劇場公開日 1952年10月9日

「何をしてきたのか、これからどうするのか、人生の分岐点に観る」生きる(1952) とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0何をしてきたのか、これからどうするのか、人生の分岐点に観る

2022年4月25日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

泣ける

笑える

興奮

あまた作られている、単なる闘病物ではない。
人生哲学×人間ドラマ×組織批判×社会風刺×エンターテインメント。
悲劇であり、喜劇。
これだけいろいろなものが詰め込まれているのに実にシンプル。
そして、揺るぎない主人公の存在感。
脚本×演出×音楽×映像。これらすべてが、志村氏の演技を際立たせていると同時に、
志村氏の演技が、技巧を凝らした映画を可能にさせている。
他には有り得ない、唯一無二の映画。

「人を憎んでいる暇なんてない」
 自分にとって大切なもののためなら、自分をないがしろにされた、嫌味を言われた。そんなプライドなんてちっぽけなこと。
 後頭部を殴られたような気がした。
 喜怒哀楽。人間にとってはとても大切な感情。だが、それをも凌駕するこの決意。なんと鬼気迫る言葉!
 ちっぽけなプライドのために、見失ってしまう大切なもの。
 ちっぽけなプライドすら乗り越える、人としての器。鬼迫。
 何が大切なのかを見極める。
 反省させられた。

☆  ☆  ☆

死を目前にして、自分の小さな器を大きくした男の一代記なのかと思っていた。絶望の淵から希望・生の意味を見つけ、徐々に周りを巻き込んでカタルシスを得るというような話だと、安易に思っていた。

だが、黒沢監督はそんな安易なつくりにはしなかった。

 前半、自分の死期が迫っていることを知る主人公。
 それを知った行きずりの男が「それでは、メフィストフェレスとなりましょう(思い出し引用)」と、主人公が今まで経験したことのない世界に連れ出す。
 その主人公の”初めての経験”が、死期が迫る主人公の陰鬱さと同時に、おかしみをもって描き出される。そのバランス!!!
 かつ、そんな奇妙な行動に出た主人公を取り巻く人々の反応が、頓珍漢で滑稽味を出す。

 そして、残りの人生をかけるものを見つけ、死を意識しながらも生き生きと鬼気迫る様相で活躍する主人公の姿が見られるのかと思ったら…。
  (人生かけるものを見つけた男の後ろで歌われるのは「Happy birthday」だし)

 いきなり、映画の半分くらいで、主人公は亡くなってしまう。
 やられた。
 通夜の席で、主人公と公園をめぐって、関係者が回顧していく。そこに浮かび上がる人々・行政の思惑が空回りしていく。まるで舞台劇を見ているみたいだ。
 しかも、誰もが主人公の想いを自分の器で図っていくだけで、主人公の気持ちや決意を知らないで、勝手なことを言い募る。なんていう孤独。私だったら、化けて出そうだ。
 生涯かけて育て上げた息子でさえ、主人公の真意を知らない。何度か、主人公は息子に打ち明けようとしたのに、それを阻止しておいて、「知っていたら僕に言ってくれたはずだ」って、あなた…。なんという孤独、そしてむなしさ。
 組織への痛烈な批判。(縦割りで事が動かないのは役所だけではない)
 ”今”を生きる人々への痛烈な批判。
 そして、観客が喜びそうなカタルシスが得られたかに見えて、極めつけのオチで終わる。

 そんな基盤を横軸に、主人公の生きざまが物語を進める縦軸として交差する。
 人生への後悔。生命力あふれる若々しさへすがりつき。迷走を経て、なすべきことへの妄執・鬼迫。孤独。「男は黙ってサッポロビール」の時代だっけ?否、説明して了解を得る時間さえ惜しかったのだろう。「憎む時間さえない」のだから。
 死にゆく自分。長年付き合ってきた人にも誰にもわかってもらえていない真意。孤独・孤独・孤独。
 それなのに…。有名な一人でこぐブランコのシーン。静かに、静かに、響く「命短し、恋せよ、乙女~」。
 そして子どもたちの声で幕が閉じる。

この物語をこれほどまでに深めたのは、黒沢監督の演出。何たる鬼才!
 喜劇的な舞台×陰鬱な主人公。相反するはずの要素が見事に調和して、両方を際立たせている。
 物語の緩急。スパッと切るところと、余韻が残る場面と。
 男の一代記的な構成なら、”男”の人生を追体験するだけで終わってしまうが、このような演出にすることで、社会での位置づけが見えてくる。

そして、何度も書いてしまうけれど、上記の演出を成り立たせているのが、志村氏の演技。「あ、う、」ぐらいのぼそぼそとしたしゃべりなのに、その時々の主人公の気持ちが胸に迫ってくる。なんてすごい役者さんなんだ。

☆   ☆   ☆

最近取りざたされる孤独死。だが、その方が孤独の中に死んでいったのか、満ち足りて死んでいったのかは、本人にしかわからないのであろう。
自分の葬式の風景を考えてしまった。

渡辺課長は、子どもを育て上げたんだから、それだけでも大仕事をしたのだけれど、ミイラのままでは死ねなかった。
歯車だって、それがなければ、そのシステムは動かない。どの歯車だってなければ困る。

けれど、書類の煩雑さ。
渡辺課長の仕事は、書類に判を押して右から左に回すだけ。
今だって、説明責任を果たすために増える事務仕事。微妙に違う様式で、同じ内容を、各方面から報告するように求められる。現場を見ずに、数字・書類だけ見てわかった気になる。統計のマジック。これが何に繋がるかなんて、わからなくなってくる。
 ふうぅ。
 歯車として機能しているのは判るけれど、透明人間にはなりたくない。
 失敗は成功の母と言うけれど、余計なことをしてはみ出したら終わり。KYはこのころからあったんだ。
 どうしようもない世の中に、あきらめかけてしまう私の心の中に、いつまでも主人公の歌声が響いてくる。

☆  ☆

PS。予告も傑作です。予告だけでドラマしている。人生をつきつけられる。

とみいじょん
momokichiさんのコメント
2023年2月20日

頷きながら読んでいました。素晴らしい言語化力。。
本当に黒澤監督の演出と、志村さんの演技が凄い映画ですね。

momokichi