われていたことに気づいた。 1つは、胃癌と悟った直後に、たまたま居酒屋で知り合った小説家と繁華街を渡り歩いて、その途中のキャバレーで、そこのピアニストへリクエストして、ライブのピアノ伴奏で主人公が泣きながら歌うシーン。もう一つは音楽のみであるが、ラストで、主人公を一番理解していた市役所の同僚(木村)が橋の上から児童公園を見下ろすシーンで流れる。
今回の再見で気になったのが、主人公の通夜のシーンがちょっと長すぎる。しかもみんな酔っ払っていて(しらふの人もいるが)、みんな酔っ払いの演技が実にうまい。うまい「演技」なのである。何を言いたいかと言うと、本当に酔っ払っているように思える一方で、でも、これって演技なんだよなと思って、やや引いてしまうのである。比較するのもちょっと恐れ多いが、「東京物語」の中で、東野英治郎や笠智衆が酔っ払っている時にような「自然さ」を感じないのである。
あと、先に述べた小説家や、彼に生きようとするきっかけをくれた市役所を退職した若い女性が来なかったのはちょっと寂しい気がした。
人が真に生きるとは?
DVDで2回目の鑑賞。
原案(イワン・イリイチの死)は未読。
これまで堅実に仕事をこなして来たが、「何も成していない人生だったのでは?」と気づいた時、苦悩する真面目気質の主人公・渡辺氏の姿はあまりにも悲惨で、これまでやったことの無い夜遊びに手を出すなど、その迷走に心が痛みました。
息子夫婦にあらぬ疑いを掛けられて冷たい態度を取られるところも絶望を加速させていくようでした。
男手ひとつで育て上げた息子にそんなことを言われるだなんて、想像もしていなかったことでしょう。
悲嘆に暮れる中で出会った同僚の事務員・とよとの交流を通して、「何か出来ることがあるはずだ」と成すべきことを見出し、カフェを飛び出して行く場面が印象的でした。
階段を降りる渡辺氏に「ハッピーバースデー」が重なり、彼の新たな誕生を象徴する演出に唸りました。
人生の終わりに生き甲斐を見つけた渡辺氏のエネルギッシュに活動する姿に涙を禁じ得ませんでした。一切の忖度をせず活動した結果、公園整備は完成の運びとなりました。
その新公園のブランコで彼は生涯を閉じることに。
葬儀の席で同僚や上役の面々が渡辺氏の情熱的な活動ぶりを回想。ある者たちはいたたまれなくなって退席し、ある者たちはその働きを見習おうと心に誓っていました。
ですが翌日にはこれまで通りの「公務員」の姿が。
ひとりは怒りに立ち上がるも、雰囲気に呑み込まれてしまう始末。世の中そんなもんなのだろうかと、かなり世知辛さの残るエンディングに考えさせられました。
[余談]
お役所仕事への批判は納得出来るところが多く、実態は半世紀以上経っても変わらないのかと呆れるばかり。「真の公僕とはなんぞや?」。公務員のみなさんは渡辺氏を見習って!
※修正(2024/06/15)
生とは死の恐怖で着火する情熱か
30年間、部下からはミイラとあだ名をつけられ、亡骸のように市役所に勤務してきた主人公渡邊。ただただ無意味に忙しく、何もなさないことが義務であるかのようなお役所仕事の日々。意欲もなく死んでいるかのように生きている毎日。しかし受診して胃癌により寿命僅かと悟り、これまでの人生で一体何を成し遂げてきたのかと呆然とします。
作品では、無能な役人達を痛烈に批判しており、渡邊も市民の要望に向き合わない市民課長として当初はその批判の対象です。市の問題から目を逸らすのはいけませんが、寡夫として一人息子のために長年真面目に勤めてきたであろう点は全く恥じることはないと思いました。
とにかく演出が上手いです。
余命を知った渡邊がとっさに案ずるのは、男手ひとつで育ててきた光男のこと。盲腸の手術に向かう光男の汗を拭いたハンカチで自分の汗を拭く姿。成人した光男との隔たりを感じて階段でうつむく淋しい姿。父親の愛が伝わってきました。
慣れない道楽に耽り、脱け殻状態の時は瞬きひとつせず、死に取り憑かれたようなゾッとする目つき。公園事業に目標を見出してからは生き生きと輝く瞳。志村喬さんの演技に惹きつけられます。
よく笑いよく食べる小田切は天真爛漫で生命力そのものといった感じでした。「私ここには向かないわ」とそろばんでおでこをかく仕草が愛らしい(^^)
隣席で誕生日祝いの歌が流れる中で、死を認識した上で新たな「生」に目覚め、生まれ変わるかのようなシーンはさすが!とても印象的です。
