劇場公開日 1955年11月22日

生きものの記録のレビュー・感想・評価

全22件中、21~22件目を表示

4.5半世紀経とうが色褪せない恐怖の記録

2012年8月15日
フィーチャーフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

怖い

難しい

1954年。
アメリカのビキニ環礁沖水爆実験により、第五福竜丸を初めとした
1000隻以上の漁船がいわゆる“死の灰”を浴び、被曝した。
その翌年に公開された映画が黒澤明監督作『生きものの記録』である。
原爆投下から僅か9年後の愚行に日本中が怒りを感じていた時期だったのだろう。

あらすじ。
炭取扱業で一財産を築いた主人公・中島喜一は自分の息子達から告訴された。
『近い将来、日本中が放射能に汚染される』という恐怖に憑かれた喜一は、
家族に無断で全財産を注ぎ込んで近親者全員のブラジル移住を計画。
それを知った親族一同が、財産の管理権を喜一から剥奪する為の裁判を起こしたのだ。
財産を奪われ、愛する家族に疎まれ、何よりいつ襲い来るかも分からぬ
放射能の恐怖に、次第に精神のバランスを崩してゆく喜一。
そして迎える、あまりにやりきれない結末。

物語後半から僕はもうずっと涙ぐんで映画を観ていた。主人公が本当に憐れで堪らなかった。
喜一は偏屈で、身勝手で、強権的な男だ。
だが愚直なまでに家族想いな彼が衰弱してゆく姿は見るに耐えなかった。
暑さに喘ぐ家族に、いつの間にやら買ってきたジュースを配る姿。
雷鳴を爆撃と勘違いし、とっさに赤ん坊に覆い被さる姿。
プライドもかなぐり捨てて家族に頭を下げる姿。
この老人は死にもの狂いで家族を守ろうとしただけだ。
けれど行動があまりに極端で、真っ直ぐ過ぎた。

いや、『正気過ぎた』とも言えるのか?
劇中のある台詞がいやに耳に残っている。
「私は正気でいるつもりの自分が不安になるんです。
狂ってるのはあの患者なのか、この時世に正気でいられる我々がおかしいのか」

核エネルギー利用の是非について僕個人の意見を述べるのはよそう。
議論が紛糾するのは目に見えている。
だが劇中での喜一の言葉をそのまま借りて、これだけは言っておきたい。

「バカなものをつくりやがって!!」

核エネルギーなんて、最初から作られなければ良かったのだ。
原爆投下から70年近くも経ったのに、核への恐怖は薄れるどころか
益々切実なものとなって僕らの目の前に突き付けられている。
監督、貴方の映画は未だに色褪せておりませんよ。
そんな誉め言葉を語った所で、貴方は哀しい表情を浮かべるだけでしょうか。

今日8月15日は終戦記念日だ。
忘るるなかれ、先人達が僕らに語り継いでくれた恐怖と哀しみを。
重い映画だが、観る価値は十二分にある。

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浮遊きびなご

4.5失敗作でなく、名匠の手本となった名作

2009年6月9日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

黒澤映画の中で、この作品を失敗作にあげる人は多いと思う。私も、最初に観たときは、一連の黒澤映画の中では失敗の部類と思ったひとりである。
 ところが、この作品のあとより、まったく同じテーマをもとにした映画を製作した監督が出てきた。その代表例が、ベルイマンの「冬の光」とタルコフスキーの遺作「サクリファイス」だ。その二作を観たあとにもう一度、「生きものの記録」を観ると、原爆に怯える主人公の狂気が狂気に見えず、自分と同じ感性の者に見えてきて、はじめてこの作品の良さを発見した次第である。

 「生きものの記録」がなぜヨーロッパの映画監督の共感を得たのか。それは、多分、神が存在しているか否かについて、考えさせられたからだと思う。人間の造った狂気の沙汰のような兵器には、神の存在など無価値、と思わざるおえない。その危機感が「生きものの記録」と同じテーマの映画を作らせたような気がする。

 だから、黒澤もこの作品では、もっと神に言及してみてもよかったのでは、と思う。そうしていれば日本人たちの見方も違ったものになっていたような気がする。ただ、世界で唯一、原爆の怖さを知っている民族なのだから、神に関係なく、黒澤が放つメッセージに、もっと素直に気づかなければならなかった、と思うのだが...。

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こもねこ