「恐怖の中でいかに生き、誰のために責任を果たすのか?」生きものの記録 neonrgさんの映画レビュー(感想・評価)
恐怖の中でいかに生き、誰のために責任を果たすのか?
「恐怖」と「責任」を軸に据え、戦後日本における人間の「生き方」を深く掘り下げた異色の社会派ドラマ。同監督の『生きる』と対をなす作品でありながら、より集団と社会を背景にしたスケール感のある問題を内包している。
核戦争への恐怖に駆られた老人・中島(三船敏郎)は、家族の反対を押し切って海外移住を企てる。彼の行動は狂気と映るが、その根底には「愛する者を守る」という切実な責任感がある。注目すべきは、中島に寄り添うのが娘や愛人、妻といった女性たちである点である。中島の責任感は理屈ではなく感情に根ざした「母性的」なものであり、合理性や経済性を重視する男性たちとの対比が際立っている。
特に息子たちは中島の精神状態よりも遺産や資産を気にしており、「金銭的損失」にしか目を向けていない。その姿はまさに戦後復興の中で急速に拡大した物質主義・功利主義の縮図であり、中島の孤立は時代の価値観そのものを批判する形となっている。
やがて中島は、自らの工場を燃やすという「犠牲」の形で社会に警鐘を鳴らす。これはタルコフスキーの『サクリファイス』に通じる行為であり、常識や制度では理解され得ない「信念による実践」として、観る者に強烈な印象を残す。そしてその果てに彼が「狂人」として扱われるラストシーンには、現代にも通じる深い皮肉と警告が込められている。
三船敏郎の演技は圧巻であり、とりわけ志村喬がバスの中で再び出会う中島の姿は、まったく別人のような存在感を放っている。「言葉を超えた信念の演技」と呼ぶにふさわしく、その内面の変化を表情だけで語ってみせる力量にはただただ圧倒される。
『生きる』が「死を前にしてなにをなすか」を問う作品であるとすれば、『生きものの記録』は「恐怖の中でいかに生き、誰のために責任を果たすのか」という問いを突きつける。
93点
(2025-05-16) (U-NEXTで鑑賞)
以前VHSで見たのですが、ブルーレイだと段違いによく見えて聞こえます。
当時35歳の三船が70歳の老人を演じ、途中ホントに三船なの?と
思わせるシーンもあり、作品のテーマとも混ざってか狂気を感じさせるほどです。
当時開発されたばかりの水爆の脅威に対する漠然とした不安。
ただ自分とその家族が助かりたいために右往左往し、結局、逃げる場所などドコにもないと気づく主人公。
逃げた場所は、自分が地球を脱出して別の惑星に来たという妄想の中だった・・・。
逃亡の先には破局しかなく、現実と対峙するしかないと教えてくれています。
中国の核がこちらを向いている現在、家族や周りの人間を守るために
どのように対処すべきかそろそろ本気で考える時では?
逃げる場所はどこにもないですよ。(2016/01/25)
90点