うさぎのおもちゃが可愛い。
満員電車のごとくひしめき合うダンスホールにはびっくり…(・・;)
渡邊の葬儀では故人と遺族を前に言いたい放題(^^;)。職場で彼がどのように見られていたか、お役所の「煩雑極まる」縦割りの機構が露呈し、役人の本音が飛び出します。
最近の作品では、"I, Daniel Blake"が英国でのお役所事情を市民目線で批判していますが、万国共通なのでしょうか…。
実は胃癌じゃなかった、てオチも面白いなと思いましたけど…、そういうハリウッドコメディもありましたよね。
最後はまるで天国へ昇った渡邊が、完成した公園を見守っているように感じました。
死ぬことだけは皆確実に決まっているが、それがいつなのかは分からない。生きている時間を無駄にしていないかという普遍的な疑問を訴えています。業績としては横取りされてしまったかのようですが、渡邊のように公園という目に見える形で後世に何かを残せる人は幸運だと思います。小田切のように楽しい方向へ進めるのも幸せな生き方です。そんなに上手に生きられなくても、微かな影響を与え、僅かの波紋を広げ、誰かの記憶にうっすら残る、「一隅を照らす」そういう人生でも立派に生きているのだと信じたいです。
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追記
再鑑賞したら、志村喬さんの演技の素晴らしさにまた釘付けになりました。前回の自分はちゃんと気付いていただろうか。渡邊が頭を下げる間、瞬きせずにじっと一点を見つめていることを。ドアをノックする手が小刻みに震えていることを。
評価は作品に加え、その評価者自身を表しているように思います。名作と聞いて受動的に手に取り、「わぁ、つまらん」と記憶したとします。その20年後に再鑑賞の機会が巡って来た時に、もう一度挑戦してみる人もいれば、すごくつまらなかったという記憶でパスする人もいます。勿論その逆、面白かったはずなのに、2度目はそうでもないということもあるでしょう。適切な時期に適切な作品と出会い、各作品を一番楽しめる幸運に恵まれたいと思いました。
「わしは人を憎んでなんかいられない。わしにはそんな暇はない。」
全て想定以上!
役所に勤める男が余命幾ばくということを知り、一生懸命仕事をする・・・、という大雑把なあらすじは知っていたんですが、予想を凌ぐ展開やメッセージ性に驚きました。
癌であることを告白した人主人公に感動する、というところまでは想定どおりなんですが、あまりの変わりっぷりに周りが引いちゃってるところが、可笑しくもあり悲しく思えました。
いよいよ熱心な仕事っぷりが見られるかと思いきや、一気に死んだ主人公の葬式の日に時間が飛んでしまい、そこから役人たちの回想が続いていくと言うのは秀逸でした。彼の生き様を周囲の登場人物と我々観客が同時に理解するためには、こういう手法が一番良かったんでしょう。
オチも一種のどんでん返しで、単純な感動でもなければ、バッドエンディングとも言い切れない、終わった後に考えさせられる結末でした。
戦後間もない頃の作品なのに、行動や心理を全て見通し、それを踏まえた演出を随所に散りばめていることに、作品の内容以上にその秀逸さに感動しました。
ブランコに揺れるシーンがいつまでも心に残る
一念発起した主人公に人の生き様を見る。
世の中そう簡単には変えられないし、実際1人でできることは限られているけど、
「あんまり楽しそうだったもんで」と言われるくらいやって死ねたら本望だ。
自分の評価は、最後は自分がするのだから
黒澤明作品 こちらもオススメ
人は自分の死期を悟ってからどのような行動をとるのか?という普遍的なテーマを実に味わい深く魅せてくれた作品だと思いました。主人公の心の揺れと反抗、そして受容から最も高尚な人間の尊厳、それが彼にとってはこと無かれ主義のお役所務め人をやめて、自分が生きた証として公園整備の実現だったわけです。
志村喬さんのアップが多用されますが、こんなに画面の中の人に心を介入されたのは初めてのような気がします。彼以外の出演者もそう、生きた表情の演技が迫ってくる感じで圧倒されました。私が一番、印象に残った場面は、高らかに歌われるHAPPY BIRTHDAY♪の歌声の中、自分の使命に気付くあの瞬間、肉体では命尽きようとしていた人間が、魂で生まれ変わったあの瞬間です。心が揺さぶられました。
「命短し、恋せよ乙女~♪」の歌も効果的でした。他の方のレビューが素晴らしく、観てみたのですが、本当に良かったです。私もおすすめします。
人生の見つめなおしか官僚批判か
総合:65点
ストーリー: 65
キャスト: 70
演出: 75
ビジュアル: 60
音楽: 65
無為に生きてきた人間が、死を意識したときに今までの人生を振り返り、残った人生に何をするかを考える。彼の場合はあまりに過去にしてきたことがないことに気付き、自分の寿命があまり残されていないことを聞いたとき同様に呆然とするのであるが、しかし今更何をやっていいのかすらもわからない。
そのような彼ですら、死んだ気になれば怖いものなしで自らを奮い立たせて何かを成し遂げるために精一杯の努力をする。官僚制度に歯向かい上司に歯向かい古いしきたりに歯向かって一心不乱に努力をする。その精一杯の半年ほどの時間は、彼の何もしてこなかった30年以上の価値があったことだろう。皮肉なことに、彼は死を悟ってから初めて本当の意味で生きることが出来た。
「生きる」という題名であるし、実際に主人公の生きる意味を探求するのが主題にはなっている。だが同時に官僚制度への批判が最初から最後までこの映画の主題にもなっている。今でもお役所仕事という言葉が悪い意味でよく使われているが、この時代は恐らく今以上にその駄目振りがひどくて、彼の人生を通してお役所の仕事のお粗末ぶりが徹底的に皮肉にさらされる。結局これがもう一つの主題なのかと思って、私は世間の高い評価ほどにはあまり主人公の生き方にどっぷりと浸かれなかった。次々に出てくる駄目上司と無能官僚たちの体たらく。どうしても彼の生き様を見て感傷的になるというよりは、お役所仕事に関する社会派映画を見ているような気になって焦点が定まらなかった。
それでも彼にとって、過去の人生を見つめなおし、人生をやり直すことになったその短い時間において、やるべきことをやり遂げたという満足感があったことだろう。だから彼の死後、業績が正しく評価されようがされていまいが、彼にとっては満足した人生になったんじゃないかと想像する。
古いから仕方がないのだが、画像は綺麗ではないし、音声もひどくて日本語なのに何を言っているのかわからない部分がある。流石に科白がはっきりと聞き取れないのは辛い。
地方公務員は「無意味に忙しい」
映画「生きる」(黒澤明監督)から。
もう何度も観てきた、地方公務員必見の映画である。
その度に新しい発見があるから、黒澤監督の凄さを感じる。
さて、メモをとりながら観たのは初めてのため、
整理していたら、面白いことに気がついた。
市役所の仕事に対する厳しい視点が台詞に現れている。
作品冒頭「今や(30年勤めた市民課長に)意欲や情熱は少しもない。
そんなものは役所の煩雑極まる機構と、それが生み出す
『無意味な忙しさ』の中で、まったくすり減らしてしまったのである」
とナレーションが語り、
今度は作品半ば「この30年、役所でいったい何をしたのか、
いくら考えても思い出せない。覚えているのは、つまり『ただ忙しくて』、
しかも退屈だったってことだけだ」と主人公が語る。
そして、作品の後半、他の公務員が呟く。
「役所にだっていい人間、入ってくるんですよ、でも長くいるうちに。
あの複雑な仕組みの中じゃ、何一つ、第一あんなに『無意味に忙しくちゃ』
何か考える暇さえないんだから」
共通なイメージは、地方公務員は「無意味に忙しい」である。
この作品、60年以上も前の作品だから、と笑い飛ばしたいところだが、
作品のナレーターが、力を込めて、叫ぶように訴える
「いったい、これでいいのか。いったい、これでいいのか」が印象深い。
生きがいについて
しみじみ泣けるが、見終わってこんなに清々しい気持ちになれる作品は、そう沢山はない。
誰もが今までの自分の生き方を振り返り、死ぬまでの自分の持ち時間をどう使うかを考えてみたくなるだろう。
生まれ変わろうとしている主人公を祝福するように「ハッピーバースデイ」が聞こえてくるシーン、「いのち短し恋せよ乙女・・」と歌うシーンは今でも時折り思い出す。私の宝物の一つ。
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